2017年11月18日土曜日

逆方向を向いた人間の理想が見える、『ニート地球を守る』

私が思い描いた人間の理想は、ソクラテスのような姿だ。人間が皆ソクラテスのようになれば、きっと世界はよい世界になるだろう。私が歴史上最も尊敬する人物も、ソクラテスだ。

さて、しかし人間の発想というのは柔軟なもので、私が考えていたのとは全く逆方向にも、人間の理想の姿が隠れているんだなぁと感じた物語がある。それが『ニート地球を守る』だ。

この作品はやる夫系のAAスレで書かれた物語で、登場人物はAAで表現されたアニメキャラになる。こういう作品を見たことがない人は違和感を覚えるかも知れないが、なかなか面白い作品があったりする。

今回はこの物語についてちょっと語ってみよう。

主要登場人物はほぼ全員がキ●ガイ


いやキチ●イとまでは行かない人もいるかも知れない。言い過ぎた。

登場人物はほぼ全員が、変人、くらいにしておこうか。

まず主人公だが、27歳の高卒ニートの女性。様々な劣等感をうちに秘め、自殺の方法を調べたりしている。社会に対する不満を抱え込み、自分の境遇にも鬱屈としていながら、しかし、根はいい人だったりする。

少なくとも、彼女たちは地球防衛軍の新人隊員となるわけだが、そこでは主人公がしっかりとリーダーシップを発揮し、相応の一個分隊を形成している。

周りの隊員達もそれぞれに変なところがあり、基本的に総じてコミュ障なのだが、まぁ、この人達はまだ軽度の方だ。

問題は、彼女たちの上官にして、訓練所の長官。もうすぐ30を迎える事に焦りを感じ、中卒でニートであることにコンプレックスを抱き、しかしながら似たような境遇の主人公が早く自分の仲間になってくれることを待ち望む、情緒不安定な殺戮機械。

長官はいわゆる覚醒したキャラクターで、地球を侵攻してきたエイリアンを一人でフルボッコするような力がある。物語を通じて、主人公もまたその一人となり、絶体絶命の危機を覚醒した力でなぎ払う。

ここだけ聞けばよくある物語。何の変哲もない。どこにでも転がっている。

しかし、この話の特徴は、すでに述べたとおり、登場人物がみんな、頭おかしいということだ。主人公の力は「世界のため」に使われるのではなく、「自分を認めてくれなかった世界を破壊するために」使われようとする。

あれ、ニート地球を守るじゃなかったのかとツッコミたくなるところだが、彼女的には同じ雪国なのに青森よりも発展している北海道は、滅ぼしてもいい土地らしい。だが、長官がそれを制止する。己の心を引き裂きながら、力に目覚めたばかりの新米を正しい道へと誘おうとする。

心に闇がない善人と、心に闇を持つ善人では、どちらが優れているのだろうか


不安と虚栄と憎しみ。邪悪を生み出す三つの根源では、人間的不正の根源を三つの心理に求めた。この意味で言えば、長官は間違いなく邪悪に染まっている。長官の心は、不安と虚栄と憎しみでいっぱいだ。

しかしなお、それでも人間らしさの境界で踏みとどまり、「世界を救う」ということのために力をふるう道を選んでいる。

これは私が求めた、不安と虚栄と憎しみにまみれないことと比べて、どちらが優れているのだろうかと疑問に思う。邪悪の原因を持たなければ、邪悪から遠ざかれるのは道理だ。しかし、どう考えても、これでは悪人になるよねという条件を揃えて、それでも善良であれるとしたら、それはなおすごいことなのかも知れない。

もちろん、この長官は物語の登場人物だから架空の存在だ。しかし、超常的な能力はともかく、心理的には同種の人がいてもおかしくはない。

恋愛経験はない。友達は同類一人だけ(最近増えた)。中卒でニートで、数学の通信簿の点数は1。知ってる歌はアニソン、30手前だけどリリカルなのはのコスプレをして、「高町長官」と呼ばせてる。

読者諸君の周りにこんなやつがいたら、自分がその人をどう思うだろうかと考えてみてほしい。まぁまず、「できればお近づきになりたくない」のではないだろうか。

その上ヒステリーもちで、いつ力を暴走させるか分かったものではない。そんな人が、先輩面して新米に語る言葉の数々。

「あなた、高校を卒業してから地球防衛軍に入るまで、何か一つでも仕事に就いたことある?」←自分はずっとニートでした

「あなた、数学の通信簿の数字は何? どうせ23でしょ?」←1

「ニートの将来は自殺と相場が決まってるのよ。もやい結びのやり方くらい調べたことがあるんでしょ」←もちろん調べました

「私が最強! 私が一番! 私が法律! 私が戒律! 私が! 私がリリカルなのはなの!」←リリカルなのはを見たことないけど、とりあえず、この人がおかしい人だと言うことは分かる。

そこら中に負のオーラを漂わせながら、それでも人間性の縁で踏みとどまる姿に、私は人間の理想の一端を見てしまう。

デスノートを拾って、誰も殺さずにいられる●チガイは、果たしてキチガ●なのだろうか。デスノートがないからできないだけで、あったらやってしまう人と比べたら、それはもう聖人君子なのではないか。

指先で核攻撃を行える人が、その力を律することができたとしたら、それもまた善人なのではないだろうか。例えある面において気が狂っているように見えたとしても。

いやむしろ、力を手にした狂人でありながら人間性を保った時にこそ、最も大きな善良さが生まれるのではないか。

最大の善は、もしかすると、聖人ではなく狂人にこそ宿るのかも知れない。聖人の方がまだ現実味があるけど。

興味のある人はこちらをどうぞ。



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