2017年9月8日金曜日

質問に質問で返すなという詭弁。人にものを尋ねるなら、まずてめえが先に答えろよ

よく言われることだが、「質問に質問で返してはいけない」というのがまかり通っている。だが、こんな考え方はおかしい。

このような主張を認めてしまっては大変なことになる。話し合いというものを公正に行うならば、質問に質問で返すことは当然のことと見なさなければならない。

そもそもいったいなぜこんな考えがはびこっているのか


よく分からない。私も発端については知らない。大変幸いなことに、私の親も親戚も教師達も、こんなことを言い出すほど馬鹿ではなかった。たぶん、予想というか期待としては、昔からこんなことを言う人間がいっぱいいたわけではないのではないかと思う。

ではどうして現代ではこういう考え方をする人が多いのかと言えば、有名漫画のインパクトが強かったんじゃないだろうか。

「質問を質問で返すなあ!」

という、名場面がある。その印象が強く、人々の間で話題になったため、これが勝手に広まってしまったのではないかなぁと、そんな気もしている。確かに、なんとなくそれもそうかなと思わなくもない話だから。

そして人々が「質問に質問で返すな」というマナー論を振りかざしていくと、それを学んだ人たちが後輩に対しても同じマナーを押しつける構図ができる。これは、数あるゴミマナー伝搬の一般的経路だ。こういうことがあっても不思議はない。

質問に質問で返してはいけないのだとしたら、どうなるのか


議論とか会議、話し合いというものを想定する。テストなどの、出題者と解答者が初めから分離しているものは想定しない。それはまた別問題だから。

もし質問者に対して質問をしてはいけないのだとすると、質問する人と回答する人が分離してしまうことになる。なぜならば質問者はその質問に対して回答が与えられるまで、質問者である。質問された側は回答は許されても質問は許されない。

ということは、回答者が質問する側に回ることができるタイミングは、回答をし終え、次なる質問がされるまでの間に限られる。しかしながら、普通話し合いというものは交互に発言するものである以上、回答をし終えた後、今度はその回答に対する質問者の反応を待つことになる。

やろうと思えば、回答をした直後に質問をする事もできる。話の流れとしては不自然だが、できないことはない。だが、そのような据わりの悪いやり方を認めるなら、相手が回答をした直後にさらなる質問を発することで、相手に質問する権利を渡さないという、不自然なやり方もとれるだろう。

よって普通に考えれば回答に対する質問者の反応を見た後、やっと質問の番が回ってくることになる。が、回ってこないかも知れない。回答に対する反応をするのは質問者だ。だから、その回答に対して何事かを述べたとき、発言のターンはまだ質問者にある。だから、そのまま続けて次の質問に移られたらどうしたらいい?

また答えなきゃいけないのか? いくつ答えたら質問の権利を譲ってくれるんだ? 全部か? 質問者の聞きたいことに全部答えないと、自分は一つも質問させてもらえないのか? なんだこの横暴は。

私聞く人、あなた答える人。お前は俺様の知りたいことに答えるだけでいい。お前は何も知る必要はない。お前は黙って俺の言うとおりにしていればいいんだ。

そういうことだろう?

何様のつもりなんだ? なんだこの先出し有利原則は。先に聞いた側が絶対に有利な決まりじゃないか。

こんなものは、ただ自分の聞きたいことだけを答えさせるためのくだらない要求だ。議論とか会議とか、話し合いというものはお互いが歩み寄って進めるものだ。自分の都合だけを求めるような連中に合わせてやる義理はない。

人にものを尋ねるなら、まず自分が先に答えるのが当然だ


「あなたはこれについてどう思いますか」

「それを聞いてどうしたいのかね?」

これが質問に質問で返すことの実例だが、何も問題はない。

「あなたは昨日の午後8時頃、どこで何をしていましたか?」

「何でそんなことを聞くんですか」

当然聞きたくなるだろう。それでもし、近所で事件があったので、付近住民のアリバイを確認してるんです、というのならそれは答えないわけにはいかないかも知れない。

ところがこのやりとりに対して、「質問に質問で返すなあ!」とか言い始める奴がいたら、頭がおかしいとしか思えない。

「質問に質問で返すな」というのは、「お前は黙って聞かれたことに答えてろ」という傲慢以外の何物でもない。

このケースは、「答える必要性があるかどうかを判断するための質問」になる。あるいは、こんなケースもある。

「どうして女は馬鹿なんだと思いますか?」

「どうして男は馬鹿なんだと思いますか?」

この場合の質問返しは、相手の答え方を参考にしようとしている。質問の趣旨を計りかね、いったいどういう回答を期待しているのか分からないので、同種の質問をすることで、相手が望んでいる回答のサンプルを引き出そうとしているわけだ。

全く何の問題もない、至極当然の質問だ。

一般的に言えば、質問者は相手に対して何かしらの回答を期待している。自分に対して、有益な回答を与えてくれることを望んでいるんだ。ならば、その望みを叶えてもらうために、先に相手の望みを叶えるのは当然だろう。

自分だけがもらう側でいたいなんて、わがままでしかない。

かといって、質問の内容が何でもいいわけではない


以上で述べたように、私は質問に質問で返すことは当然だとみている。だが、どんな質問で返してもいいということにはならない。

たとえば、アリバイを聞かれた人が、「じゃあまずこちらの質問に答えてください」というわけで、質問者である婦警さんにスリーサイズを尋ねるとかメアドを尋ねるとか、そういうことが正当化できるわけではない。

質問に答えてあげるんだから、そちらも質問に答えてよ、という理屈は共通するが、それは主題が異なっている。

アリバイを尋ねられたときに、どんな事件があったのか、どうして自分のところまで聞きに来たのか、もしかして自分は被疑者なのかとか、そういったことを尋ねるならば、当然警察の都合が許す範囲で回答するべきだろう。

だが、事件と何の関係もないことまで先に答えろというわけにはいかない。これは今回質問というものを、話し合いの中で出てくるものだと想定しているからだ。その話し合いを進める役に立たない質問まで認める気にはならない。

だから私も、質問に対して返す質問のすべてを受け入れるわけではないが、私がそれを指摘するときの言葉は「質問に質問で返すな」ではない。「それは、関係のない話題だろ」ということになる。

よって、私くらいの脳みそがある人間からは、「質問に質問で返すな」などという非難の言葉は出てこないことになる。


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