他人の人権にはあまり興味を持たない人がいる。「女性の権利」などという言葉に拒絶反応を示し、女叩きを始めなければいられない人とか。そういう人からすれば、「アイドルが恋愛する権利」などというものを守るべきだとは、とうてい考えないだろう。
しかし、「自分には関係ないから」という理由だけで人権侵害を許していけば、有名なナチスドイツの格言に行き着く。「ナチスが共産主義を攻撃したとき、私は何もしなかった。私は共産主義者ではなかったから」というあれだ。
この記事は、人権を侵害する契約は、無効とすべきだ(1)の続きとなる。
2015年9月の判決
私がMixiで記事を書いたのは、このときの裁判についてだった。
あるアイドルグループのメンバーが、恋愛禁止の契約に抵触したため、所属事務所から賠償を求められた。訴えは認められ、65万円の支払いが命じられた。
このとき私は、判決に違和感を感じ、最高裁まで争ってほしいなぁと書いた。いろいろと反論を受けたけれども、まぁ、特筆すべきものはなかったのでそれは省略しよう。
2016年1月の判決
それから数ヶ月後、似たような裁判が行われ、判決が出た。今度は真逆。「恋愛は幸福追求の権利の一つなのだから、賠償の必要性は認められない」ということになった。
人によっては、アイドルという特殊性を考えれば、恋愛禁止規則は正当な契約内容だと考えるようだが、このときの裁判では「アイドルという特殊性を考えても」認めるわけにはいかないと明言されている。
というわけで、現時点ですでに、人権を侵害する契約は無効とするべきだという動きは生じていることになる。
2017年7月現在
しかしながら、まだ答えは定まっていない。同種の裁判でありながら、異なる判決が出ている以上、結局はケースバイケース、と言わざるを得ない状況だ。人によっては、まだまだ「契約したんだから従うのは当たり前」と考えている。
だからこそ、今年になってもまだ須藤凜々花さんの件で非難する人間が多い。だから私は、この記事を通して、人々に考えさせようとしている。「人権を侵害する契約が有効であるならば、自分にそういう契約が突きつけられたらどうするのか」を。
今のところは自分と遠い人々にしか提示されていない。どうせアイドルなんて使い捨てだ。気に入らないアイドルを受け入れるより、排除して、新しいのを見つけた方が早いだろう。今は、物だけではなく、人も余っている時代なのだから。
しかし忘れてはいけない。そういう自分自身もまた、いくらでも替えの効く、嫌ならほかを探せばすむんだよ、と言われる存在であることを。そりゃぁ、これを読んでる人は私みたいな中卒ニートじゃないだろう。だから私よりはきっとましだ。社会的価値がある。が、本当に、他人では自分の代わりが務まらないなんて思ってるのか?
近頃の社会は流動的だ。悪いところはたくさんあるが、いいところもある。たとえば、さすがにやばいと言うことで、ブラック企業というものへの対策が本格化してきた。昔は当たり前で通っていた物が、やり玉に挙げられ始めたことで、やっと牽制できるようになったんだ。
これだって、多くの人がブラック企業に対して抱いた不信感の賜物だ。そんな企業を野放しにして儲けさせておいては、社会全体がブラック化するし、ひいては自分の身の回りの環境までブラック化しかねない。
それと同じ力が、人権を侵害する契約にも向けられるべきだろうと考えている。と言っても、なかなか難しい。ブラック企業の場合は、末端の労働者が死に追い詰められるという事件を起こしているが、アイドルの場合はまだ死者は出ていない。
しかも、たとえ出たとしても、日本人のねたみ癖からすると、痛ましいと思う前に喜びかねない。おそらく、ブラック企業での死亡者の場合は、自分と境遇の近い人もいただろうから、共感が強いんだろう。共感できない相手に対する陰湿な敵愾心の強さは、驚くべきものがある。
しかしそれは、ほどほどのところで切り上げて、もうちょっと良識的な態度をとるべきだと思う。気にくわない相手だからどうなってもかまわない、ではなくて。
アイドルが攻撃されたとき、私は声を上げなかった。
私はアイドルではなかったから。
ホワイトカラーが攻撃されたとき、私は声を上げなかった。
私はホワイトカラーではなかったから。
なんて話にならないようにしてほしい。
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