2017年12月12日火曜日

デキ婚にまつわる不思議な感覚

デキ婚というのがある。子供がデキちゃったので結婚しました、というやつだ。

世の中では、こういう結婚の仕方が否定的に見られており、だらしがないとか計画性がないなどと言われたりもするようだが、私はこの感覚がよく分からない。

例えばこの発想が貞操観念の強さから発しているのなら、まだ言いたいことは分かる。ところが実際は逆だ。貞操観念が希薄だからこそこんな発言が出てくる。

その辺がとても奇妙に感じる。

2017年12月5日火曜日

祝・羽生竜王、永世七冠達成と将棋の話

最近将棋の話が多くなってるが、まぁ、時期が時期なので仕方ない。

竜王戦が始まるまでは、もう歳だし、挑戦はできても勝つのは難しいかなぁと心配していたが、無事に竜王位を奪取してくれた。これはとてもうれしい。

私が将棋を触り始めたのは2年ほど前なのだが、まだ人とは対局していない。1年たったらやってみようと思っていたものの、あの事件があったためやる気がなくなってしまった。そのもやもやしたものも、これでやっと晴れるかもしれない。

2017年11月30日木曜日

将棋の棋譜の著作権は保護されていないが、本当にそれでいいのか

将棋には棋譜というものがある。対局者達の指し手を記録した符号集のことだ。▲76歩、△34歩、▲26歩、△84歩とかそういうやつ。

昔から議論があるようなのだが、一般的な解釈としては、棋譜の著作権は保護されないものだと考えられている。つまり、複製や公開が自由とされている。

先日、朝日新聞社主催の対局の棋譜をリアルタイムでYoutubeで再現し放送していた人が、朝日新聞から放送の停止を求められた。これは、対局に関わる独占的放送権を根拠としたものなので、棋譜の著作権問題とは直結しない。

が、この問題の時に、ある弁護士が棋譜は著作物ではないと主張していた。今回扱うのはそちら側。棋譜は本当に著作物ではないのかどうか。著作権を守らなくてよいのかどうか、と言う話を語ってみる。

2017年11月27日月曜日

人工知能は人間を滅ぼそうとするだろうか

ニコニコニュースで、こういう記事が紹介されていた。ホーキング博士「人類の残り時間はあと100年」…北朝鮮の核脅威で900年短縮か

AIによる反乱というのはSFでもたくさん取り上げられている。それが現実のものとなる時代が目前に迫っているのかも知れない。

現代に生きる優れた頭脳までがそれを危惧しているというのなら、確かにそういう恐れもあるのだろう。私は自分がホーキングのようなマジモンの天才に勝るとまでは思っていない。だから、この記事の主張が全て間違っていると言うつもりはない。

が、私個人の展望としては、仮にAIが反乱を起こし、人間と利害が反目して争うことになったとしても、人間さえ望まなければ人類を滅亡させようとまではしないだろうと考えている。

2017年11月26日日曜日

将棋ソフトを超える難しさと、将棋ソフトに追いつく可能性(2)

今年の竜王戦第四局で羽生棋聖が見せた88金という手が、ソフトを超えていたと言えるのかどうか。それについて考えてみる記事、第2回。

前回の記事は将棋ソフトを超える難しさと、将棋ソフトに追いつく可能性(1)にあるので、先にそちらを読んでみてほしい。

2017年11月25日土曜日

将棋ソフトを超える難しさと、将棋ソフトに追いつく可能性(1)

竜王戦第四局は、無事に羽生棋聖が勝利してくれた。これで3勝。あと1勝で永世竜王となる。

頭のおかしい、漫画のような業績を応援したい気持ちもあるし、昨年に謀略を尽くしたあげく、反省する様子すらない渡辺明が表舞台から降りてくれることを望む気持ちもある。今年については、俄然棋聖を応援したい。

さて、今回は将棋ソフトの話を続けよう。前回は将棋ソフトの発展と、人間の可能性についてで書いた。

私はソフトを軽んじたり、未だにプロ棋士の方が強いだとか言っている人間を見ると呆れかえってしまう。頭悪いんだなーと思ってしまうわけだが、だからといってプロ棋士の成長を軽んずるつもりもない。

プロ棋士を応援したいあまり、実力の違いから目を背ける姿は醜い、と言うだけのことだ。時に、ある手を見てソフトを超えたという主張がされたりもするが、的外れも甚だしいことがある。

だが、昨日の竜王戦第四局では、確かにソフトを上回ったかも知れないと思える一幕があった。今回はそれについて。

2017年11月22日水曜日

年功序列とは、前時代的ゆとり教育に他ならない

ゆとり教育が非難されている場面をよく見かける。常識外れの変なことをする若い人を「ゆとり」と呼んだりもする。

私はどちらかというとゆとり教育に対しては寛容で、必ずしも悪い物だとは考えていない。よく引き合いに出される学力の低下に関しても、理科の成績だけは上昇を続けている。ゆとり教育のせいで学力が低下したことを断定する資料は見たことがない。

が、ゆとり教育に問題がないと思っているわけでもない。例えば、学校の徒競走で順位を付けないという話を聞いたことがある。勝ち負けを決めるのはよくないから、手を繋いでゴールするというのだ。

こういうのはよくない。が、日本において長く続いている年功序列というのは、年齢順にお手々繋いでゴールする思想という点において、前時代的ゆとり教育に他ならない。

2017年11月18日土曜日

逆方向を向いた人間の理想が見える、『ニート地球を守る』

私が思い描いた人間の理想は、ソクラテスのような姿だ。人間が皆ソクラテスのようになれば、きっと世界はよい世界になるだろう。私が歴史上最も尊敬する人物も、ソクラテスだ。

さて、しかし人間の発想というのは柔軟なもので、私が考えていたのとは全く逆方向にも、人間の理想の姿が隠れているんだなぁと感じた物語がある。それが『ニート地球を守る』だ。

この作品はやる夫系のAAスレで書かれた物語で、登場人物はAAで表現されたアニメキャラになる。こういう作品を見たことがない人は違和感を覚えるかも知れないが、なかなか面白い作品があったりする。

今回はこの物語についてちょっと語ってみよう。

2017年11月15日水曜日

論理的にルールを強制することの限界

よほどの変な人でもなければ、あえて好んでルールを破ろうとはしないだろう。ルールを破ること自体に楽しみを見いだす人もいるようだが、そういうのはかなりの少数派だ。

多くの場合人々は一応不都合のない範囲ではルールに従うものだし、ルールを守らせようともする。そのとき、ルールに従わなければならない理由を持ち出すのだが、これには限界がある。

最終的には、ルールを守らなければならない論理的な理由はないし、ルールを守らせるルールるも存在しないことになる。

2017年11月11日土曜日

後継人事の難しさと奇跡的成功例

人事というのは難しい。人の資質を見抜く資質が必要とされる。が、たいていの人間にそんなものは備わっていない。

私は能力主義者だから、能力主義と成果主義の違い。なぜ人は人を正しく評価できないのかという考え方をしている。何より難しいのは、優れた人間を見抜くことだ。

それはとても難しいことであるため、能力主義を徹底することはできない。

が、歴史上は、それが実現する場合がある。今回は、そういうレアケースを語ってみよう。

2017年11月7日火曜日

DOTA2、低レート向けサポートヒーローの選び方

私のDOTA2レートは1100だから、かなりの初心者だ。相当へたくそな部類と言っていいだろう。が、このくらいのレートの人というのはかなり多い。きっと、私と同レベルの人もたくさんいるだろう。

そういう人たち向けに、勝ちやすいサポートヒーローの傾向について語ってみたい。どうしてそれで勝てるのかとか、どういうのが向いてるのかとかは、DOTAのうまさとは無関係なので、私が語っても問題ないだろう。

2017年11月3日金曜日

統計に注意-記事一覧

私は常々、世の中での統計データの扱いに呆れかえっている。

人々は統計データに触れても、そこから正しい情報を引き出そうとはしていない。恣意的に、自分の見たいものを見るために間違った解釈をする。

統計的な資料に触れる機会は多くなってきているだろう。それはいいことだ。しかし、その統計資料をどう扱い、どう解釈すればいいのかが分からない人が多いようなので、そういう人たち向けに、統計的な思考を語ってみた。

これは、それらの記事に対するリンク集だ。あっちこっち分散していると分かりづらそうなので、一応こういうものも用意してみた。

参考にしてもらえたら光栄だ。

統計に注意-成功例と失敗例の比較の仕方

世の中ではよく、「成功者はこういうことをしている」といった紹介がされる。さぁ皆さんも成功者のマインドから学びましょう、というわけだ。

しかしこれらの記事ではまともな比較はされない。ただ、成功者に見られる傾向を語るだけで、その傾向に見られる傾向まで扱うことはない。

統計データを扱い、そこから有益な情報を取り出す際には、このやり方では稚拙すぎる。もうちょっと内容を確認してみないといけない。

2017年10月30日月曜日

青年 ~徳とは何か~

20年ほど前に文学賞に応募したもの。43000字に及ぶ長編なので、時間のあるときにでも読んでくれれば。

ただ、区切りとしての章とかがないので、何回かに分けて読むときは不便かも知れない。記事を分けたりした方がいいのかも知れない。

テキストデータだから、ちょっとくらい長くても読み込みにたいした時間はかからないとは思うけど、読み込みが遅いとかの問題があれば、教えてもらえれば対応しようと思う。

2017年10月29日日曜日

ブログを始めて三ヶ月。明日で100記事目。これからの方針について

ふとした思いつきで始めたこのブログ。開設したのが724日。すでに三ヶ月を経過し、この記事で99記事目。明日で100記事になる。

初心者ブロガー向けの心得として、とりあえず100記事書くことを目指そうというのをよく見かけた。私も一段落を迎えるので、ここらで一息このブログについて語ってみようかと思う。

2017年10月28日土曜日

統計に注意-傾向と原因の問題。そうなる人とそうならない人の差

世の中では様々な出来事が起きる。その原因を突き止めるのはとても大変だ。

別な機会にまた記事にしようと思うが、究極的には原因を明らかにすることは不可能と言っていい。リンゴが木から落ちる原因を重力に求めるのが普通だが、重力の存在を証明したという話は知らない。

突飛な話ではあるが、実際のところ重力などという当たり前のものすら、本当にあるのかどうかは分かっていない。そうしてみると、物事の原因などというものは、そう簡単に分かるようなものではないことになる。

が、今回はその問題そのものではなく、統計的データから原因を知ろうとすることの難しさについて語ってみる。

2017年10月27日金曜日

不安と虚栄と憎しみ。邪悪を生み出す三つの根源

15年ほど前だろうか。私が今よりも様々なことについて考えていた時期にたどり着いた答えがある。

人間社会に特徴的な、様々な悪や不正が存在する。これはいったいどこから来るのか。人間にそれをなさせる力は何なのか。

それが、これから語る三つだと考えている。人は何であれ、これら三つの力によって悪を行わされるのだと。

2017年10月26日木曜日

DOTA2初心者が贈る、DOTA2初心者向け基本戦略(3)

DOTA2の初心者向け講座の第三回。今回は、序盤のレーンでの基本方針について。

序盤の頑張りが中盤、そして終盤まで影響を及ぼすので、序盤を効率よく勧めることはとても重要だ。

2017年10月25日水曜日

DOTA2初心者が贈る、DOTA2初心者向け基本戦略(2)

DOTA2初心者向け講座第二回。今回は、初心者に向いたヒーローの選び方について。

前回の記事はこちらなので、まだの人はどうぞ。DOTA2初心者が贈る、DOTA2初心者向け基本戦略(1)

2017年10月24日火曜日

DOTA2初心者が贈る、DOTA2初心者向け基本戦略(1)

復帰してからメインヒーローをCrystal Maidenに変えた。なんかすごく勝ちやすい。生きてるだけでサポートができるおかげか、今のところ勝率が2/3になっている。まだ20戦程度だけど。

さて、私はまだまだ初心者だから、個々の戦術やテクニックは全然使いこなせていないが、このゲームが目指している方向性の基礎は理解しただろう。

多分、ゲームを始めたばかりの人はそれすらもまだまだ理解できていないだろうから、誰も教えてくれない、当たり前も当たり前の諸々を解説していこうと思う。

2017年10月23日月曜日

毎晩じんましんに起こされるので薬を買いに行った話

もうそろそろ一ヶ月くらい経つだろうか。ここのところ、毎日じんましんが出るようになってしまった。どうやらアレルギーによるものらしいのだが、いっこうに治まる気配がない。

こうしてこの記事を書いている現在も、体がかゆくて眠れないので、仕方なく起き出した。睡眠妨害もいいところだ。

というわけで、今回はこの困ったじんましんの話でも。

2017年10月22日日曜日

将棋ソフトの発展と、人間の可能性について

今年の竜王戦第一局で羽生棋聖が先勝を収めた。永世竜王獲得は厳しいかなと思っていたけど、これで実現に一歩近づいた。

ここで落とすのではやはり今はもう及ばないという心配があった。

さて、昨今では将棋ソフトの実力は人間を遙かに超えてしまっている。しかし、これが人間にとって絶望的な話岳とも思えないので、そのあたりをちょっと語ってみよう。

2017年10月20日金曜日

頭が悪くても学者にはなれるんだなぁ

ニコニコ動画に面白いニュースが掲載されていた。

バカほど「それ、意味ありますか」と問うと言う記事で語られている内容があまりにも酷いので、ちょっとこれを読み解いてみよう。

これで博士だというのだから、学者が自称インテリなどと言って馬鹿にされるのだろう。

人間性の根源としての感情。意志や理性よりも強いもの(2)

感情・意志・理性、倫理と欲求。人間の心的五大機能のうち、どれが人間性の中核を担っているのかという話の続き。

まだの人は、先に人間性の根源としての感情。意志や理性よりも強いもの(1)を読んでおいてほしい。

2017年10月19日木曜日

人間性の根源としての感情。意志や理性よりも強いもの(1)

人の心的機能を大きく三つに分けると、感情・意志・理性になる。分類しきれないものがあるので、倫理と欲求を付け足すと、五大機能となる。

私はいたって理性的な人間であり、常に判断を重視し、冷静であることが重要だと思っている。冷静さとは、感情に乱されず、理性的に判断できることをいうのだから、私にとって理性が重要な者なのは当然だろう。

しかしながら、私はこれら五大機能において、最も強い、根源的な力は感情だと考えている。言わば、感情を立憲君主として、四天王がそれを補佐するような形だ。

2017年10月18日水曜日

DOTA2初心者がまず最初に頭に入れておくべき事

半年ほど休止していたDOTA2を再開した。そこで、初心者である私から、初心者に向けて、あるいはこれから始めてみてもいいかなと考えている人に向けて、一番大事な心構えを解説しておこう。

なにぶん私が初心者なので、ゲーム内での具体的なスキルや戦術については多くを語ることはできないが、これはこのゲームのうまさとは無関係のことなので、私が語るのも筋違いではないだろう。

2017年10月17日火曜日

ゲームと攻撃性の関係。ゲームでは攻撃が優先されるのはなぜか(2)

ゲームでは攻撃偏重になりやすい。これはゲームというものの作りがそうになっているからな分けだが、その話の続きをしよう。

攻撃と防御は何が違うのか。どうして人は攻撃することを望むのか。


2017年10月16日月曜日

ゲームと攻撃性の関係。ゲームでは攻撃が優先されるのはなぜか(1)

今回はゲームと攻撃性について語るが、これは「ゲームをすると攻撃的な人間になる」というような話ではない。

それはそれで語るべき事かも知れないが、今回扱うのはゲームなどを初めとして、攻撃と防御では、なぜ攻撃が優先されやすいのか、だ。

老獪という言葉があり、歳を取った者特有と考えられる戦法は、だいたい防御的だ。徹底的に攻撃的な戦法を老獪と言い表す場面は、見たことがない。

これはどういうことなのか。

2017年10月15日日曜日

平気で暴力をふるう脳-氏か育ちか論争に決着を付けるために

この本を最初に読んだのは何年前だったか。確か、日比谷図書館に入ったときに、たまたま手にとってパラパラと読んでみたのが最初だった。

流し読みではあったが、内容は理解できた。なるほど、動物の攻撃性というのはホルモンの影響を受けるらしい。

『利己的な遺伝子』などで、唯物論的な考え方には慣れていたが、自由主義者であった私としては、脳による支配というものは、すんなりとは受け入れにくいものだった。

それから数年後、やはりどこかへ出かけた際に書店で見かけたので買って帰った。

この本の主題は氏か育ちか論争であり、それに決着を付けるのがテーマだった。

2017年10月14日土曜日

知性の価値。頭の悪い人間に価値はあるのか

私はいくぶん口が悪い。すごく悪いだろ、と言いたくなる人もいるかも知れないが、私はそれほど罵倒はしない。

私が直接悪口を言うのは、考え方を間違っている相手ではない。間違った考え方を正しいと思い込み、他者にもそれを押しつけようとしたり、他者を非難していたりする場合に限られる。私の基本理念は「人は間違いを犯すもの」だから、失敗を責めることはない。

しかしそういう姿勢は端からは分からないものだし、私が知性を重んじていることは見れば分かるだろう。だから、頭のよくない人間に対して、私が何か悪い印象を持っているのではないか、馬鹿にしているのではないかと思うことは自然な流れだと思う。

実際、私の従兄弟の子供にもそのように思われていたようだ。そいつは確かにあまり頭はよろしくない。学業は全然だったし、いろいろと基本的な物事を知らない。知性においては、私には遠く及ばないだろう。

だが、だからといって馬鹿にしたことはない。これは本当だ。

2017年10月13日金曜日

デカルトの有名な「我思う。故に我あり」は、ちょんぼだと思う

哲学を知らない人でも、哲学者の言葉を知っていたりすることはある。有名な言葉は時に引用されるので、耳にする機会もあるのだろう。

それだけに言葉だけが一人歩きしてしまい、本来の意味からずれてしまうこともある。この言葉もその一つだ。

今回はまず、言葉の意味を説明し、一般的な誤解を解いた上で、デカルトの考え方はおかしいのではないかという話をしてみたい。

2017年10月12日木曜日

マスターアジアの憂鬱。人間も自然の一部だという陳腐な慰め

私はかつて自然崇拝者だった。自然を神聖なものと考えていた。

物語にも自然崇拝者というのは出てくる。基本的に、なんであれ極端な考え方の人間というのは騒動を起こすのだが、やはり自然崇拝者というのも例外ではない。

ただ、根は悪党ではない。少なくとも、私利私欲のためではなく、理想や正義、信仰によって起こすことなので、共感する人間がいないわけではないだろう。

例えばGガンダムに出てくるマスターアジアなどもその一人だ。その強烈な個性と思想故に、ただのやられ役としてではなく、むしろ第二の主人公のように愛されている。

最終的に、「人間もまた自然の一部だ」という思想に触れて、改心して死んでいくのだが、事はそれほど単純ではない。こんな言葉では救われない。

2017年10月11日水曜日

World of Tanksの都市伝説。勝率調整について

だいたいチーム戦のゲームというのはどれもこれも似たようなものかも知れないが、WoTにも不思議な考え方をする人がたくさんいるようだ。

WorldofTanksの話。Noobのせいで成績が落ちる? とんでもないでは、「負けたら味方のせいだが、勝ったら自分のおかげ」という考え方を紹介した。

今回は、「自分の勝率は、運営会社に操作されている」というものを語ってみよう。

2017年10月10日火曜日

絶対言語という幻想。正しい言葉の使い方

私もアマチュアとは言えライターの一人だから、言葉の使い方にはこだわりがある。様々な記事を目にしては、「この表現はおかしい」とか、「この言葉は、こういうときに使うものではない」と突っ込みを入れる。

しかし同時に、「言葉は意思を疎通するための道具にすぎないのだから、伝わればいい」という考え方を支持している。現代風の表現にも、ら抜き言葉にも寛容だし、テストで点をもらうための言葉遣いには興味がない。

が、今回はそういう意味での「正しい言葉の使い方」とは違う主題を扱う。

今回のテーマは絶対言語。文脈によらず、常にある言葉が一つの意味で解釈されるような体系のことだ。このような言語があれば、我々はその言葉を用いて、文脈や行間から解放されて、意思の疎通を図ることができる。

だが、そんなものは存在しない。

2017年10月9日月曜日

証明の限界。社会的に合理的な判断の必要性

後回しにしていた話をしよう。ろくでなし子裁判から考える、わいせつの定義の必要性(2)で触れた内容だ。

裁判では、「社会的に合理的な判断」なるものが出てくる。これは、人によって考え方が異なる。何が社会的に合理的か、そうでないか、という判断は明確に定義されていない。

当然、裁判官によっても違う考え方をすることがある。

さて、そのような曖昧な判断が裁判に入り込んでもいいのだろうか? もし、これを排除したらどうなるのだろうか?

2017年10月8日日曜日

ギリシア人の物語-古代ギリシアの短距離走(2)

塩野七生の『ギリシア人の物語』の紹介記事。ギリシア人の物語-古代ギリシアの短距離走(1)の続きになる。

民主制を完成させたことで戦争にも強くなったアテネだが、結局はスパルタに敗北してしまう。一時は隆盛を誇ったアテネがどうしてスパルタに、よりにもよって海戦で負けたのか。

一般には衆愚政のせいとされているが、本当にそうなのか。そのあたりを語ってみたい。

2017年10月7日土曜日

ギリシア人の物語-古代ギリシアの短距離走(1)

今年の夏、暑い時期は図書館に避難した。予想最高気温35度とか言われると、エアコンのない家にいるのはつらいものがある。

今時、扇風機とコタツだけで夏と冬をやり過ごす人は、あまり多くはないようだ。

その時期に、『ギリシア人の物語』を読んだ。これは『ローマ人の物語』の作者である塩野七生が書いたもので、まだ二巻までしか出ていないようだ。ローマ人の物語は、確か一通り読んだと思う。終盤、ごちゃごちゃしすぎていて、頭に入っていないのだが。

なかなか面白かったので、ここで紹介してみようと思う。

2017年10月6日金曜日

Bloggerユーザー向け。Googleアドセンス審査の経験談(2)

Bloggerユーザーがアドセンスを利用できるようになるまでの話。

前回の記事はBloggerユーザー向け。Googleアドセンス審査の経験談(1)にあるので、こちらもどうぞ。今回はいつまでも動きのなかった再申請が、やっと動いた話。

2017年10月5日木曜日

Bloggerユーザー向け。Googleアドセンス審査の経験談(1)

ようやく私もGoogleアドセンスのアカウントが有効になったので、201710月時点での情報を実例として紹介できる。

アドセンスの審査の話はいくつものサイトで解説されてはいるものの、Bloggerユーザー向けとなると極端に情報が少ないように思うので、これが貴重な一例となれば幸いだ。

2017年10月4日水曜日

進化と適応について。適応進化という概念の難しさ(2)

進化と適応について。適応進化という概念の難しさ(1)で、進化と適応についての簡単な説明を済ませた。

それでは、適応進化について語ってみよう。そして、適応とは何か。いつ適応か否かが判断できるのか、疑問を呈してみる。

2017年10月3日火曜日

選挙権の使い方を知らない人たち

今朝のニュースで、今度の衆院選に対して積極的棄権を募る署名活動が報じられていた。好きでもない党に投票するのはばかばかしいから、署名を集めて議会に一言言ってやりたい、という趣旨らしい。

当然、そんなことをして何になるのかという指摘があるようなのだが、私も同感だ。それに何の意味があるのか、どういう有効性があるのか、さっぱり分からない。

人々はもっと、選挙権というものを有効に使えばいいのに、と思ってしまう。

2017年10月2日月曜日

進化と適応について。適応進化という概念の難しさ(1)

まず軽く、進化とは何か、適応とは何かという話をしよう。これらの言葉は一般の認識と、生物学での定義ではずいぶん異なっている。

世間ではよく発展や成長のことを進化と呼ぶが、その用法は生物学からはだいぶ離れたものになる。

2017年10月1日日曜日

仕事を辞めたときの話(4)

まさか、4記事分になるとは思わなかったシリーズも最終回。

私が最後に長期の仕事を辞めたときの話になる。ちなみに前回の記事は仕事を辞めたときの話(3)をどうぞ。

2017年9月30日土曜日

仕事を辞めたときの話(3)

私の昔話シリーズ、その3。その2仕事を辞めたときの話(2)

ニートが長いけど、いくつかこういう経験もあったりする。

2017年9月29日金曜日

仕事を辞めたときの話(2)

私がいくつか経験してきた、仕事を辞めたときの話の続きだ。前回の記事は仕事を辞めたときの話(1)を読んでほしい。

2017年9月28日木曜日

仕事を辞めたときの話(1)

私は基本的にニートだが、何度か働いたことがある。

先日、ランサーズのライター業務で初めて、依頼の途中で仕事の終了をお願いした。相手に非があったわけではない。あるとすればこちらにあるのだろう。

ただ、書くもの書くもの手直しされて、原形をとどめないこともあったりすると、私はいったい何のために作業をしているのだろうかと悩んでしまった。

別に、クライアントが勝手に修正してくれるわけであって、私の負担は変わらないし、何も言われていないのだから気にしなければいいという考え方もあるかも知れない。

が、気になるものは仕方がない。一応生活費の足しにはなるとは言え、そこまできっちりビジネスとしてやってるわけでもない。半分くらい趣味だから、お金さえ予定通りもらえればそれでいい、というわけにもいかないんだ。

ふと、以前にやっていた仕事を辞めたときのことを思い出したので、ちょっとそのときの話を書いてみようかと思う。

2017年9月27日水曜日

World of Tanksの話。Noobのせいで成績が落ちる? とんでもない

最近ゲームの話が続いてるけど、やっぱり書きやすいので仕方がない。今回は、ゲーム一般の話題ではなく、WoTについて。

WoT1チーム15人で対戦する戦車ゲーム。当然のごとく、すさまじくうまい人もいれば、操作自体おぼつかないような初心者もいる。

難しいゲームなので、初めのうちは下手でもどうしようもないが、数千戦する頃にはある程度上達するのが普通とされている。

が、そこまでいってもへったくそなままの人をNoobと呼ぶのだが、これらNoobのせいで自分たちの成績が落ちると考えている人が大勢いる。

それは違う。Noobさん達は我々の成績を上げてくれるありがたい存在であって、下げるだなんて誤解も甚だしい。

2017年9月26日火曜日

訓練の効率化。ゲーム上達のための基本方針(4)

ゲームがうまくなるための基本方針もこれで4記事目。そろそろ、この話題も終わりだろうか。

今回は、うまくなりたいと思ってはいるものの、他のプレイヤーに追いつくことができずにへこんでいる人向けの記事だ。

2017年9月25日月曜日

訓練の効率化。ゲーム上達のための基本方針(3)

ゲームで上達するにはどういう方向性がいいのか、と言う話の第3回。

今回は、他の人のプレイを参考にするときの心構えについて語ってみる。

2017年9月24日日曜日

ニートが働くと失業率が低下するからくり

世の中ではニートは目の敵にされている。気持ちは分からないではない。別に、私を労れとは言わない。

だが、ニートのせいで失業率が下がらないと言っている人たちは目を覚ました方がいい。別に、ニートが働いたからといって失業率は変わらない。

いや、実は確かに失業率が下がるんだが、それはちょっと間接的な意味合いになる。

2017年9月23日土曜日

保証のない世界。確実なものなどこの世に存在しない

「世の中すべて分かってる系」にならないための特効薬で、私は「矛盾しない全ての可能性を認める」と書いた。

しかし、どんな可能性でも認めるとなれば、私はいったいどうやって行動すればいいのかと、疑問に思う人がいるかも知れない。

買い物に出かければ車にはねられるかも知れない。通り魔に襲われるかも知れない。ご飯を食べれば食中毒になる可能性もあるし、青酸カリが入っていないとも言い切れない。寝てる間に放火されない保証がどこにあるだろう?

すると私は核シェルターの無菌室にでも籠もっていなければならないという考えもありそうなんだが、それは全然違う。むしろ、話は全く逆になる。

2017年9月22日金曜日

学歴社会の本質。人は学歴に何を期待し、学歴は何を保証するか

世の中では、学歴論争は盛んだ。

学歴によって人の能力が保証されるとか制限されるとか、だいたいどのくらいの能力かが判断できると考える人は多い。

実際のところ、学歴が保証するのは何なのか。なぜ世間では学歴が重視され、それを重視することに、どんな価値があるのか。

ただし今回、私個人については触れない。中卒で相対性理論の議論をする人は普通はいない。学歴にかかわらず、ほとんどの人はそういう議論はできない。

そこで私という一例から学歴の意味を考えるというのは、特殊な例から一般性を引き出すような不用心さを感じるからやらない。

2017年9月21日木曜日

誰にも政治を任せないために。権力分散のための投票戦略

そろそろ衆議院が解散すると言われている。また選挙シーズンがやってくるのだろう。

さて、選挙に行かない人は多い。その人達の一般的意見は、「政治を任せたい人がいないから投票しない」だ。

私はこれはおかしいと思っている。政治を任せたい人がいないと言うことは、誰にも政治を任せたくないという事じゃないんだろうか? ならばどうして、誰にも政治を任せないですむように投票しないのだろう。

今回は、私のここ10年ほどの基本方針である、権力分散のための投票戦略を解説する。

2017年9月20日水曜日

訓練の効率化。ゲーム上達のための基本方針(2)

ゲームを上達するためにはどうやって練習したらいいか。効率的な訓練方法。ゲーム上達のための基本方針(1)の続きとなる。

初心者は初心者らしく、わかりやすく簡単なものから始め、楽しみながら続けるのがよいという話をした。

最初からたくさんのことを、一度に覚えようとはしない方がいいと語ったわけだが、ではたくさんのことを覚えることには意味が無いのだろうか?

そんなはずはない。

2017年9月19日火曜日

訓練の効率化。ゲーム上達のための基本方針(1)

私はゲーマーだ。小学生の頃からファミコンをやり、今までにやったことのあるゲームは数え切れない。

だが、あんまりうまくはない。特に、アクションゲームはかなり苦手だ。シミュレーションゲームであれば、Victoriaの輸入禁止だとか、Steel Panthers World at Warでの対人戦など、難しめのこともこなしてきたが、アクションとなるとさっぱりになる。

だが、それでも少しずつは上達したし、多少の活躍の経験もある。

そこで、ゲームで上達するためにはどうしたらいいのかという、基本的な方向性について語ってみたい。

2017年9月18日月曜日

関心のある振りをする人々。いい人ぶりたいのか、他人の悪口を言いたいのか

世の中では様々な事件が起きる。それに対して口々に非難が述べられ、罵倒し、怒りがぶつけられる。死刑にすべきだとか、死んでしまえだとか、相当ご立腹のように思われる。

だが、彼らは何もしない。テレビに対して、ネット上のコメント受付機能に対して、言いたいことを言ってしまえば満足するのか、社会活動に結びつく人はほとんどいない。

なぜなのか? どうして、何もしようという気にならない程度にしか関心がないのに、関心がある振りをするのか。

2017年9月17日日曜日

名前しか連呼できない選挙カーの陰謀。誰が得をするのか

選挙シーズンになると、周辺を走り回り、騒音という公害をまき散らす害悪。選挙のためならばある程度我慢するという人でも、ただ候補者の名前を連呼するだけでは、いらだちが募るばかりだろう。

今回の記事は、陰謀論とも言える。私は基本的に陰謀論などというものには耳を貸さない方だが、時にこのようなことも考えてしまう。あの選挙カーは確かに、候補者を当選させるために役立っているのではないかと。

どうしてそうなるのか、語ってみよう。

2017年9月16日土曜日

光速度不変とは何か。その意味と不気味さ、アインシュタインを驚かせたもの(2)

速度というものは、ある二つの間の関係であることを述べた。さて、それが光速度不変とどう関係するのか、話を進めよう。

そして、光とはまるで幽霊か何かのような不気味さを感じてもらえたら幸いだ。


2017年9月15日金曜日

光速度不変とは何か。その意味と不気味さ、アインシュタインを驚かせたもの(1)

相対性理論について学ぼうと思えば、避けて通れないのが光速度不変。相対性理論はまずここから出発するものなので、当然そうなる。

これについては、様々な解説書があると思うんだが、どれもこれもいまいち分かりづらい。何よりも、不変の速度を持つということがどういう意味なのか、わかりやすく解説していたものは読んだことがない。

そこで、光速度不変が何を意味するか、光というものがどれだけ奇妙な存在なのか、解説してみよう。

2017年9月14日木曜日

クラウドソーシングにおけるライターの報酬安すぎ問題について(2)


クラウドソーシングでのライティングの報酬が安いため、人によってはこういった仕事を規制するべきだということもある。それによってライターの収入を保障するべきだと。

とはいえ、私としてはそのような規制をしても仕事の総量が減るだけで、ライターが儲かるようになるわけではないと思うし、実際のところ現状はそれほど悪い状態ではないと思っている。

2017年9月13日水曜日

クラウドソーシングにおけるライターの報酬安すぎ問題について(1)

クラウドソーシングの闇は深い。どのくらい深いのかは分からないが、そのうちの一つがDeNAのキュレーション問題として露呈した。

が、クラウドソーシングの闇はそれ一つでもないようだ。たとえば、ライターの報酬が安すぎると言うことはそこかしこで取り上げられている。しかし、こっちについては私はあまり問題にしていない。別に、これはこれで、と思っている。

というわけで、一年ちょっとクラウドソーシングでライティングをしてみた人間として、この問題を扱ってみたい。

2017年9月12日火曜日

将棋の話。今度の竜王戦は楽しみだな

私は将棋をする。ただし、人と対局したことはない。昔、家族とやったのを除けば。

私が戦法とかをまじめに覚えるようになったのは、二年ほど前だろうか。フリーの将棋ソフトをもらってきたのが最初だった。

今回はちょっとばかり、趣味の話をしてみよう。

2017年9月11日月曜日

論理学-すべての学問、思考、議論の基礎として

これから紹介する本は、非常におすすめだ。紹介などするくらいだから、そりゃお勧めなんだろうという、当たり前の意味を超えておすすめだ。

これまで、私が他者にお勧めした回数が最も多い本だ。しかし残念ながら、ただの一人も「じゃあ、読んでみるよ」とは言ってくれなかった。

ま、まぁ、難しい本だし、読むの大変だから仕方ない。でも、ものを学んだり考えたり、人と言い争いなどをしたいなら、このくらい読めないようで話しにならないと思うんだけども。

2017年9月10日日曜日

素朴な疑問と予想。どうしてアフィブログの背景はみんな真っ白なのか

私がこのブログを始める前、ブログの作り方とか、アフィリエイトの始め方とか、いろいろと調べてみた。その時から一つ気になっていることがあった。なぜみんな背景が白いのか。

そりゃまぁ、それは見やすい配色だからと言うのは分かる。しかし、そこまで100%の割合で一緒じゃなくたってよくない? しかし、自分でブログを始めてみて、気づいたことがある。もしかすると、アフィブログの背景は白じゃないとダメなのかも知れない。

2017年9月9日土曜日

寿司のシャリ抜き論争。自分にとってのあたりまえを、他人にも押しつけたがる心理

私は自分の流儀を他人に押しつけることが嫌いだ。

今回は、たびたび問題になる、寿司の食べ方を取り上げよう。ネタ部分だけを食べて米を残す人たちがいる。これがしょっちゅう非難されているのだが、私はこの非難は筋が通らないと思っている。

そしてこれらの問題は最終的に「こうしてほしい」を「こうするべき」にすり替えてしまう心理に繋がるというのが、私の見立てだ。

2017年9月8日金曜日

質問に質問で返すなという詭弁。人にものを尋ねるなら、まずてめえが先に答えろよ

よく言われることだが、「質問に質問で返してはいけない」というのがまかり通っている。だが、こんな考え方はおかしい。

このような主張を認めてしまっては大変なことになる。話し合いというものを公正に行うならば、質問に質問で返すことは当然のことと見なさなければならない。

2017年9月7日木曜日

ニートが陥りやすい悩み。生まれた意味とか理由とか・・・そういう無駄なことについて(2)

生まれた意味があったとしても、それには意味がない。ならば、どうして生まれた意味などを求める必要があるのだろうか。

そもそも、なぜ人はそういうものを求めてしまうのだろうか。


2017年9月6日水曜日

ニートが陥りやすい悩み。生まれた意味とか理由とか・・・そういう無駄なことについて(1)

これは別に、ニートに限定した話ではない。人々は人生論的な悩みを抱えてしまいがちだ。ニートが特別陥りやすいのは、単純に、悩みの種がほかより多いからだろう。

私はもう、そういった悩みとは無縁だけれども、最初からそうだったわけではない。おそらく、そういう悩みの経歴や、経験では、私はほとんどの人の大先輩に当たる。だから私から、少しばかり心得を手ほどきしてあげようと思う。

2017年9月5日火曜日

「こうしてほしい」を「こうするべき」にすり替えてしまう心理

世の中の至る所で見かける典型パターンの一つに、希望を義務にすり替えるというものがある。

「こうすればよかったのに」を「こうするべきだった」と語る場面なら、日に一度くらい見かけられるんじゃないだろうか。

なぜ人は、自分の個人的希望を、社会全体の義務であるかのように語ろうとするのだろうか。

2017年9月4日月曜日

経験のない人間は口を出すなと言う詭弁

世の中では「経験のない人間は口を出すな」という主張が幅をきかせている。多くの人が、この言葉に説得力があると思い、正しい意見のように感じているようだ。

だが、こんなものはばかばかしい言い分であり、口を出すのにいちいち経験など必要とはしない。そうでなかったら大変なことになってしまう、ということを語ってみよう。

2017年9月3日日曜日

ヒステリックな著作権(2)


昔はおおらかだった著作権の扱いが、今では一般の人々にヒステリーを起こさせるまでになっている。それは何故なのか。どうしてこうなってしまったのか。

2017年9月2日土曜日

社会を構成する力としての承認欲求

人に認めてもらいたい、というのが承認欲求だ。これはたいてい誰にでもあるし、その思いはとても強い。

人々が何かをなすのは、なすことそのものよりも、それによって賞賛され、評価されることの方を望んでいるのが普通だ。

人々は承認欲求を満たすためにこそ活動するのであり、承認欲求の満たされ具合をコントロールするのが社会制度の本質と言ってもいいくらいだ。

2017年8月31日木曜日

不正行為を行っている相手だからと言って勝手に暴力を振るってはいけない

世の中ではたびたび問題になるが、個人が勝手に人に暴力を振るって処罰することがある。やっている本人としては、正当な罰なのだろう。だが、そんな権限は与えられていない。

不正を犯す人間に対しては、警察を呼ぶなりなんなり、正規の手続きを踏んで対処しないといけない。どうしても我慢できずに手を出すなら、それが違法であることは自覚が必要だ。

ヒステリックな著作権(1)

いつの頃からだろうか、著作権の侵害というものが重く見られるようになった。いや、それ以前は許されていたというわけではないのだが、ある時期を境に格段と口うるさくなった。

今では著作権を守る意識はそれなりに高まり、それ自体はいいことなのだが、一部ではヒステリーも見られるようになった。

何故このように変わってきたのか。今回はそれを語ってみよう。

2017年8月28日月曜日

統計に注意-たった一つの統計データから原因を引き出すのは非常に危険

統計データの扱い方に対する注意喚起記事第二号。

世の中には統計データがあふれているが、そこからの情報の引き出し方があまりにも雑すぎて呆れかえるばかり。

もうちょっと、慎重に統計と向き合ってもらうため、今回は統計から原因を引き出すことの難しさを解説してみる。

24時間テレビはチャリティー番組として有益なのかどうか

チャリティー番組として銘打っておきながら、出演者に多額の報酬が払われているという24時間テレビ。それのどこがチャリティーなんだよというツッコミを受け続けている。

一方で、多額の寄付がされているのだから、立派なことをしているわけだし、ないよりいいんだからそこは評価してあげようよ、と言う意見もある。

が、この問題を解決する理屈として、それでは単純すぎるのでもう少し深く考えてみよう。

性差別について。男女平等論について(2)

男女差別論者のいう「女は馬鹿だ。無能だ」という言葉が、どれほど強く、その人自身を傷つけているかを見てみよう。

彼らは・・・男だけとは限らないのだが、女性蔑視の思想が、結果的に男性蔑視に繋がってしまうことを見落としている。

2017年8月27日日曜日

性差別について。男女平等論について(1)

多くの文化では、男尊女卑が続いてきた。この傾向は現代でも依然として残っており、「どうして女は馬鹿なのか」という問いが、意味のある問いのように語られている。

生物学的に見ても男女には違いがあることが立証されているし、男女には差があるのだから、平等に扱う必要はないといった、ごくごく単純な、アホらしい主張もある。まずはこういった低レベルのものを片付けてみよう。

2017年8月26日土曜日

現状維持という思考停止

日本人というのは、国民性として、変化を嫌う。変化を嫌う人というのはどこの国のどの時代にもいるはずだが、日本人はその勢力が強いように感じている。

こういった、変化を嫌う人は現状維持派に分類されることになるが、現状維持派というのは特に何も考えてはいない。ただ、いつもと違うのが嫌なだけ。もうちょっと物事を考えたらどうかとは思うが、そういう人種なので仕方ない。

2017年8月25日金曜日

哲学の謎-私が一番好きな本

そういえば、ここはアフィブログだった。少しは商品の紹介とかして、売り上げを出しておかないといけないのではないか。

というわけで、本を一冊紹介しよう。私が一番好きな本だ。誰にでもおすすめできる。それこそ、すべての地球人に。

2017年8月24日木曜日

ブログを始めて一ヶ月。報告とか、感触とか

先月の24日にブログを作成したので、ちょうど一ヶ月が過ぎたことになる。というわけで、軽くここ一ヶ月を振り返ってみようと思う。

このブログの基本的姿勢とか、今後の方針なんかも書いておくので、お暇な方は目を通しておいてくれるとありがたい。

2017年8月23日水曜日

能力主義と成果主義の違い。なぜ人は人を正しく評価できないのか

私は能力主義者だ。当然、年功序列などは嫌いだ。年功序列がどういうものかは、またいずれ書くこともあるだろう。

今回は、似たようなものとして扱われている、能力主義と成果主義の違いについて語ってみる。

2017年8月22日火曜日

統計に注意-就職氷河期でも就職率92.8%のトリック

私は常々、統計データの扱いには注意を呼びかけている。統計というのは便利な手法だが、扱いには慎重さが必要だ。

しかし多くの人々は統計データの扱い方を全く心得ていないし、データが意味する内容を確認しようという意識を持ち合わせていない。

今回は、「嘘はついていないけど、誤解させる手法」を元に、統計データに対する扱いの改善を訴えてみよう。

2017年8月20日日曜日

社会的改善を求める人に、自分が先にやれというのはおかしい

社会に対する改善要求はたくさんある。変化を拒む人や、揚げ足取りをしたい人などは、「先に自分でやってから言え」と主張したりする。

しかし、別にそんな必要はない。先に自分だけやっておかなければいけないなんてことはない。軍縮であれ、賃上げであれ、それは他勢力と足並みを揃えてやるべきものだ。

ニコニコ動画のニュースで、中日新聞の社説の記事が掲載されていた。違和感を覚えたので、これについて語ってみる。

ろくでなし子裁判から考える、わいせつの定義の必要性(2)

ろくでなし子裁判から考える、わいせつの定義の必要性(1)で、定義されていないものなんかたくさんあることを述べた。

そのため、私はわいせつも無理して定義する必要はないし、わいせつ物にしか見えなければわいせつ物として扱ってかまわないと思うわけだが、この考え方に問題がないわけではない。その辺も解決しておこう。

2017年8月19日土曜日

「世の中すべて分かってる系」にならないための特効薬

なにやら、「世の中すべて分かってる系」なる人々がいるらしい。ちょっと、呼び名が長いので、カエル系とでも縮めて呼んでくれればありがたいんだが、これで定着してしまうんだろうか。

さて、私も世界を語っているくらいだから、世の中すべて分かってる系の一員だと思う人もとても多いと思う。だが、それについては断固として否定させてもらう。私は、この種の人々とは、最も遠いところにいる。

2017年8月18日金曜日

ろくでなし子裁判から考える、わいせつの定義の必要性(1)

ろくでなし子という人が、わいせつ物陳列罪などで訴えられた事件は、結構広く報じられており、知っている人も多いだろう。

ここでは「わいせつとは何か」という定義が問題とされ、それが未定義であることによって、わいせつとして裁くことの不当性を訴える人はかなり多いように見える。

しかし私は、そんなに厳密にわいせつを定義する必要はないし、「どう見てもわいせつ物だからわいせつ物として扱う」ということは、自然なことだと考えている。

2017年8月17日木曜日

敵兵に自宅まで攻め込まれたら降伏するほかはない

なにやら、反戦思想の芸能人の発言が問題になっているらしい。ここでの重要なテーマは愛国心だが、この問題はまた機会を改めて書くとしよう。

今回は、「もし自宅まで敵がやってきたらどうしますか」という問いに対して、「銃を捨てて手を上げて握手を求める」というのがいかがなものかという点を扱ってみる。

ウルティマオンライン-月を割ったのは誰なのか

私が最初にやったMMOがウルティマオンライン(UO)だった。MMO界の伝説として語り継がれているが、実はまだ運営はされているようだ。

思い出話と共に、UOの特徴である対人システムにまつわる話をしてみよう。

2017年8月16日水曜日

対案は必要ない。あったらありがたいが

世の中ではよく、ある種の非難に対して「じゃあ対案を出せ。出せないなら黙ってろ」という主張が出てくる。主に政治の舞台などで使用される場面が多いかと思うが、もっと身近な生活の場面ででも見かけるだろう。

実際のところ、対案などがなくても非難はできるし、非難することは正当だ。対案がないから黙っていなければならないなんてことはあり得ない。

2017年8月15日火曜日

自作の推理系フリーゲーム紹介。病室検事 伊達天三郎

最近新しいのが完成してないんだけど、私はいくつか同人ゲームを作ってきた。その中の一つ、フリーの推理ゲームを紹介しよう。

私は流行とか何それおいしいの? って感じだから、メインの登場人物はおっさんだけど、検事が主人公だと、このくらいの年齢になるのが普通だろうってことで、その辺は仕方ない。

2017年8月14日月曜日

スライムの殺戮を楽しむことを心配するのは、本当に不自然だろうか

ゲームや漫画など、虚構の世界での描写をリアルに結びつけて考える人々は、一定数いる。そういった作品を好む人々からは、「ゲームと現実を一緒にするな」などと言われたりするが、日本は、というか人間は、それらを完全に区別するような文化を持っていない。

ある程度仮想世界や、仮想のキャラクターを現実に重ねて見るのは当然であり、小さい頃から教わってきたことでもある。それ故に、一言で片付けられるほど簡単な問題でもないので、今回はこれを扱ってみよう。

2017年8月13日日曜日

部下が上司に従うのは当たり前だ(2)


もしかすると、ニートにしては意外に仕事の厳しさを理解している、なんて私を見直したくなる人もいるかもしれない。これなら社会でやっていけるんじゃないか、と。

あまーい。炭酸の抜けたオロナミンCのように甘ーい。あれ、すっごい甘いの知ってるか? ライフガードでもいいぞ。破裂しない程度に量を減らして凍らせて、溶け出したところを飲んでみてもいい。くっそ甘いから。

2017年8月12日土曜日

部下が上司に従うのは当たり前だ(1)

私は長い間ニートだし、人生の半分以上をニートとして過ごしているが、少しだけ働いたことがある。まぁ、一カ所で働いたのは、長くても半年なんだけどね。

あんまり俗世間での勤務内容を詳しく知らない私だが、働くと言うことのあるべき姿については考えを持っている。ニートが労働というものをどう捉えているのか、サンプルとして提出してみよう。

だからおまえはニートなんだよと、きっとみんなそう言って閉じるに違いない。

2017年8月11日金曜日

クレタ人は嘘つきだのパラドックス解決法

「クレタ人は嘘つきだ」とクレタ人が言ってしまったらどうなるのか? 有名なパラドックスとして知られ、自殺者すら出ているけれども、解決ができないわけではない。

人々の先入観、思い込みがいかにしてパラドックスを作り上げてしまうか、そのあたりを見てみよう。

2017年8月10日木曜日

危険な自民党の憲法草案。緊急事態条項で選挙がなくなる(3)


緊急事態条項が選挙を停止させ、人々から実質的に選挙権を奪いかねないものであることは述べた。この記事では、私の個人的な思いを綴ってみたい。

2017年8月9日水曜日

危険な自民党の憲法草案。緊急事態条項で選挙がなくなる(2)

現在の自民党の憲法草案が発表されて以来、私は緊急事態条項の危険性に気づき、ずっと反対し続けてきた。人々が、まだ緊急事態条項という名前すら聞かされていない頃からだ。

やっとメディアでもそれが取り上げられるようになったかと思ったら、全然視点が違う。選挙が廃止され、独裁国家になりかねないということこそが、この条項の危うさだ。


2017年8月8日火曜日

危険な自民党の憲法草案。緊急事態条項で選挙がなくなる(1)

自民党が憲法改正に対してかなりの執念を燃やしていることはよく知られている。現在用意されている憲法草案が、現在の憲法を大幅に変更しようとしていることも周知の事実だ。

たしかに様々な点で問題をはらんでいる草案だが、私が最重視している点は、なぜか未だに話題になっていない。9条に焦点を当てたい気持ちは分かる。現憲法の特徴的な部分だ。憲法でありながら国民を拘束しようとする不条理に苦情を言いたい気持ちも分かる。憲法をなんだと思っているのかと。

しかしながら、もっとも大きな危険性をはらんでいるのは、緊急事態条項であるということに、人々は気づいていない。これは、ナチスドイツの全権委任法の代わりともなり得る、独裁政権樹立のための条文となりかねない。

私はかねてよりこの条項に対して断固として反対してきたが、SNSの片隅で主張していたに過ぎないので、もう少し多くの人の目にとまるだろうこのブログでも書いてみることにする。

2017年8月7日月曜日

中ニ流、モンティホール問題解釈(2)

中ニ流、モンティホール問題解釈(1)の続きだ。直感的には納得しがたいモンティホール問題に中卒ニートが新しい解釈を与えようとしている。

ただしお断りしておくが、タイトルにもあるように、これは解釈だ。証明ではない。そこのところ、お間違えのないように。

2017年8月6日日曜日

中ニ流、モンティホール問題解釈(1)

感覚的にはすんなり受け入れられない、モンティホール問題。私も最初見たときは、直感に惑わされて、間違った答えを出してしまった。正しい答えを教えられても、すぐには納得がいかなかったのを覚えている。

それは仕方がない。数学者ですらすぐには納得がいかなかったのだから。博士、とかだよ? 数学博士ですら状況を把握するのに時間がかかったのだから、私が戸惑うのも仕方がないだろう。

私が、自分で納得のできる解釈に行き着いたのは、野宿での旅の途中だった。静岡だったかな。あのあたりをぷらぷらしているときに、ふと「あぁ、こういうことか」と腑に落ちたのだった。

今回は、このあたりの話をしてみよう。

2017年8月5日土曜日

自己責任論の行き着く果ては

自己責任というのは一般的な考え方だ。多かれ少なかれ人間はそういう考え方をする。

しかし、どこまで自己責任とするかでは、人々の態度は一致していない。その線の引き方にはいくつものパターンがあるし、線の引き方は非常に曖昧だ。曖昧にならざるを得ない。

ではもしも、線を引くことをやめて、どこまでも自己責任を認めていった場合にはどうなってしまうのか。それを見てみよう。

2017年8月4日金曜日

私は本当に中卒ニートなのか?

私は中卒ニートを名乗っているけれども、本当にその定義を満たしているのかどうか。そのあたり、一応確認をしておこうか。

別に嘘はついていないと思うし、悪い方に嘘をつく必要もないだろうけど、ある程度扱いの曖昧な部分はある。

2017年8月3日木曜日

お行儀がよすぎておぞましい人々

日本人のお行儀の良さは外国でも評判のようだ。確かにお行儀はいいかもしれない。しかし、それらの人々の心の奥底に眠る冷酷さや残虐さ、あるいは嫉妬か後悔かは、あまりに醜い。

均質性を重んじ、没個性的と言われることの多い日本人だが、自分たちの当たり前と遠い存在に対する敵意の強さのおぞましさを見ると、お行儀がいいのも考え物だなと感じる。

2017年8月2日水曜日

Googleアドセンスの謎。独自性のあるコンテンツって何よ?(2)

Googleアドセンスの審査基準では、有益なコンテンツが求められているようだ。それは、独自性のあるコンテンツ、という意味も含まれているらしい。

しかし、世にはびこる様々なサイトを見る限り、独自性のあるコンテンツというのは多くはない。こういったサイトが独自性のあるサイトを推奨するのも、何というか・・・むずむずする。


2017年8月1日火曜日

Googleアドセンスの謎。独自性のあるコンテンツって何よ?(1)

うちもほら、アフィブログとして作成したわけだから、できればGoogleアドセンスというものに登録したいと思ってる。アフィリエイトなんて全然知らなかった私でも、とりあえず、これが便利そうだと思えるくらいには有名だから。

でもまだ申請する権利すらもらえていないし、いつかもらえるのかどうかも分からないし、申請しても受理されるか怪しいものがあるが、ここでちょっと、いくつか調べて湧いてきた疑問を書いておこう。

2017年7月31日月曜日

悪魔の証明とはなにか(2)

悪魔の証明についての解説、第二回。悪魔の証明とはなにか(1)の続きとなる。

悪魔の証明というのがどうして非難されやすいのか、その一般的な理由は解説したけれども、まだ足りない。実際のところ、悪魔の証明が嫌われるには別な理由がある。

非存在証明をすることの正当性を述べると共に、悪魔の証明が嫌われる隠された理由についても語ってみよう。

2017年7月30日日曜日

悪魔の証明とはなにか(1)

さて、前回私は全能の神が存在しないことの証明をして見せた。しかし、人によっては訝しむかもしれない。「存在しないことは証明できるはずがないのだから」と。

一般的に、かなり広い範囲で、「存在しないことは証明できない。それは悪魔の証明だから」と考えられているようだ。しかし、実際のところ存在しないことは証明できるし、めんどくさいし手間がかかるし難しいのが基本だが、そんなに特別な証明ではない。

そこで、世の中に広まる悪魔の証明に関する誤解を解くために、いろいろと書いてみよう。まずは悪魔の証明が非難される理由から。

2017年7月29日土曜日

全能の神が存在しないことの証明

前回、選言除去則を使った。((A∨B)∧(A⇒C)∧(B⇒C))⇒Cっていうあれだ。せっかくだから、これを使って一つどうでもいい証明をしてみよう。

タイトルの通り、全能の神が存在しないことを証明してみせる。これを考えたのはもう、20年前だろうか。ずいぶん経ったなぁ。

2017年7月28日金曜日

ワタミの理屈を破綻させるための論法

前回の記事で、ブラック企業の話が出たので、ブラック企業の代表選手、ワタミの話でもしてみよう。女性従業員の過労自殺問題を通してワタミの闇が現れ、それが結果的にブラック企業全体への対抗勢力の誕生につながったように思う。

今となってはワタミの業績は悪化の一途をたどり、店名を変えることで生き延びている状態だ。いい加減懲りただろうし、これ以上追い打ちをかける必要はないのかもしれないが、やはり私は論理的におかしそうな主張を見かけると、突っ込まずにはいられない。

あの有名なコピペの隙を突いてみよう。

2017年7月27日木曜日

人権を侵害する契約は、無効とすべきだ(2)

他人の人権にはあまり興味を持たない人がいる。「女性の権利」などという言葉に拒絶反応を示し、女叩きを始めなければいられない人とか。そういう人からすれば、「アイドルが恋愛する権利」などというものを守るべきだとは、とうてい考えないだろう。

しかし、「自分には関係ないから」という理由だけで人権侵害を許していけば、有名なナチスドイツの格言に行き着く。「ナチスが共産主義を攻撃したとき、私は何もしなかった。私は共産主義者ではなかったから」というあれだ。


2017年7月26日水曜日

人権を侵害する契約は、無効とすべきだ(1)

世の中には様々な契約がある。人々は言う。「どのような契約であれ、その内容に合意して結んだのであれば、従うべきだ」。しかし私はそれを否定する。両者の合意があろうとも、契約の内容が人権を侵害するものであるならば、その契約は無効とするべきだ、と。

この問題を語るとき、もっとも単純化されたサンプルは、「アイドルの恋愛禁止規則」だろう。しょっちゅう問題になっている。だからまずはそこから話を始めよう。

2017年7月25日火曜日

光速で走る列車の天井から発した光は、床に到達するか

めんどくさいから、最初にケリをつけてしまおう。

私が中卒ニートを公言している以上、このブログの内容を一顧だにしない人は必ずいる。「中卒ニートの言うことなんかに、価値があるわけがない」という思いは、きっと一般的だろう。

だから、そういう意見を一撃で粉砕するために、私が持っている最強のカードを切ってしまおう。これさえ読んでもらえば、二度とそんな言葉は口にできない。それだけの破壊力があるエピソードだ。

2017年7月24日月曜日

はじめに

今のうちに、どうでもいいことを書いてしまおう。最初はどうせ、誰も見に来ないのだから。

今までMixiでいろいろな記事を書いてきた。Mixiニュースに対する感想や、個人的な考え方、プライベートのことなど。私の物の考え方は変わってるから、ニュースに対する記事などでは、それはもう大変ご立腹なコメントなども頂いた。

しかしそれでも、私は筋の通った物の考え方をしてきたつもりでいるし、多くの人々の反感を買いながらも、一部の人々の賛意を受けてきた。今までの活動を通して、インターネット上の様々な記事を目にして、著名人や公人などの発言も考慮して、私の知性が多くの人々に劣るとはとうてい思えない。

もう6年以上も前になるが、「面白い考え方をしてるから、閉鎖空間じゃなくて、一般公開のブログでやったらどうかな。アフィリエイトとか、一応お小遣い稼ぎにはなるよ」とおすすめされたことがある。全然そんな気にはならなかったけど、ここへ来て、ついにじゃあちょっとやってみようかと思い立った。

まぁ、どうせそんなに儲かるものとは思ってないけど、ないより良さそうだし、と。

2017年7月23日日曜日

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