2017年8月31日木曜日

不正行為を行っている相手だからと言って勝手に暴力を振るってはいけない

世の中ではたびたび問題になるが、個人が勝手に人に暴力を振るって処罰することがある。やっている本人としては、正当な罰なのだろう。だが、そんな権限は与えられていない。

不正を犯す人間に対しては、警察を呼ぶなりなんなり、正規の手続きを踏んで対処しないといけない。どうしても我慢できずに手を出すなら、それが違法であることは自覚が必要だ。

ヒステリックな著作権(1)

いつの頃からだろうか、著作権の侵害というものが重く見られるようになった。いや、それ以前は許されていたというわけではないのだが、ある時期を境に格段と口うるさくなった。

今では著作権を守る意識はそれなりに高まり、それ自体はいいことなのだが、一部ではヒステリーも見られるようになった。

何故このように変わってきたのか。今回はそれを語ってみよう。

2017年8月28日月曜日

統計に注意-たった一つの統計データから原因を引き出すのは非常に危険

統計データの扱い方に対する注意喚起記事第二号。

世の中には統計データがあふれているが、そこからの情報の引き出し方があまりにも雑すぎて呆れかえるばかり。

もうちょっと、慎重に統計と向き合ってもらうため、今回は統計から原因を引き出すことの難しさを解説してみる。

24時間テレビはチャリティー番組として有益なのかどうか

チャリティー番組として銘打っておきながら、出演者に多額の報酬が払われているという24時間テレビ。それのどこがチャリティーなんだよというツッコミを受け続けている。

一方で、多額の寄付がされているのだから、立派なことをしているわけだし、ないよりいいんだからそこは評価してあげようよ、と言う意見もある。

が、この問題を解決する理屈として、それでは単純すぎるのでもう少し深く考えてみよう。

性差別について。男女平等論について(2)

男女差別論者のいう「女は馬鹿だ。無能だ」という言葉が、どれほど強く、その人自身を傷つけているかを見てみよう。

彼らは・・・男だけとは限らないのだが、女性蔑視の思想が、結果的に男性蔑視に繋がってしまうことを見落としている。

2017年8月27日日曜日

性差別について。男女平等論について(1)

多くの文化では、男尊女卑が続いてきた。この傾向は現代でも依然として残っており、「どうして女は馬鹿なのか」という問いが、意味のある問いのように語られている。

生物学的に見ても男女には違いがあることが立証されているし、男女には差があるのだから、平等に扱う必要はないといった、ごくごく単純な、アホらしい主張もある。まずはこういった低レベルのものを片付けてみよう。

2017年8月26日土曜日

現状維持という思考停止

日本人というのは、国民性として、変化を嫌う。変化を嫌う人というのはどこの国のどの時代にもいるはずだが、日本人はその勢力が強いように感じている。

こういった、変化を嫌う人は現状維持派に分類されることになるが、現状維持派というのは特に何も考えてはいない。ただ、いつもと違うのが嫌なだけ。もうちょっと物事を考えたらどうかとは思うが、そういう人種なので仕方ない。

2017年8月25日金曜日

哲学の謎-私が一番好きな本

そういえば、ここはアフィブログだった。少しは商品の紹介とかして、売り上げを出しておかないといけないのではないか。

というわけで、本を一冊紹介しよう。私が一番好きな本だ。誰にでもおすすめできる。それこそ、すべての地球人に。

2017年8月24日木曜日

ブログを始めて一ヶ月。報告とか、感触とか

先月の24日にブログを作成したので、ちょうど一ヶ月が過ぎたことになる。というわけで、軽くここ一ヶ月を振り返ってみようと思う。

このブログの基本的姿勢とか、今後の方針なんかも書いておくので、お暇な方は目を通しておいてくれるとありがたい。

2017年8月23日水曜日

能力主義と成果主義の違い。なぜ人は人を正しく評価できないのか

私は能力主義者だ。当然、年功序列などは嫌いだ。年功序列がどういうものかは、またいずれ書くこともあるだろう。

今回は、似たようなものとして扱われている、能力主義と成果主義の違いについて語ってみる。

2017年8月22日火曜日

統計に注意-就職氷河期でも就職率92.8%のトリック

私は常々、統計データの扱いには注意を呼びかけている。統計というのは便利な手法だが、扱いには慎重さが必要だ。

しかし多くの人々は統計データの扱い方を全く心得ていないし、データが意味する内容を確認しようという意識を持ち合わせていない。

今回は、「嘘はついていないけど、誤解させる手法」を元に、統計データに対する扱いの改善を訴えてみよう。

2017年8月20日日曜日

社会的改善を求める人に、自分が先にやれというのはおかしい

社会に対する改善要求はたくさんある。変化を拒む人や、揚げ足取りをしたい人などは、「先に自分でやってから言え」と主張したりする。

しかし、別にそんな必要はない。先に自分だけやっておかなければいけないなんてことはない。軍縮であれ、賃上げであれ、それは他勢力と足並みを揃えてやるべきものだ。

ニコニコ動画のニュースで、中日新聞の社説の記事が掲載されていた。違和感を覚えたので、これについて語ってみる。

ろくでなし子裁判から考える、わいせつの定義の必要性(2)

ろくでなし子裁判から考える、わいせつの定義の必要性(1)で、定義されていないものなんかたくさんあることを述べた。

そのため、私はわいせつも無理して定義する必要はないし、わいせつ物にしか見えなければわいせつ物として扱ってかまわないと思うわけだが、この考え方に問題がないわけではない。その辺も解決しておこう。

2017年8月19日土曜日

「世の中すべて分かってる系」にならないための特効薬

なにやら、「世の中すべて分かってる系」なる人々がいるらしい。ちょっと、呼び名が長いので、カエル系とでも縮めて呼んでくれればありがたいんだが、これで定着してしまうんだろうか。

さて、私も世界を語っているくらいだから、世の中すべて分かってる系の一員だと思う人もとても多いと思う。だが、それについては断固として否定させてもらう。私は、この種の人々とは、最も遠いところにいる。

2017年8月18日金曜日

ろくでなし子裁判から考える、わいせつの定義の必要性(1)

ろくでなし子という人が、わいせつ物陳列罪などで訴えられた事件は、結構広く報じられており、知っている人も多いだろう。

ここでは「わいせつとは何か」という定義が問題とされ、それが未定義であることによって、わいせつとして裁くことの不当性を訴える人はかなり多いように見える。

しかし私は、そんなに厳密にわいせつを定義する必要はないし、「どう見てもわいせつ物だからわいせつ物として扱う」ということは、自然なことだと考えている。

2017年8月17日木曜日

敵兵に自宅まで攻め込まれたら降伏するほかはない

なにやら、反戦思想の芸能人の発言が問題になっているらしい。ここでの重要なテーマは愛国心だが、この問題はまた機会を改めて書くとしよう。

今回は、「もし自宅まで敵がやってきたらどうしますか」という問いに対して、「銃を捨てて手を上げて握手を求める」というのがいかがなものかという点を扱ってみる。

ウルティマオンライン-月を割ったのは誰なのか

私が最初にやったMMOがウルティマオンライン(UO)だった。MMO界の伝説として語り継がれているが、実はまだ運営はされているようだ。

思い出話と共に、UOの特徴である対人システムにまつわる話をしてみよう。

2017年8月16日水曜日

対案は必要ない。あったらありがたいが

世の中ではよく、ある種の非難に対して「じゃあ対案を出せ。出せないなら黙ってろ」という主張が出てくる。主に政治の舞台などで使用される場面が多いかと思うが、もっと身近な生活の場面ででも見かけるだろう。

実際のところ、対案などがなくても非難はできるし、非難することは正当だ。対案がないから黙っていなければならないなんてことはあり得ない。

2017年8月15日火曜日

自作の推理系フリーゲーム紹介。病室検事 伊達天三郎

最近新しいのが完成してないんだけど、私はいくつか同人ゲームを作ってきた。その中の一つ、フリーの推理ゲームを紹介しよう。

私は流行とか何それおいしいの? って感じだから、メインの登場人物はおっさんだけど、検事が主人公だと、このくらいの年齢になるのが普通だろうってことで、その辺は仕方ない。

2017年8月14日月曜日

スライムの殺戮を楽しむことを心配するのは、本当に不自然だろうか

ゲームや漫画など、虚構の世界での描写をリアルに結びつけて考える人々は、一定数いる。そういった作品を好む人々からは、「ゲームと現実を一緒にするな」などと言われたりするが、日本は、というか人間は、それらを完全に区別するような文化を持っていない。

ある程度仮想世界や、仮想のキャラクターを現実に重ねて見るのは当然であり、小さい頃から教わってきたことでもある。それ故に、一言で片付けられるほど簡単な問題でもないので、今回はこれを扱ってみよう。

2017年8月13日日曜日

部下が上司に従うのは当たり前だ(2)


もしかすると、ニートにしては意外に仕事の厳しさを理解している、なんて私を見直したくなる人もいるかもしれない。これなら社会でやっていけるんじゃないか、と。

あまーい。炭酸の抜けたオロナミンCのように甘ーい。あれ、すっごい甘いの知ってるか? ライフガードでもいいぞ。破裂しない程度に量を減らして凍らせて、溶け出したところを飲んでみてもいい。くっそ甘いから。

2017年8月12日土曜日

部下が上司に従うのは当たり前だ(1)

私は長い間ニートだし、人生の半分以上をニートとして過ごしているが、少しだけ働いたことがある。まぁ、一カ所で働いたのは、長くても半年なんだけどね。

あんまり俗世間での勤務内容を詳しく知らない私だが、働くと言うことのあるべき姿については考えを持っている。ニートが労働というものをどう捉えているのか、サンプルとして提出してみよう。

だからおまえはニートなんだよと、きっとみんなそう言って閉じるに違いない。

2017年8月11日金曜日

クレタ人は嘘つきだのパラドックス解決法

「クレタ人は嘘つきだ」とクレタ人が言ってしまったらどうなるのか? 有名なパラドックスとして知られ、自殺者すら出ているけれども、解決ができないわけではない。

人々の先入観、思い込みがいかにしてパラドックスを作り上げてしまうか、そのあたりを見てみよう。

2017年8月10日木曜日

危険な自民党の憲法草案。緊急事態条項で選挙がなくなる(3)


緊急事態条項が選挙を停止させ、人々から実質的に選挙権を奪いかねないものであることは述べた。この記事では、私の個人的な思いを綴ってみたい。

2017年8月9日水曜日

危険な自民党の憲法草案。緊急事態条項で選挙がなくなる(2)

現在の自民党の憲法草案が発表されて以来、私は緊急事態条項の危険性に気づき、ずっと反対し続けてきた。人々が、まだ緊急事態条項という名前すら聞かされていない頃からだ。

やっとメディアでもそれが取り上げられるようになったかと思ったら、全然視点が違う。選挙が廃止され、独裁国家になりかねないということこそが、この条項の危うさだ。


2017年8月8日火曜日

危険な自民党の憲法草案。緊急事態条項で選挙がなくなる(1)

自民党が憲法改正に対してかなりの執念を燃やしていることはよく知られている。現在用意されている憲法草案が、現在の憲法を大幅に変更しようとしていることも周知の事実だ。

たしかに様々な点で問題をはらんでいる草案だが、私が最重視している点は、なぜか未だに話題になっていない。9条に焦点を当てたい気持ちは分かる。現憲法の特徴的な部分だ。憲法でありながら国民を拘束しようとする不条理に苦情を言いたい気持ちも分かる。憲法をなんだと思っているのかと。

しかしながら、もっとも大きな危険性をはらんでいるのは、緊急事態条項であるということに、人々は気づいていない。これは、ナチスドイツの全権委任法の代わりともなり得る、独裁政権樹立のための条文となりかねない。

私はかねてよりこの条項に対して断固として反対してきたが、SNSの片隅で主張していたに過ぎないので、もう少し多くの人の目にとまるだろうこのブログでも書いてみることにする。

2017年8月7日月曜日

中ニ流、モンティホール問題解釈(2)

中ニ流、モンティホール問題解釈(1)の続きだ。直感的には納得しがたいモンティホール問題に中卒ニートが新しい解釈を与えようとしている。

ただしお断りしておくが、タイトルにもあるように、これは解釈だ。証明ではない。そこのところ、お間違えのないように。

2017年8月6日日曜日

中ニ流、モンティホール問題解釈(1)

感覚的にはすんなり受け入れられない、モンティホール問題。私も最初見たときは、直感に惑わされて、間違った答えを出してしまった。正しい答えを教えられても、すぐには納得がいかなかったのを覚えている。

それは仕方がない。数学者ですらすぐには納得がいかなかったのだから。博士、とかだよ? 数学博士ですら状況を把握するのに時間がかかったのだから、私が戸惑うのも仕方がないだろう。

私が、自分で納得のできる解釈に行き着いたのは、野宿での旅の途中だった。静岡だったかな。あのあたりをぷらぷらしているときに、ふと「あぁ、こういうことか」と腑に落ちたのだった。

今回は、このあたりの話をしてみよう。

2017年8月5日土曜日

自己責任論の行き着く果ては

自己責任というのは一般的な考え方だ。多かれ少なかれ人間はそういう考え方をする。

しかし、どこまで自己責任とするかでは、人々の態度は一致していない。その線の引き方にはいくつものパターンがあるし、線の引き方は非常に曖昧だ。曖昧にならざるを得ない。

ではもしも、線を引くことをやめて、どこまでも自己責任を認めていった場合にはどうなってしまうのか。それを見てみよう。

2017年8月4日金曜日

私は本当に中卒ニートなのか?

私は中卒ニートを名乗っているけれども、本当にその定義を満たしているのかどうか。そのあたり、一応確認をしておこうか。

別に嘘はついていないと思うし、悪い方に嘘をつく必要もないだろうけど、ある程度扱いの曖昧な部分はある。

2017年8月3日木曜日

お行儀がよすぎておぞましい人々

日本人のお行儀の良さは外国でも評判のようだ。確かにお行儀はいいかもしれない。しかし、それらの人々の心の奥底に眠る冷酷さや残虐さ、あるいは嫉妬か後悔かは、あまりに醜い。

均質性を重んじ、没個性的と言われることの多い日本人だが、自分たちの当たり前と遠い存在に対する敵意の強さのおぞましさを見ると、お行儀がいいのも考え物だなと感じる。

2017年8月2日水曜日

Googleアドセンスの謎。独自性のあるコンテンツって何よ?(2)

Googleアドセンスの審査基準では、有益なコンテンツが求められているようだ。それは、独自性のあるコンテンツ、という意味も含まれているらしい。

しかし、世にはびこる様々なサイトを見る限り、独自性のあるコンテンツというのは多くはない。こういったサイトが独自性のあるサイトを推奨するのも、何というか・・・むずむずする。


2017年8月1日火曜日

Googleアドセンスの謎。独自性のあるコンテンツって何よ?(1)

うちもほら、アフィブログとして作成したわけだから、できればGoogleアドセンスというものに登録したいと思ってる。アフィリエイトなんて全然知らなかった私でも、とりあえず、これが便利そうだと思えるくらいには有名だから。

でもまだ申請する権利すらもらえていないし、いつかもらえるのかどうかも分からないし、申請しても受理されるか怪しいものがあるが、ここでちょっと、いくつか調べて湧いてきた疑問を書いておこう。