いやぁ、先月はほとんど書けなかった。前半にゲームをやりすぎて、後半にやらないといけない作業を溜まらせてしまった。今年はそういうことのないようにしたい。
さて、昨年は統計についてちょっとした解説を書いた。今年は、数学や論理学についても同様に初学者向けの記事を書いてみたい。
というわけで、本年一つ目の記事は数学について。
a + aはなぜ2aになるのか
中学校の一年目だろうか、a
+
aというような、アルファベットを使う数学を学び始める。人によってはここで躓くともいわれているが、それはちょっと教え方が悪いのではないだろうかという気はしている。
私の持論として、数学は一番教えやすい学問だ。全部理屈で構成されているのだから。数学を教えられない人間は、それ以外の何も、少なくとも論理的には教えることができないだろう。
ただしそれは、教わる側に学ぶ意欲があればの話ではある。やる気がない人に教えるのは難しい。
さて、a
+
aを教えるとき、一般的には物体を使うのではないだろうか。例えば、「リンゴが一つあるところに、もう一つリンゴを持ってきたら、リンゴは二つになっているだろう? だから、aが一つあるところに、もうひとつaを持ってくると、aは二つになる。だから2aになるんだ」という調子で。
しかし私はそういう教え方が嫌いだ。「じゃあ-a
+
-aはどうして-2aになるのか?」と聞き返してしまう。リンゴが-1個あるところに、もうひとつ-1個のリンゴを持ってくるのか? マイナス個のリンゴってどんなリンゴだ、見せて見ろといわずにはいられない。
だから私ならばこのように教える。
数学のお約束は教えてあるものとしよう。つまり、因数の1は省略可能だし、好きなだけ書いていいということ。不都合がなければかけ算の記号も省略していいこと。因数は数を左に、変数を右に書くということ。そしてかけ算の分配法則も。するとこうなる。
a
+ a
=
1a + 1a
=
a(1 + 1)
=
a(2)
=
2a
a
+ aを教えてから、2a
+ 3aを教えるまでの期間はほとんど空かないはずだ。ならば、a
+ aを教える段階で分配法則を教えたっていいだろう。2a
+ 3aを教える段階まで引き延ばす利点はない。
a + a = 2aは計算結果ではない
この式変形で何をしているかといえば、これは計算ではない。
1
+ 1 = 2というのは、1と1を足しあわせて、2という別な数に作り替えている。これは計算結果だ。しかし、a
+ a = 2aはそうではない。aとaを足しあわせて、2aという別な何かを作り出したわけではない。
a
+ aという多項式を、2*aという単項式に書き換えたにすぎない。もっと簡単に言えば、足し算の式をかけ算の式に変換しただけだ。
そもそも、計算は数に対して行うものであって、変数に対して行うものではない。変数とは、何かしらの数を当てはめることが許される入れ物であって、数そのものではない。数でないものを数と同じように計算できるわけがない。
通分はなぜ必要なのか?
分数ができない大学生、なんて話もある。分数の足し算の時、通分をするだろう。あれがなぜ必要なのか理解していない人も多いのではないだろうか。
通分とは、分子と分母に、0ではない同じ数をかけることが許される仕組みを利用したものだ。つまり、1/2の分子と分母に3を掛け合わせて、3/6にするような場合に使う。
1/2
+ 1/3を計算するために、3/6
+ 2/6と書き換えることが通分だ。
が、なぜ通分するのか? そういう変形が許されるのは分かるとしても、どうしてそういう変形をしなければならないのか?
一般的な教え方として、図を使ったり、ケーキを使って教えることがあるだろう。同じ大きさのケーキが二つあるとする。一方のケーキはすでに2等分されており、もう一つは3等分されている。このとき、一切れあたりの大きさを等しくするためにはどうすればいいか?
2等分されたものを3等分し、3等分されたものを2等分すればいい。初期状態から見て6等分された状態になれば、一切れあたりの大きさが等しくなる。
というような教え方だ。
だが、私はこういう教え方も嫌いだ。私ならば、これもやはりかけ算の分配法則を使って教える。
1/2
+ 1/3
=3/6
+ 2/6
=3*1/6
+ 2*1/6
=1/6(3
+ 2)
=1/6(5)
=5/6
というわけだ。
つまりなぜ通分するのかといえば、1/6という共通因数を作り出すことで、かけ算の分配法則を利用できる形にするためだと言える。
自然は数学を説明するためにあるわけではない
数学を使って自然を説明するのはいい。数学は、そういうことができるように調整されて作られている。
しかし逆はそうではない。
自然は、数学を説明するためにあるわけでもなければ、そのために調整されてもいない。だから、自然を使って数学を説明するのは筋違いだ。
もちろん、そうすることが便利な場合もある。絶対に使ってはいけないとはいわない。
あくまでも便宜的に、ある条件下においては理解の助けになる場合にあるということを念頭に置いた上で、不正確さを認識した上で使うならばかまわない。教わる側にも、その考え方に問題点があることを伝えておけば。
かつては私も数学をイメージで理解しようとしたことがあるが、1/2乗という概念が理解できなかった。2乗というのは同じ数を二つ掛け合わせることだが、1/2乗というのは同じ数を1/2個掛け合わせることになる。
1/2個掛け合わせるってなんだ? 全くイメージできない。
それ故に、そんな悩み事から解放されるため、式変形に従いA^(1/2)
=
√Aと受け入れることにした。数学は、公理に従って式を変形するゲームにすぎない。それ故に、ルールに従ってそれが導出されればそれでいい。イメージなんて思い浮かべる必要はない。
その方が、数学を数学として学べるだろうと思う。
いくつか気になったので、適当にコメントします
返信削除>>a + aを教えるとき、一般的には物体を使うのではないだろうか。
物体よりは、座標を使ったほうが、負の数や有理数、実数に対応できます
距離aだけ東に進むを、2回やると、2a
>>計算は数に対して行うものであって、変数に対して行うものではない。
変数は、実質的に数なので、数と思って計算を可能な限りするのが一般的です。ただし工学数学などでは、あえて通分などの計算をしない場合があります
>>1/2個掛け合わせるってなんだ? 全くイメージできない。
『足し算』と『掛け算』は数学的に同一視できます。
具体的には、
2*8=16 という掛け算は
両辺の2を底とする対数をとると
log2(2*8)=log2(16)
1+3 = 4 みたいな対応づけです
掛け算を足し算化した世界で
4-3みたいなものも考えることができて
それを掛け算表記すると
16*(1/8) = 2 と割り算と負の数についても拡張できます
そこでなのですが掛け算を足し算化した世界で
4-1.5-1.5 =1 をみたすような
2を-1.5回かけた数も存在するだろうと推測できます
(実際の計算方法は抜きにしてます)
数学の世界には
計算方法やルールだけを定義して
実際の値を求めない数の表記法が、いくつもあります
たとえば
分数なんて
3/7 という数は
3÷7の結果というかたちで定義しています
ルールとそれに基づく計算の落とし所が決まっていれば
3/7が具体的にどんな数かは、計算上どうでもいいように
2を1/2回かけた数も
ルールとそれに基づく計算の落とし所が決まっていて
ある程度の近似値を求められるので工学的にも問題なく
この文章で書かれているととおり
ルールに基づく数遊びでいいとは思います
興味深いお話をありがとうございます。専門的な内容を、私が知ってる言葉で解説してくれることは大変ありがたく思います。
削除>距離aだけ東に進むを、2回やると、2a
今はそういう教え方をするのでしょうか。確かに、それならばマイナスは西へ進むことと定義しておけばすみそうです。
ただその場合、ab + abはどうやって教えるんでしょうか。
距離aだけ東に進む、距離bだけ北に進むを二回やると4abになってしまいますし。
>変数は、実質的に数なので、数と思って計算を可能な限りするのが一般的です。
私は変数は入れ物だと読みました。
また、ペアノ公理による足し算が
1 + 1 = 0' + 0' = (0' + 0)' = (0')' = 0'' = 2
という流れを追うことからも、aに'がいくつ付いているのかが不定の状況では、足しようがないようにも思えます。
変数のまま計算するというのは、違う約束事を利用しているんでしょうか。
>『足し算』と『掛け算』は数学的に同一視できます。
いや、面白い視点ですね。
一瞬、2*8=16と1+3=4を単純に同一視してしまうのかと驚きました。
2*8=16を、log2を前提とした世界で構築し直すと、足し算に書き換えられるんですね。工学では、こういう考え方が有効だったりするんでしょうか。
これ自体は僕の持論なのですが、実生活と数学(算数)結びつける
返信削除基本的なモノは3つだけです
・個数
・量
・座標
個数は、モノの個数です
量は
ある大きさを単位量(1)とした時のモノの大きさです
座標は
ある点を0として、ある距離を単位距離としたときの場所です
それぞれ、できる演算、できない演算があって
たとえば、家の個数を考えてる時に、1.5軒は考えられません
たとえば、コップに入る水の量は、マイナスになりません
負数の掛け算を考えられるのは
座標の概念がないと現実世界とのリンクは作りにくいです
(学校でどう教えているかは、知りません)
座標について考える数学は
線形代数と呼ばれます
線形代数には、基本的な演算が2つあります
・平行移動
・拡大、縮小、反転、回転
平行移動は足し算・引き算で実装されます
拡大、縮小、反転、回転は、掛け算・割り算で実装されます
(以上、前置き)
☆
ab + ab をどんな座標変換と、僕が読み取るかというと
任意の点xに対して
【ab】
原点を中心にa倍拡大したのち
原点を中心にb倍拡大した場所から
【+ab】
原点を中心にa倍拡大したのち
原点を中心にb倍拡大した分だけ平行移動 と読み取ります
☆
この書き方だと正確には
(x)(ab+ab)
=(x)2ab (= abx+abx ) ではあるのですが
具体的な点の移動と考えるよりは
座標変換のチェーンだと考えたほうが
複雑な線形変換を、シンプルに説明しやすくなります
要するに
ab を具体的なモノの掛け算としてとらえるのではなく
任意の座標に対し
原点を中心にa倍するルールと
原点を中心にb倍するルールの複合と考えておいたほうが
現実とのリンクを考えながら数式を読み解くとき
自然に入ってくるでしょうね
☆
ペアノ公理系のくだりは
僕がコメントを理解できなかったので
コメントは控えます
☆
対数の話は
工学では特に画期的で
その本質的な理由は
足し算と掛け算の計算コストの差にあります
☆
10ケタの数字を10回かける計算コストと
10ケタの数字を10回足す計算コストを比較すると
イメージはつくと思います
必要な精度が取れる範囲で対数化すれば
工学上問題はなく
足し算の計算コストで
掛け算の計算コストを踏み倒せるのは
歴史的発見だったと、いわれています
コメントをありがとうございます。
削除計算コストが大幅に削減できて便利だというのは、よく分かります。確かにすごく便利そうです。
ただ、ab + abの教え方については、ご説明いただいた考え方がいいやり方とは思えません。それは、「その考え方が間違っているから」ではなくて、「そのやり方で教わった子供は苦労するから」です。
おわかりとは思いますが、問題になっているのは、今から文字式を学び始める子供に、どのような教え方が適切か、です。
a + aを東にa移動することを二回繰り返すこと、と教えるのは悪くはありません。確かにわかりやすいと思います。ただこれは、ab + abになったときに、同じ教え方ができない、という問題を私は指摘しました。
だから、今回のような解説を頂いたのでしょう。しかしこれは、かなり複雑になっています。
まず、任意の点Xを教えなければならない上、Xの座標は(0,0)であっては困りますよね。何倍しても点が動けません。ひとまず初期の学習段階では、Xは定点(1,1)ということに定義しておくのかも知れません。
そして、a + aとab + abの考え方を共通させるために、a + aの時点でab + abと同じやり方で教え、ただしそのときはb = 0とするのではないかと予想しています。こうすればa + a = ab + ab(b = 0)が等しい答えを出してくれます。
***例
定点X(1,1)
a = 2
b = 0
【ab】
原点を中心に2倍拡大したのち
原点を中心に0倍拡大した場所から
【+ab】
原点を中心に2倍拡大したのち
原点を中心に0倍拡大した分だけ平行移動する
その結果、(2,0)から(2,0)だけ線を延ばした後、0だけ平行移動するので、座標は(4,0)を示すでしょう
***
しかしこの場合、間違いなく子供を混乱させます。因数の一つが0の場合、全体も0になると教えることになります。当然、ab(b = 0)ならばab = 0です。
実際、座標(4,0)の面積は0ですから、間違ってはいないかも知れません。が、ab + ab(b = 0)の段階で0という答えが出ているのに、それでも2abと答えなさい、と教えるのは無理がありませんか。他の場面での指導と矛盾すると思います。
この問題を回避しようとした場合、やはりa + aを教える段階では、ab + abとは違うような、例えばすでにご説明いただいたような「東にa進むことを二回繰り返す」として教えるのかも知れません。
その場合はおそらくお気づきのことと思いますが、ab + abになったとたん、なぜか最後に平行移動してつじつまを合わせ始めます。どうしてa + aと同じように、二回繰り返さないのか、子供は疑問に思うでしょう。
以上により、この教え方は子供に負担をかけると思うので、いい教え方とは思えません。
いろいろと、思うところがあるのでコメントします。
返信削除>>「そのやり方で教わった子供は苦労するから」
>>この教え方は子供に負担をかけると思うので、いい教え方とは思えません。
まず、あなたは子供ではありません
文字式を学びはじめるタイミングで、負数同士の掛け算を
違和感なく定義できる状況が、線型空間における線形変換くらいだろうと思うのです
その線形空間という言葉を使わないで、現実の具体例を引き出すことはあるのでしょうけど、本質的には線形空間
掛け算の分配則を前提に考えるなら、なおのこと線形空間です
☆
理系にとって絶対必要な数学の分野は2つあって
線形代数と微分・積分です
線形代数は、座標変換の数学
微分・積分は、単位変換の数学です
遠い教育目標にこれらがある以上
線形代数的なものを線形代数的に教えておくのは
二度手間を省く意味があります
子供に学問を教えるのは
将来それが不要な人に教えるのではなく
将来それを必要とする人に教えています
あなたがそれを必要としていなということと
子供が将来それを必要とするということは
あまり関係ありません
☆
子供の時点で、子供の負担を最小限にする教え方が
将来的に、子供の負担を増やすかもしれない
今回書かれていたものには、
その視点が欠けていたように思います
☆
本文についてですが
abと書かれた実数の掛け算を
平面上の行列の掛け算と誤解しているようにみえます
わたしは、abという実数の掛け算を
1次元ユークリッド空間を仮定して (a,b∈Rを仮定)
コメントを書いていました
☆
それと、平行移動がわかりにくいという話ですが
座標変換を考えた時、『減算』という演算が
原点位置の移動を表現していることが、多々あります
たとえば
x^2+ax+b=0 を
x=(-a±√(a^2-4b))/2
と変形する際の
(x-a/2)^2 でまとめる操作は、本質的に座標の平行移動です
☆
ab+abなのですが
この式の演算は
乗法2回と加法1回です
なんの断りもなければ
乗法から計算するので
abから計算しました
そののち、(つじつま合わせではなく)加法を計算しました
☆
aとかbを固定された点ではなく
変換ルールとして扱ってるのは理由があります
変換ルール同士ならば、いくら複合させても変換ルールです
もちろん指摘の通り、0倍する変換は非正則な変換なので次元が下がってしまうのですが
なんの仮定も持ち出さずに
負数同士の積を含む計算を並べていく時
現実世界とのリンクを取りながら
解説する分には、
線形空間を持ち出して
線形変換を連続でやってみせるのが
あくまでその目的での、優良解なのではないでしょうかね?
☆
余談ではあるのですが
式の変形については
個人的にあまり
現実世界とのリンクを持たせないほうがいいと思います
☆
たとえば
計算の途中で、マイナス0.5個の『みかん』がでてきても
計算中は、みかん∈実数 を仮定しておいて
実数空間にて使用可能な演算を適用しておいて
結果が出た時に
後からつじつまを合わせる形で
良いと思うのです
☆
それを許せば
つまり具体例を持ち出さないことを許せば
負数かける負数は、正になるという
ごく単純なルールの暗記で事足ります
☆
僕のやってた数学では
実数同士の掛け算を5~6個連続で行うような事は普通にあって
それは部分的には
abcde (a,b,c,d,e ∈ R)なのだけれど
各変数の具体性においては
あまり考えずにやってました
☆
あまり現実世界とのリンクをとらずに
ルールに則った式の変形ゲームとして
数学に接するのは
現実世界とのリンクを対峙し続けるスタンスより
広範囲の問題に対応できるのではないかと、思うのです
ちょっとよく分かっていないところもあるのですが、まず土台となっている部分に疑問があるので、そこだけコメントしたいと思います。
削除>負数同士の掛け算を違和感なく定義できる状況が、線型空間における線形変換くらいだろうと思うのです
(a + (-a))(b + (-b)) = 0
ab + a(-b) + (-a)b + (-a)(-b) = 0
ab + -ab + -ab + (-a)(-b) = 0
-ab + (-a)(-b) = 0
(-a)(-b) = ab
これで負数同士のかけ算が正になることが証明できますよね。
かけ算の分配法則を前提にしていいなら、線形代数を使わなくても定義できると思いますが。
数式のゲームとして
返信削除ルールさえ整備されていれば
掛け算の分配法則は
線形空間の本質的なルールです
逆にいうと
分配法則を定義できた空間は
ほとんど線形空間といえます
☆
こういうふうに
式を組み替えれば
一見、負数同士の積の証明はできるのですが
aは具体的になんなのか
bは具体的になんなのかと考えると
適切なものがあまりありません
☆
たとえばこの例でも
a,b∈みかん だとすると
みかんxみかん って、なんじゃそりゃ、ですし
マイナスみかんは、反物質っぽいです
時間や距離みたいなものは
僕が上に定義した意味で座標であり
適切な例を考えていくと
線形空間の元に自然になっているものばかりです
☆
線形代数って書くと
なんだか難しそうに見えるのですが
分配則が定義された
考えやすい空間を想定するのなら
自然と線形空間を思いつくのではないかと思います
☆
その上で
各元の対等性を想像しやすい変数の例として
1次元ユークリッド空間での
アフィン変換を持ち出した次第です
ご説明をありがとうございます。
削除ただ、そろそろ私は、何を言われているのかが分からなくなってきました。
かけ算の分配法則は実数の方で定めているはずです。公理としているものを見たことがあります。
それがどうして線形代数のルールになってしまうのかが分かりません。
また、確かにみかんは分配法則を満たさないとは思いますが、数学の法則ですから、数が入れば十分でしょう。数は適切だし、数ならば分配法則は適用できるわけです。
で、数は座標ですか? 座標として表せる、というのならそうかも知れませんが、数は座標ではないですよね。
a + aとかab + abを学ぶ時点で線形代数を意識しておくべきだというのが持論なのかも知れません。まぁ、他者の持論をとやかく言うつもりはありません。
私としては、それは子供を苦しめるだけだからやめた方がいいとは思いますが、やめさせることはできません。
現状ご説明いただいた限りですと、かけ算の分配法則を適用して
ab + ab
=1ab + 1ab
=ab(1 + 1)
=ab(2)
=2ab
というやり方が、やはり私のお勧めであり、文字が三つになろうが10個になろうが、いつまででも全く同じやり方で対応できる、汎用的な方法だという確信を深めました。
私もまた、現実世界をどう表しているのか、などと言うことを考える必要がないというタイプですので。
いろいろとためになるお話を頂きましたので感謝しております。
ただ、話の内容がよく分からなくなっておりますので、次回はお返事を差し上げられないかも知れません。あらかじめご了承ください。
このエントリーの根幹の話題に
返信削除>>さて、a + aを教えるとき、一般的には物体を使うのではないだろうか。
というのがあって
物体を使う問題点は、まず指摘が必要と感じました
では、なにが妥当な例なのか、というのがわたしのコメントであり
ある程度アクロバットな式変形がきても現実とのリンクがとれるのは
わたしが挙げた上記の例です
公理にしたがって機械的に計算するなら
つまり計算元の概念がなにであったかは不要です。
それを言ってしまうと
分数の通分も、本質的には分配則です
ab+ab = 2ab も分配則です、おっしゃる通りです
☆
少し気になった表現なのですが
子供を苦しめるから、辞めた方がいいというのは
太宰メソッドというか、主語の大きい表現なので
お控えになられたほうがいいと思います
☆
少なくとも
わたしは変数への代入程度の議論や
分配則の理解、分数の通分などなどで
苦しんだことはないですし
わたしの周りでも
観測できませんでした
☆
自分がわからなかったという経験と
普遍的にわかりにくいという事は
別個に議論されるべきだとは
思います
☆
代数的な計算と
実際への応用は違う分野であり
中学・高校の数学は
現実への応用を無視しして
計算ルールとその実践のみです
中学・高校の数学の精神なら
このエントリーの主旨の通り、それでいいのでしょう
☆
そう考えると
このエントリーの
りんごのくだりも、ケーキのくだりも、不要ですね
そんなの使わないで教えている人も
現実的にたくさんいるわけですから
☆
もしよかった
読んでみたい話で、質問なのですが
分数の割り算で
逆数をかけるという行為を
どういう風に説明しますか?
分数の割り算がすっと理解できると
人生がうまくいくらしいので、ぜひ聞きたいところです
分数の割り算についてですが、あまり深く考えたことはありませんでした。定義上当たり前だろうくらいにしか考えていませんでした。
削除a 割る b = a/b
a*(1/b) = a/b
a 割る b = a*(1/b)
となります。
多分問題は、分母が1以外の数で割る場合どうするのか、ということなんだと思います。
一応考えてみましたが、こんな感じになるんじゃないかと思います。もっと深く考えたら、いいのが思いつくかも知れませんが。
a / (c/b) = x
a = x(c/b)
a = cx/b
ab = cx
ab/c = x
a*(b/c) = x
【コメントを承認しない方がいいであろうことを書きます】
返信削除このエントリーの構造的な最大の欠陥は
ストローマン論法を用いていることにあります
とても弱い例を持ち出して
それに対して普通の論法で論破する。
主張は
ab +ab = ab(1+1) = 2ab の
中間式があったほうが理解しやすい
たった2行でかける主張に
何行もかけるとエントリーっぽくならないので
当て馬をつくって文章を水増しする気持ちはわからなくもないですが
水増しすれば水増しした分だけ
なにを言っているのかわからなくなるし
対抗する例が弱ければ
主旨の主張がバカっぽく見えるのは
せっかく
普通のことを言っているのにもったないと思います