2017年7月25日火曜日

光速で走る列車の天井から発した光は、床に到達するか

めんどくさいから、最初にケリをつけてしまおう。

私が中卒ニートを公言している以上、このブログの内容を一顧だにしない人は必ずいる。「中卒ニートの言うことなんかに、価値があるわけがない」という思いは、きっと一般的だろう。

だから、そういう意見を一撃で粉砕するために、私が持っている最強のカードを切ってしまおう。これさえ読んでもらえば、二度とそんな言葉は口にできない。それだけの破壊力があるエピソードだ。

私の全盛期の思い出


私がインターネットを始めたのは、たぶん中学生の頃だった。学校に行こうとしない私のために、将来役に立つだろうと言うことで、親がパソコンを買ってくれた。あれは確かAptivaだった。J3Cだったような気がするが・・・そこまでははっきりと覚えていない。アンディ・フグがCMをしていたのは間違いない。

懐かしいな。惜しい人を早くに亡くしたものだ。

程なくしてチャットを始めたし、掲示板でのやりとりなんかもするようになった。その中に、哲学系の掲示板があった。当時はまだ哲学書を読んだことはなかったが、哲学的なものの考え方は身についていた。論理能力に関しても、論理学の本は読んでいなかったが、十分並の人間を超えていただろう。

ある日、「光速で走る列車の天井から発した光は、床に到達するか」という問いが発せられた。いや、私が発したのかもしれない。それは覚えていない。

その問いに対して、「理系の大学生です」と名乗る人が回答してくれた。「はい。到達はしますよ」と。しかし、私はその答えに納得がいかなかった。だから、たしか、図書館の前の広場をぐるぐると歩き回りながら、思案を巡らせ、そして一つの証明を思いついた。

ただしこの証明には前置きが三つある。

証明の前提


1,光速で走る列車は存在し得ない、という突っ込みはなし。


現在の科学上、質量を持つものが光速に達することは不可能とされている。一時期、ニュートリノが光速を越えたという報道もあったが、結局計測ミスということで決着がついた。当然、列車が光速に達することもあり得ない。

しかし、理論物理学者というのは、そういう実際は存在しないものを想定して考える癖がある。こういった考え方を思考実験と呼ぶのだが、思考実験は学者がやっていることだ。それを否定するというのなら、先に学会を納得させてきてもらわなければならない。学者が認めているのだから、私がやってもいいだろう。

2,観測地点は列車の外部に置く。


「あぁ、あの列車光速で移動してるね」というように観測することのできる地点から見た場合に、「光速で走る列車の天井から発した光はどうなるか?」という問題と定義する。列車の内部に観測地点をおいて、そこから光を見ることもできるが、それは今回は考えない。

3,ワープはしない。


これから私はごくごく簡単な数学を使って証明するが、ワープのことまでは考えていない。「いや、ワープするから到達するんだ」と言われてしまうと、私はその主張の間違いを証明することはできない。だから、ワープはしないということを前提とする。

もし、どうしてもワープすると主張したいのであれば、ワープすることを証明してほしい。それができれば、君は一発でノーベル物理学賞受賞は間違いない。その日から世界で最も偉大な科学者の仲間入りだから、できるならすぐにやってみることをおすすめする。できるなら、の話だが。


光速で走る列車の天井から発した光が、床に到達しないことの証明


では、証明に入ろう。すごく簡単だから、身構えなくていい。

1,光速で等速直線運動中のある瞬間に、列車の天井に取り付けられた発光器から、真下にある受光器に向かって光を発射したとする。

2,発せられた光がどこに到達するかは不明だが、とりあえずどこかには到達したと仮定する。

3,光が発した瞬間の発光器の座標をAとし、同じ瞬間の受光器の座標をBとし、仮想上の到達点をCとする。

4,列車が移動している以上、B=Cはあり得ない。CBよりも列車の進行方向に進んだどこかになるだろう。

5,三点ABCを線分で結ぶと、三角形ができる。実験の条件的に、この三角形は、直角三角形である。

6,直角三角形の斜辺は、常に他の二辺よりも長いことが、ピタゴラスの定理から証明される。

7,角Bが直角なのだから、辺ACは辺BCよりも長いことになる。

8,しかしながら、発光器から発した光は光速で移動するし、光速で移動する列車の床に取り付けられている受光器も光速で移動する。同じ時間の間に、同じ速度のものが、異なる距離を移動することはあり得ない。

9,よって、ここには矛盾が生じている。この矛盾を生じさせている可能性が残る仮定は、「発せられた光がどこかに到達する」以外にない。

10,よって、背理法を用いて「発せられた光がどこかに到達する」の否定、すなわち「発せられた光はどこにも到達しない」が証明される。

以上。

この証明を考えたのは、20歳になるより少し前だっただろうか。今まで何度か披露してきたが、一度も反論を受けたことがない。件の「自称理系の大学生」さんも、この証明を書き込んだ後、音沙汰はなくなった。

それからしばらくして、また別な人と全く同じ議論をすることになった。そのときの相手は珍しい学歴の持ち主で、大阪大の院と京都大の院、どっちか出てどっちか入ったという人だった。学歴的には、おそらくこのブログを見に来ている99%の人より上だろう。

その人も最初は「その光は床に到達する」と言った。だから私は前述の証明を見せ、「以前同じ話をしたときは、こういうことで決着してるのですが、どこかおかしいところはありますか」と問うた。

今度は反応があった。やはり優秀な人は違う。黙り決め込んだりしない。「ごめん、こっちが勘違いしてた、そちらが正しい」と、すぐに認めてくれた。

さあどうだ? まだ「ち、ちゅちゅ中卒ニートに頭のいいやつなんか、いるわけない」と言うつもりがあるだろうか? 言いたければ言ってもいい。だが、その言葉、本当に自分自身で信じられるのかな?

まぁ、普通の人ならば、「なんかこいつおかしいぞ」と思ってくれるだろう。ただの中卒ニートのつもりで受け答えしたらすぐにやり込められそうだと、そういう警戒心だけ持ってくれたら十分だ。そうすればきっと、私が書いたもの、正確にはこれから書くことになるものを、注意深く読んでくれるはず。

私は別に、自分の主張に同意してほしいとは思わない。ただ、書いてあることの意味、内容を理解はしてほしい。批判でも反論でも好きなだけしてくれて結構だが、内容を全然理解せずにそうしている姿はあまりに醜いから。

うぬぼれるな? おまえより頭のいい人間はいる?


なんとなく、そんな言葉も聞こえてきそうだ。だから一応先に答えておこう。私は、自分が世界で一番頭がいい、などとは思っていない。ただ、実際に会って話をしたことのある人間の中で、私の目から見て私よりも頭の良さそうな人間は、二人しかいなかったが。

その二人の人とも、この光速で走る列車の話をしたことがある。一人は、私の間違いを指摘してくれた。

前述の証明は、たぶん正しい。少なくとも、私はまだ間違いを示されたことはない。だが、それに対する私の解釈は間違っていた。

私は最初、どこまでもどこまでも光は床に近づいていくだろうと想像していた。到達しないことは証明した。だから、到達はしないんだけれども、極限まで近づいていくのではないかと、そう思った。

しかしそれはおかしいと言われた。「その考え方だと、光の持つ、列車の進行方向への移動成分が光速に満たなくなるから、いつか列車の後方の壁に追い抜かされてしまう」と。

いや、その通りだった。私もそれを言われた瞬間、自分が間違っていることには気づいた。だが、じゃあ光はどうなるのかは、すぐには分からなかった。現在でも抱いている答えに行き着いたのは、家に帰ってもう一度よく考えてからだ。

もう一人の優秀な人は、哲学の掲示板でよく話し相手をしてくれた人だった。自称理系の大学生さんから音沙汰がなくなったときも、筋の通った証明だと褒めてくれた。その人と私は、共に同じ答えに行き着いた。どこまでも床に近づいていくというのが間違いなら、きっとこうなるだろうと。

「光速で走る列車の天井から発した光は、列車の進行方向にまっすぐ進み、一切床には近づかない。その列車の中では時間が停止しているように見える」というのが、両者の答えだった。私はただの直感だったけど、あちらにはちゃんと科学的な理由があったのかもしれない。

というわけで、私は何も「俺様は全部正しい。俺様に間違いはない」とか思ってるわけではない。私はいくらだって間違うし、たくさんのことを勘違いするし、知らないことはいくらでもある。しかしそれでも、私の中では、私は世界で三番目に頭がいいことになってしまうのは、単純に優秀な人間に出会えていないからだ。

だから、私に対して「おまえより頭のいい人間はいる!!!」とか言っても、私は「うん、知ってるよ」としか答えられないので、そのあたりはよろしく頼む。


関連:光速度不変とは何か。その意味と不気味さ、アインシュタインを驚かせたもの(1)


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