2018年6月6日水曜日

推定無罪を無視しているとして非難された、痴漢撲滅ポスター。そこまで悪いとは思わないが


愛知県警が制作した痴漢撲滅ポスターが非難を受け、撤去することになったらしい。

「あの人、逮捕されたらしいよ」と、逮捕された段階の人を痴漢扱いして、陰口をたたく人々というのが推定無罪を無視しているとして、抗議を受けたとか。

私としてもこのポスターには問題があり、本来の効果が得られないと思うので、撤去するのは適切だとは思うが、世の中の人々が非難している方向はだいぶ明後日の方向を向いているように感じた。

被疑者を犯人扱いしていいとは書いてない


このポスターで、被疑者を犯人扱いする姿が描かれていることから、警察がそういう行為を容認し、推奨しているかのような印象を受けている人が多いように見受けられた。

が、このポスターは、別にそういうことを書いているわけではないだろう。

被疑者を犯人扱いするバカ共は、世の中にはたくさんいる。殺人事件の被疑者が逮捕されると安心したり、被疑者を犯人と決めつけて罵倒したりする人々がいる。まだ判決も出ておらず、被疑者が容疑を否認していてすらも、犯罪者扱いをしてしまう。

この手の人々は、実際にいる。彼らの態度が正しいとか間違っているとかではなくて、実在する。

だから当然ながら、痴漢で逮捕された人に対しても、多くの人々が犯人扱いをするというのは現実的にあり得ることだ。そういうことが、社会的にはあり得ることなんですよ、という事実を突きつけて警告をするというのは、おかしな事ではない。それで思いとどまってくれるなら、悪い話ではない。

そのような、無知な人々の不正な態度まで利用して犯罪撲滅をするのはやり方が汚いという意見もあるかも知れないが、そのような不正な態度を取る人がいけない。被疑者を犯人扱いするバカが多いから、こんなものが抑止力たり得てしまうのだから。

推定無罪の視点を含めると、ポスターの意味が変わってしまう


そういう意味では、警察がやろうとしたことは理解できる。「趣旨とは異なる所で批判があった」というのはその通りだろう。

だが、やはりこのポスターは不完全だ。推定無罪の視点から見ると、こうなる。

「推定無罪の原則を無視して、被疑者を犯人扱いするバカ共が世の中にはたくさんいます。だから、痴漢なんてしちゃだめなんですよ」

これは、言いたいことと、言っていることが食い違っている。推定無罪を無視して犯人扱いする人々の陰口を回避するために必要なことは、逮捕されないことだ。痴漢をしないこと、ではない。

もちろん、痴漢をすれば逮捕されるのだから、痴漢をしないこともまた逮捕されないための方法だが、痴漢をしていなくても、痴漢と疑われた段階で逮捕されることはあり得る。ということは、このポスターが人々に推奨し、訴えかけていることは「痴漢をしないこと」ではなくて「痴漢だと思われないこと」になってしまう。

これでは痴漢撲滅ポスターにはならない。痴漢だと疑われること撲滅ポスターだ。痴漢は撲滅するべき犯罪だが、痴漢だと疑われることは犯罪ではない。撲滅するようなものではないはずだ。

どうすればよかったのか


このポスターの問題は、推定無罪に引っかかってしまうことだ。つまり、それがクリアされていればいい。

「あの人、有罪だったらしいよ」というように、すでに裁判を経て判決が確定した状態から始めればよかった。これなら推定無罪云々は問題にならない。

「聞いた? あの人痴漢で有罪になったんだって」
「えーまじでー、仕事首になるよねー」

という感じで、特に大きな変更もなく続けられたはずだ。

今回の件で不思議に感じたのは、殺人事件の被疑者が逮捕されたときには大騒ぎするのに、どうしてそれは非難されないのだろうかと。もちろん、警察という公的機関が推定無罪を無視するのと、一般のお馬鹿さん達がはしゃぐのでは分けが違う。それは分かる。

が、そこまで差が付くものなのだろうか。推定無罪の無視なんて、日本社会には根付いてしまっていて、今更問題にすることなのかと思ってしまう。だからこそ、それを逆手に取ったポスターを作ったように感じたので、そこまでおかしなものとも思わなかった。



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