2018年5月19日土曜日

ゆとり教育非難と、ことさらに競争を煽り立てることについて


ゆとり教育というものが非難されて久しい。ゆとり世代などといって馬鹿にする人々もいる。

しかし、ゆとり教育のせいで学力が低下したことを証明する資料は存在していない。むしろ、ゆとり教育実施以来、理科は得点の向上を続けていたりする。

それでもゆとり教育を非難したがる人々は、自分たちに都合のいいデータだけを取り出すわけだが、その非難の根拠の一つに「お手々を繋いでゴールする」事が含まれる。

学校の徒競走などで、勝ち負けを決せず、みんなで一列になってゴールするような指導が存在するらしい。このような指導方法が非難され、もっと競争社会の厳しさを教えるべきだという主張がなされる。

私はこれは、部分的には正しい指摘だと思っている。しかしながら、ことさらに競争を煽り立てることはやめた方がいいと考えている。

競争に勝つための方法 その1 早く走れるようになること


競争に勝とうとすることが悪いことであるわけではない。競争に勝つための最も単純な対策は、自分がもっと早く走れるようになることだ。一般的にいえば、自分を鍛えること。自分の能力を高めること。

これは非常に大事なことだ。社会には優れた人間が必要だ。人間が優れた能力を持つには、そういう能力を持とうとする意欲が必要だ。その意欲は競争によって養われる。定期的に自分の力を確認しないことには、それを伸ばす必要性を感じることが出来ない。これでは人は成長しない。

そのため、競争を否定することは、人の成長を阻害することになる。当然ながら、それはまずい。

競争に勝つための方法 その2 相手の足を遅くすること


しかしながら、競争に勝つための方法は一つではない。第二の方法は、相手を妨害することだ。自分が早く走れないなら、相手の足を遅くすればいい。それでも競争には勝てる。

これはつまり、日本社会が実際に好んでいることだ。相手の邪魔をすること。よい社会を作ることではなく、自分よりよい境遇の人間を減らそうとすること。「お前も俺様と同じ思いをしろ」だとか、「我々の中に搾取されていない人間がいるなんて許せない」とか、そういう心理だ。

何かしらの制度を改善しようとしても、劣悪だった環境を経験した人からすると、新しい人間だけが劣悪な経験をしないですむことが許せなかったりするらしい。そうして、改善が立ち消えになる。

こうやって、自分より恵まれた扱いを受けることを妨害していけば、社会的境遇という勝ち組レースでは負けないですむ。人生を競争になぞらえるなら、こういうやり方でも勝てるわけだ。

だが、このような手段が推奨されるべきだろうか? 自分を高めることは立派なことだが、他人を妨害することもまた、同様に立派なんて事があり得るだろうか。勝てばいいというものではない。

競争に勝つための方法 その3 ズルをすること


競争に勝つための最後の方法は、ズルをすることだ。反則といってもいいし、犯罪といってもいい。スコアシートを改竄したゴルフ選手がいた。替え玉受験をした芸能人がいた。最近では、故意に反則を繰り返したアメフトの選手が話題になった。

正々堂々と、ルールに従って勝つことが出来ないなら、ルールを逸脱すればいい。勝つことがそんなに大事なら、ズルをしたっていいだろう。ズルをせずに負けるよりは、して勝つ方が大事なんじゃないか。

小さい頃から競争をことさらに煽り立てられ、勝つことを至上命題として教え込まれた人間ならば、そういう発想になっても仕方がない。

だが、そのような人間が増えることを社会は望まないだろう。多分。そこまで落ちぶれてはいないと思いたい・・・が、自分に得になる範囲だけでなら、ズルをしてもいいし、ズルをしてくれてもいいと思ってる人間は、かなり多いかも知れない。

まともな脳みそがあれば、子供達をそういう人間に育てたいとも、育てるべきとも思うまい。ということは、競争は大事だが、競争に勝つことは全てではないことも教えなければならない。競争が大事なのは、競争を通して自分を成長させるためであって、どんな手を使ってでも勝つことを覚えるためではないことを教えるべきだろう。

だが、フェアプレイの精神というのは、ある程度心に余裕がなければ身につかないものだ。いつもプレッシャーをかけられ、競争に勝てないことを責められ、罵倒されていては、高潔な人間にはなれない。

一部の競争論者が主張するようなやり方で子供を指導することは、結果的に社会に不正をはびこらせることになる。それを緩和するという点では、全面的にゆとり教育が間違っていることにはならない。

必要なのは、競争に勝つことを教えることでもなく、競争を否定することでもなく、子供を成長させることだ。競争は必要だが、全てではない。競争に勝つことは目的ではなく、成長の結果でしかない。成長のための手段が競争であって、手段と目的を取り違えてはならない。

いつかこのように、もっと正しい指導が一般的になることを祈っている。



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