2020年9月28日月曜日

経済の成り立ちから考えてみる(1) インフレ・デフレの素朴な疑問とアベノミクス

私はあまり経済学というものは読んでこなかった。金儲けには興味がなかったからだ。だが最近、経済の仕組み、概念としての経済学に触れ、興味を持った。きっかけはMMTという一風変わった理論だったのだが、それはまた後日触れることにして、まずは経済に詳しくない人が手っ取り早く知りたがるようなことを扱ってみよう。


今回の記事では、インフレとかデフレとは何か、どうしてそれが起きるのかを語ってみる。繰り返すが、私は経済学は初学者だ。あまり専門的な内容にはならない。その分、専門用語で煙に巻くことなく、日常的な言葉で理解できるようにするつもりだ。


インフレとデフレ

私はテレビを見てないが、たぶんテレビでもよく「インフレ」とか「デフレ」という言葉が使われているだろう。


一般的な印象としては、インフレは物価が上昇することで、デフレは物価が下落することと思われているのではないだろうか。消費者としては、物やサービスが高くなるより安くなる方がいいのだから、じゃあデフレの方がありがたいよね、と思うかも知れない。


ハイパーインフレという言葉も合わせて聞いたことがあれば、インフレは悪いものだという認識を持っている人も多いはずだ。


しかしながら、事情はそれほど単純ではない。


インフレとは貨幣の価値が下がることであり、デフレとは貨幣の価値が上がることと言える。なぜならば、同じ一万円札で買える物が変わるからだ。


去年は一万円でジュースが100本買えたのに、今年は99本しか買えなかったとすれば、一万円札と引き替えに手に入れられる物が減ったことになる。ということは、一万円の価値が下がったと言うことだ。逆に、101本買えるようになったとすれば、ジュース一本分だけ一万円の価値が上がったと言える。


よって、物価が上がれば貨幣の価値は下がり、物価が下がれば貨幣の価値は上がることになる。一応注意しておくが、こういう考察をするとき、ジュースの質には変化がないことを前提としている。ジュースの容量が減ったとか、味が落ちたとかいうような場合は、単純な比較が出来ないからだ。


どうしてデフレを脱却したいのか

日本はデフレ不況だと言われて久しい。2013年から始まったアベノミクスでも、デフレ脱却を目標としていた。


しかしなぜデフレで不況になるのだろうか? ものが安くなれば物を買いやすくなるのだから、売り上げは伸び、むしろ景気はよくなるはずではないか? そんな風に考える人もいるだろう。


この疑問を解決するために、先述の「デフレは貨幣の価値が上がる」という考え方が必要になる。


例えば毎年貨幣価値が上がり続けているとき、人々はどのくらいお金を使おうとするだろうか? 今自分の手元にある一万円札が、今年はジュース100本しか買えないけど、来年まで待てば101本買えるのだとしたら、今年使うのを我慢して来年になってから買おうと考える人はそれなりにいるのではないか?


ジュースのような安いものならばともかく、家とか土地とか車、設備など、高額の費用がかかるものだったらなおさら後回しにしようと思うだろう。スーパーで買い物をするにしたって、明日が特売日だと知っていればその日は我慢するだろう。


デフレとはすなわち、将来のセールが予定されている状態だ。そりゃあ、安くなるまで待つのは当たり前。


というわけで、デフレの時は物を買い控えるようになる。だから景気が悪くなる。


では逆に、インフレとはどういう状態か? すでに述べたように、「貨幣の価値が下がる」状態だ。財布の中に一万円札をしまっておくと、知らないうちにちょっとずつ損をしていく。言い換えれば、物やサービスが軒並み、将来の値上げが予定されている状態だ。そりゃあ、安いうちに買いたくなるのは当たり前。


というわけで、インフレの時は物を買うようになる。だから景気がよくなる。


ここまでは分かりやすいだろう?


貨幣流通量

しかしながら、我々のお財布の話だけでは、景気を語ることは出来ない。景気を決めるのはもっと大きなお金の動きだからだ。


そこで出てくるのが、貨幣流通量だ。しかし、こういった専門用語を使うと、急に分かりづらくなるかも知れない。


貨幣流通量というのは、出回っているお金の総量だと思ってもらえばいい。専門用語的にはマネタリーベースなどと呼ばれたりもするが、厳密な定義はここでは必要ない。日本社会で誰かの財布の中に入っている硬貨と紙幣の合計、および誰かが銀行に預けている預金残高を合わせたもの、程度に思って欲しい。


原則的な話になるが、貨幣流通量が増えればインフレになるし、減ればデフレになる。すくなくとも、そういう傾向は強まる。だからもし、政府が一万円札を一億枚発行して国民に配ったりすれば、インフレ傾向は強まることになる。


実際それに近いことをしたことはあるし、その程度のことでもハイパーインフレになるからやめろ、というような主張は出てきたと思うが、まぁ一兆円程度じゃそんなことが起きないのは確認済み。


なぜデフレが起きたか。そして続いたか

日本がデフレに陥ったきっかけは、バブルの崩壊だそうだ。バブルとは何かについては説明を省くが、バブル崩壊によって日本は不況に陥った。


バブルが崩壊したとき、銀行が債権の回収を頑張った。つまり、貸していたお金を取り返した。


それ以前の日本では、人々は銀行からお金を借り、事業を興し投資をし、経済活動を行っていた。その時代の日本では、誰かが銀行から借りた借金としての一万円札が社会に流通していたわけだ。ところがバブルがはじけたとき、銀行は慌てて債権を回収した。早く回収しないと、返してもらえないんじゃないかと心配だから、頑張って回収した。


それにより、社会に流通していた多数の一万円札が銀行に返済され、社会から姿を消した。銀行に戻ったお金は、また誰かが借りて使ってくれるまで銀行にしまわれており、社会に流通することはない。


つまり、返済された一万円札は、誰の財布にも入っていないし、預金残高にも計上されないから、貨幣流通量には含まれないことになる。よって、銀行が債権を回収したことで、日本の貨幣流通量は激減することとなった。


で、さっきの話が出てくる。


「原則的な話になるが、貨幣流通量が増えればインフレになるし、減ればデフレになる」だ。


債権回収によって貨幣流通量が減ったからデフレが起きた。という、言われてみれば単純な話である。


さて、しかしデフレが一時的に起きるのと、それが続くのでは意味が違う。なぜデフレは続くのか?


デフレーションの定義からすれば、現在はデフレではない。たぶん、デフレ自体はだいぶ前に終わっている。デフレとは、持続的な物価の下落だからだ。ある程度一気に物価が下がったあとは、維持されている。ほとんど上がっていないだけで、下がり続けているわけではないので、定義上とっくにデフレではないと言えないことはない。


それでも、今現在を指してデフレだというのは、「デフレの影響から脱していない」という意味なんだろうと解釈している。


一度デフレに陥り、そこから回復するには、お金を使う人が増えなければならない。しかしすでに書いたとおり、デフレとはお金が「持っているだけで勝手に増えていく状態」だ。使わない方が安定して増やせる。


一度その状態になってしまえば、投資に慎重になる。ということは経済活動が縮小する。経済活動が縮小すれば、お金の巡りは悪くなる。物の売り上げが落ち、人々の収入、就職率も悪化する。となれば余計に経済活動は悪化する。


こんな当たり前の未来予測が出来ないほど、人間は馬鹿ではない。よって、人々はなおさらお金を使うことに慎重になる。それがまた景気を悪化させる。将来の収入に不安が残るとき、人はあまりお金を使わないからだ。


といった次第で、かなり真剣に人々に希望的観測を持たせること自体が奨励されていた時期もある。デフレを終わらせるためには、人々の将来への不安を取り除く必要があったからだ。


そして今現在、この不安は払拭されていない。デフレも抜け出せていない。


金融緩和政策

デフレを脱却しようという試みはなされた。アベノミクスで金融緩和が進み、金利が下がり、銀行に400兆円近いお金が提供された。


ここまでの説明からすれば、このアベノミクスは成功するように思われるかも知れない。貨幣流通量の不足がデフレの原因なら、それを増やせばインフレに向かうはずだ。金利を下げれば銀行が貸し出すお金も増えるのだから、あとは自然と物価が上がっていくはずだった。


が、そうはならなかった。


私は「日本社会で誰かの財布の中に入っている硬貨と紙幣の合計、および誰かが銀行に預けている預金残高を合わせたもの」をマネタリーベースと呼ぶような説明をしたが、実はあの書き方は紛らわしく、間違っている。これはマネタリーベースではない。


マネタリーベースとは、これに「民間銀行の日銀当座預金残高」を足したものをいう。日銀当座預金とは、民間銀行が日銀に持っている口座だ。


アベノミクスにより、400兆円増えたのは、この日銀当座預金だった。私が定義したところの、「貨幣流通量」ではなくて。


それまでの経済学的には、マネタリーベースが増えれば、自然と貨幣流通量も増えるはずだった。しかも、日銀は金利も下げた。このときの金利とは、民間銀行が日銀に預けているお金に付く利息だ。普通は、いっぱい預ければその分多く利息をもらえるのだが、日銀はこれをマイナスにした。


つまり、日銀にお金をたくさん預けると、その分手数料を払わなければならなくなった。


よって銀行は日銀当座預金をたくさん持つより、企業に貸し出して利息を受け取る方が儲かるようになった。というか、そうしないと儲からなくなった。


これだけやれば、昔のように銀行がお金を貸し出して、それが社会に流通するようになると思うのは自然な判断だと思う。やる前から無駄だと主張する人はいたようだが、私はこの試み自体を非難するつもりはない。


結果的には失敗した。銀行はお金を貸す気満々なのだが、借りる人が少なかった。不況だデフレだと言われている状況で、どうして危険を冒して借金をする人が大勢いるだろうか? 人は儲かりそうだから投資をするんだ。儲かりそうにないなら、そんな危険は冒さない。


貸出額が増えたか? ということならば増えてはいる。が、400兆円を投じた、などと言えるような効果ではなかった。


というわけで、依然として貨幣流通量はたいして増えておらず、インフレ傾向は強まっていない。デフレを脱却したとは到底言えない状況が続いている。

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