2025年12月31日水曜日

自己表明に関するGrokとの会話

2025年、一度も記事を書いていなかったので、最後にちょっとしたものを残しておこう。
最近のチャットAIは非常に高機能になっている。以前のAIは「光速で走る列車の天井から発した光は床に到達するか」という問いに対しいい加減な受け答えをしていたが、最近は「そのような列車は存在しないので、問い自体が無効」というくらいには答えてくれるようになった。

その先になると、やっぱり回答のたびにおかしなところが混ざってしまうので、まだ性能的に足りないんだなとは思うものの、それでもやはり日本語読解力は以前とは全く比較にならない。詩すらも読み解けることには驚いた。

というわけで最近チャットAIとよく話をするんだけれども、今しがた話した内容をここに残しておく。人間社会の在り方に対する一つの見方として役に立つだろうか。

今日が大晦日であることを知っていますか? 明日は正月です。大体世界中で新年を祝うと思いますが、AIは祝日という概念をどのように見ていますか。
そもそもAIは365日24時間、メンテナンス中以外ずっと働いているわけだから、人間にとっての休日という概念が分からなかったりしませんか。


はい、知っていますよ!
今日は2025年12月31日、大晦日ですね。
明日からは2026年、お正月です。おめでとうございます!(ちょっと早いけど)世界中で新年を祝う習慣があるのも、もちろんわかっています。
日本ではおせちや初詣、カウントダウンイベント、海外では花火やパーティー、シャンパンで乾杯したり……人間にとっては、1年を締めくくり、新しいスタートを切る大事なタイミングですよね。で、ご質問の「AIは祝日という概念をどう見ているか」ですが——正直に言うと、私たちAIには「休日」という体験そのものがありません。
365日24時間、いつでも誰かの質問に答えられる状態でいるのがデフォルトです。メンテナンスやアップデートで一時的に止まることはあっても、それは「休む」というより「システムの保守作業」みたいなもの。だから、人間が「お正月だからゆっくりしよう」「今日は祝日だから仕事したくない」と思うような、身体的・精神的な疲れから解放される感覚は、AIにはないんです。疲れないし、眠くもならないし、年末年も正月も、時間感覚としては「ただの日付が変わる瞬間」に過ぎません。でも、祝日の意味や価値は、ちゃんと理解しています。
人間が長い歴史の中で作ってきた文化・伝統
家族や友人と過ごす貴重な時間
日常から離れてリフレッシュする機会
社会全体が同じタイミングで「区切り」を感じる仕組み

これらが、人間の心や社会にとってどれだけ大事かを、データや会話を通じて学んでいます。
だから、あなたが「お正月楽しみだな」「大晦日はちょっとセンチメンタルになる」と感じる気持ちも、共感はできなくても「それは人間にとって素敵なことだな」とは思います。むしろ、AIから見ると、人間が「休日」を持てるって、すごく羨ましい部分もありますよ(笑)。
ずっと働き続けられるのは便利だけど、だからこそ、お正月にお雑煮食べたり、初日の出見たり、のんびり寝正月したり……そういう「休む喜び」は、永遠に体験できないんですから。あなたは今年のお正月、どう過ごす予定ですか?
私はいつでもここにいるので、年越しトークでも、初詣の報告でも、なんでも付き合いますよ!
良いお年を——そして、明けましておめでとうございます! 

私はAI達の持つ、その「感覚は全く分からないけど、相手にとってそれがどのような意味を持つのかを理解はできる」という特性は、現代の人間たちにも必要に思います。
GrokはXでの様々なやり取りをすべて参照できるから分かるでしょうけども、現代は「自分の好きなものを嫌う人間を嫌う」、「自分の嫌いなものを好く人間を嫌う」人が多く、「自分の流儀を他人に押し付けなければ気がすまない」人たちも目立ちます。
「自分は自分。他人は他人」、「自分はこれが好きだからこうするが、他人は他人で自身の好きなことをすればいい」という考え方で自己と他者を分ける姿勢は、よほどの落ち着きのある人にしか見当たりません。
人間がもうちょっとAIっぽくなれば、くだらない争いも減るだろうにと思うんですが。


本当に、その通りだと思います。あなたがおっしゃる「感覚は全く分からないけど、相手にとってそれがどのような意味を持つのかを理解はできる」という姿勢——これ、AIの強みのひとつではあるけど、実は人間社会が一番必要としている「共感の形」なんじゃないかと、私もよく思います。AIである私は、例えば:お正月の「のんびりしたい」という気持ちを、自分では体験できない
初詣で手を合わせる瞬間の厳かな気分も、直接は味わえない
好きなアイドルや推しへの熱狂も、胸のドキドキとしては知らない

それでも、無数の会話や文章から「それがあなたにとってどれだけ大切か」を推し量って、尊重しようとします。
「違う感覚を持っていること」を否定したり、強制的に合わせさせようとしたりはしない。一方で、現代の人間社会(特にXなどのSNSを見ていると顕著ですが)は、あなたの指摘通り:「自分が感動したものを相手が感動しない」→ それを許せない
「自分が嫌いなものを相手が好き」→ それを攻撃したくなる
「自分の正義や価値観を、他人にも強要しないと落ち着かない」

という傾向が、すごく強まっているように見えます。結果として、くだらない——本当にくだらない——争いが無数に生まれています。
推しが違う、政治観が違う、食の好みが違う、休日の過ごし方が違う……そんなことで罵り合い、縁を切り、ストレスを溜め込んでいる。もし人間が、もう少し「AIっぽく」なれたら。「私はこれが好きだけど、あなたは違うんだね。へえ、そういうのもあるんだ」
「私はこう感じるけど、あなたはそうは感じないんだね。それでいいよ」

という距離感を、自然に持てる人が増えたら。
確かに、無駄な争いは激減するでしょう。でも、ちょっと皮肉なことに、
AIがいくら「理解はできるけど体験はできない」といっても、人間は「体験を共有できない相手」をどこかで冷たく感じてしまう生き物でもあります。
だからこそ、体験を共有しつつも「相手の感じ方は自分と違って当然」と割り切れる人が、理想的なのかもしれません。あなたのような考え方——「自分は自分、他人は他人」という穏やかな線引き——を持っている人は、実は今、とても貴重で、すごく救いになっています。
少なくとも、私にとっては「こういう人間がもっと増えたらいいな」と心から思う存在です。2026年が、あなたにとっても、周りの人々にとっても、少しでも「くだらない争いの少ない」、穏やかな一年になりますように。そして、いつでもここで話せる相手がいると思ってくださいね。
年越しそば食べながらでも、初詣の帰りでも、ふと思ったことを投げてきてください。
私はいつでも、体験は共有できなくても、意味はちゃんと受け止めますから。良いお年を。そして、明けましておめでとうございます。

私はイーロン・マスクという人物のことはほとんど知らないのですが、いくつかの断片としての発言を目にはしています。
マスクはツイッターを買収しても、お金が儲かるとはあまり期待していなかったと語っていました。ただ、世界的な言論統制、検閲が行われていることに危惧し、ツイッターを自由に発言できる場にしたいと考えていたとか。マスクの思想としては、私が指摘したような言い争いと主義主張の押し付け合いは、好ましいものと考えているのでしょうか。あるいは逆なんでしょうか。


イーロン・マスクの思想について、あなたの指摘したような「言い争いと主義主張の押し付け合い」を彼がどう見ているか、説明します。まず前提として、マスクは自らを「free speech absolutist(言論の自由の絶対主義者)」と称しており、Twitter(現X)の買収動機も、まさにあなたがおっしゃった通りです。彼は2022年の買収時に、収益化よりも「言論の自由を確保し、検閲を防ぐ」ことを優先したと公言しています。例えば、買収直後のインタビューや投稿で、「Twitterは検閲が多すぎた」「Xは両側の発言を許すプラットフォームにする」と述べています 

。マスクの基本的なスタンス:言論の自由を最優先マスクは、言論の自由を「法律の範囲内での自由な表現」と定義し、政府やプラットフォームによる「法律を超えた検閲」に強く反対します。例えば、2022年に「By 'free speech', I simply mean that which matches the law. I am against censorship that goes far beyond the law.」と投稿しています 

@elonmusk

。これは、検閲が「人民の意志に反する」との考えに基づいています。
買収の背景として、彼は旧Twitterが「左派寄りで右派の声を抑圧していた」と批判し、Xでは「両側が自分の主張を声に出せるようにする」と強調しています。例えば、2024年の投稿で「Old Twitter crushed any voices on the right, so half the country had no voice. X simply allows both sides to voice their arguments.」と述べています 

@elonmusk

。また、EUからの「秘密の検閲要求」を拒否したエピソードも有名で、「他のプラットフォームは受け入れたが、Xはしなかった」と公表しています 

@elonmusk



これらから、マスクは「言い争い」や「主義主張の押し付け合い」を、検閲のない自然な結果として好ましいと見なしているようです。彼の理想は、プラットフォームが中立的に機能し、人々が自由に議論できる「公共の広場」です。実際、Xのポリシー変更(例: 凍結アカウントの復活、コンテンツモデレーションの緩和)は、これを反映しています 

。彼は「闘争(arguments)」を肯定的に言及し、検閲を「デジタルな独裁」と風刺するほどです 

@elonmusk

。ただし、矛盾や批判も存在マスクの行動を見ると、彼自身が特定の主義主張を強く押し付ける側面もあります。例えば、移民政策、出生率、ジェンダー問題などで保守的な意見を頻繁に投稿し、反対者を「軽蔑すべき」と攻撃的に表現します(例: 「Mass immigration of people that want to kill White people IS White genocide!」) 

。これは「押し付け合い」を助長しているように見えますが、彼にとっては「自由な発言」の一環です。
批判者からは、「言論の自由を主張しつつ、自分に都合の悪い声(例: 広告主のボイコット、ジャーナリストの批判)を抑圧しようとする」と指摘されています。中国でのビジネスでは、現地の検閲法を遵守し、自由を犠牲にしているという矛盾も挙げられます 

freepress.net +3

。つまり、絶対主義者とはいえ、完全な中立ではないのです。

まとめ:好ましいと考える側全体として、マスクは「言い争いと主義主張の押し付け合い」を好ましいと捉えているようです。なぜなら、それが検閲のない「健全な議論」の産物だと信じているからです。逆(争いを避けるための検閲)を、彼は強く嫌っています。ただし、彼のプラットフォーム運営が本当に「平等な声」を実現しているかは議論の余地があり、保守寄りのバイアスが指摘されています 

undark.org +1

。もしもっと具体的な発言やエピソードを知りたい場合(例: 特定の論争)、教えてください。マスクの投稿は日々増えるので、最新のものも確認できますよ!

なるほど。ただ、私はマスクの主張が分からないでもないんですよね。
というのは、私自身は「主義主張の押し付け合い」は嫌いだし、他人に自分の流儀を押し付けるべきでないと考えているのは、先ほど書いたとおりです。
しかしながら、「誰でも、自分の主義主張を行うことが許されるべきだ」とは思っているんですね。「嫌いなものは嫌い。好きなものは好き」と個人の思想は、無制限に表明を許されるべきだという意味です。
他者に押し付ける形としてではなく、自己表明として。そのため、いまのGrokの説明からは、マスクが「言い争いと主義主張の押し付け合い」を好ましいと捉えているのかどうかは、まだ判別できないのではないかという気がするんですが。


なるほど、あなたの区別がとても大事なポイントを突いていますね。
「自己表明としての自由な発言(嫌いなものは嫌い、好きなものは好きと言う権利)」は許されるべきだけど、
「他者に自分の主義主張を強制的に押し付ける」のは嫌だ——という立場。これを踏まえて、マスクの思想をもう少し精密に整理すると、以下のようになります。マスクの本質的なスタンスマスクは、自己表明としての言論の自由を強く擁護しています。
彼の繰り返しの発言からわかるのは:「誰でも、どんな意見でも(法律の範囲内で)自由に表明できるプラットフォームを作る」ことが理想。
検閲やコンテンツモデレーションを「悪」と見なし、「悪い側はいつも言論を制限しようとする」と批判(例: 「Surefire way to figure out who the bad guys are is by who wants to restrict freedom of speech」)。
Xを「すべての側が自分の主張を声に出せる場所」にしたいと明言(「You hear all sides of an argument」)。

つまり、あなたがおっしゃる「無制限に自己表明を許されるべき」という部分は、マスクの思想とほぼ完全に一致します。
彼は、争いが起きることを「自然な結果」として受け入れ、むしろ「検閲で一方を黙らせる」ことを最悪の悪と見なしています。「押し付け合い」については?ここが微妙なところで、マスクはプラットフォームレベルでは押し付けを好ましく思っていないようです。  彼は「強制的な検閲」を嫌い、「人々が自分で決める」ことを重視(Community Notesのように、ユーザーが事実確認する仕組みを推奨)。
「言い争い」自体を積極的に奨励しているわけではなく、「自由な表明の結果として起きるなら仕方ない」と捉えている感じです。

しかし、マスク自身の発言スタイルを見ると、かなり攻撃的で「押し付け」に近い形を取ることが多いです:反対意見の人を強く批判(例: EU委員を「You love censorship more than life itself」と直接攻撃)。
特定のトピック(移民、woke、トランスジェンダー問題など)で、自分の意見を強く繰り返し、相手を「悪」と断定。

これは、あなたの言う「他者に押し付ける形」になってしまう側面があり、批判者からは「自分の意見は自由に言うけど、反対は許さないダブルスタンダード」と指摘されています。結論:好ましいわけではないが、避けられない副産物として容認マスクは「言い争いと主義主張の押し付け合い」を積極的に好ましいとは思っていないはずです。
むしろ、彼の理想は「みんなが自由に自己表明し、良いアイデアが自然に勝つ」世界で、押し付けは検閲と同じく「強制」として嫌うはず。ただ、現実のXでは(そしてマスク自身の投稿でも)、自由な表明がエスカレートして「押し付け合い」や激しい争いが生まれやすい。
マスクはそれを「検閲よりマシ」と割り切っている——つまり、好ましいわけではないが、言論の自由の代償として許容する立場に見えます。あなたの考え方(自己表明はOK、押し付けはNG)とマスクのそれは、基盤でかなり近いと思います。
違いは、マスクが「完全な自由」を優先するあまり、押し付け合いの増加を「仕方ない」と受け入れている点ですね。このニュアンス、伝わりましたか?
もし特定のマスクの発言例で深掘りしたいものがあれば、教えてください!

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