2017年12月12日火曜日

デキ婚にまつわる不思議な感覚

デキ婚というのがある。子供がデキちゃったので結婚しました、というやつだ。

世の中では、こういう結婚の仕方が否定的に見られており、だらしがないとか計画性がないなどと言われたりもするようだが、私はこの感覚がよく分からない。

例えばこの発想が貞操観念の強さから発しているのなら、まだ言いたいことは分かる。ところが実際は逆だ。貞操観念が希薄だからこそこんな発言が出てくる。

その辺がとても奇妙に感じる。

現代人の貞操観念はきわめて弱い


もし仮に、人々が強い貞操観念を持っているとしよう。婚前交渉自体を否定し、結婚もしてないのに子供ができるような行為に及んでいることが不潔だと考えているのかも知れない。

しかし、このような考え方はすぐに破綻する。一般的な人々を見てみる限り、結婚する前から18禁モードなことをするのは当たり前と認識されている。そこら中でそういう話を聞くし、むしろ婚前交渉全体を否定するような意見を見ることがまずない。

見かけるとしたらあれだ、私の同類みたいな人。いない歴=年齢的なモテない人々のひがみのような意見。そういう人たちが、過剰な貞操観念を求める発言をすることはある。

が、今回問題にしているのは、もっと一般的な人々だ。そこまで世間からあぶれていない人たちでも、デキ婚に対しては否定的なのがおかしい、という話を扱う。

さて、それらの普通の人々からすると、婚前交渉は別に普通のことだろう。結婚するまで貞操を守るというのはレアケースになっていると思う。

すると、その人々は結婚もする前からそういうことをすることについて、何ら忌避感を持っていないことになる。とてもではないが、貞操観念が強いなどとは言えない。

実際のところ、デキ婚を非難する発言はよく見かけるが、婚前交渉を非難する発言も、不純異性交遊を非難する発言も、まずもって見かけない。人々が強い貞操観念を持っているのなら、もっとそういう非難があるべきだろう。

子供ができないようにするのはいいらしい?


人々はあくまでも、結婚する前に子供ができてしまうことを非難するようだ。それはなぜなのか?

一つには、計画性のなさを指摘している。子供を作るならば結婚をしてからにするべきであり、それ以前に作ってしまうのは、計画性がないとのことだ。

が、この考え方はおかしい。

子供ができる時には二つの可能性がある。望んで子供ができるケースと、望まずに子供ができてしまうケースだ。もちろん、後者の場合に問題があるのは間違いない。しかしこれは、結婚の有無は問題ではない。

結婚前に望んだ子供ができた場合に、具体的にどんな問題があるのだろうか? 結婚後に望まない子供ができた場合に、問題がないとでも思っているのだろうか?

重要なのは望んでいるかいないかであって、結婚をしているかどうかではない。

また、「子供を作るならば結婚をしてからにするべきだ」という考え方は、常識に属すものだ。みんながそう言ってるし、自分もそう言われたからそう思っているだけであって、実際にそうでなければならないようなものではない。

そうしてみると、デキ婚を非難する主張というのは、「非常識だ」とか「俺様が教わったのとやり方が違う」という程度のものでしかない。

貞操観念の強い人間の方がまだデキ婚しやすい


すでに述べたように、貞操観念の弱い人間は適当に遊びとして相手にこだわらずにできる。どうせ子供できないし、その場その場の関係だから後腐れもない。

が、もう少し貞操観念が強い人間は、子供も持ちたくないと思うような相手、関係や状況においてそういうことをしない。逆に言えば、そういうことをするときと言うのは、子供ができてもかまわないという場合だ。

確かに、かなり古いタイプの感覚の持ち主ならば、結婚するまでしないものかも知れないが、誰彼かまわず、スキンシップの一種と考えるほど新しくもない人なら、デキ婚しやすいだろう。

そのように考えると、望んでデキ婚する人というのは、まだ古いタイプのように思う。

私が知っている中で、デキ婚して、何も問題なく結婚して暮らしている人が二組いるが、そこになんの問題があるのかさっぱり分からない。

もともと結婚するつもりでいた二人だったりするし、その時期が、ちょうど子供ができたことで訪れたとも言える。ただの区切りを付けるきっかけになっただけである以上、具体的な不都合は何もなかった。

もちろん、子供ができたことで母親は仕事を休んだりする必要はあるだろうが、これはデキ婚に限らない。既婚者に子供ができた場合にはそういう問題がないなんてわけはない。




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