2023年3月18日土曜日

性善説と性悪説の意味

 あまりにも多くの場面で性善説という言葉の意味が誤解されているので、軽く説明しておこう。無人販売所で盗難が少ないことを「性善説」に期待している、なんて言ったりするが、それは性善説とは何の関係もない。


性善説というのは、「人は生まれたときは善良だ」という考え方のことを言う。しかし、成長するに従い、社会の中で汚れていく。

性悪説というのは、「人は生まれたときは弱い」という考え方のことを言う。弱いからこそ欲に負けて不正に手を出したりもしてしまう。成長し、教育を受けるにしたがって、善悪の判断ができるようになり、正しい道を歩けるようになる。


不正を犯してもばれない、罰を受けずに済む場面でも不正を犯さずにいられる人がいるとして、その人が「生まれながらに善良だったから」なのか「教育によって善良さを身に着けたからなのか」までは判別できない。

無人販売所というシステムは、性善説であろうと性悪説であろうと成立する。


人々がそれについて性善説を持ち出してしまうのは、おそらく性善説という言葉の意味を「無条件に世間の人々を善良であると仮定する考え方」と解釈しているからだろう。性悪説は「無条件に世間の人々を邪悪であると仮定する考え方」のことを指すとでも思っているのではないか。