2017年7月28日金曜日

ワタミの理屈を破綻させるための論法

前回の記事で、ブラック企業の話が出たので、ブラック企業の代表選手、ワタミの話でもしてみよう。女性従業員の過労自殺問題を通してワタミの闇が現れ、それが結果的にブラック企業全体への対抗勢力の誕生につながったように思う。

今となってはワタミの業績は悪化の一途をたどり、店名を変えることで生き延びている状態だ。いい加減懲りただろうし、これ以上追い打ちをかける必要はないのかもしれないが、やはり私は論理的におかしそうな主張を見かけると、突っ込まずにはいられない。

あの有名なコピペの隙を突いてみよう。

無理というのは嘘つきの言葉なんですよ


とりあえず、あれを張っておこう。

ワタミ社長「『無理』というのはですね、嘘吐きの言葉なんです。途中で止めてしまうから無理になるんですよ」
村上龍「?」
ワタミ「途中で止めるから無理になるんです。途中で止めなければ無理じゃ無くなります」
村上「いやいやいや、順序としては『無理だから→途中で止めてしまう』んですよね?」
ワタミ「いえ、途中で止めてしまうから無理になるんです」
村上「?」
ワタミ「止めさせないんです。鼻血を出そうがブッ倒れようが、とにかく一週間全力でやらせる」
村上「一週間」
ワタミ「そうすればその人はもう無理とは口が裂けても言えないでしょう」
村上「・・・んん??」
ワタミ「無理じゃなかったって事です。実際に一週間もやったのだから。『無理』という言葉は嘘だった」
村上「いや、一週間やったんじゃなくやらせたって事でしょ。鼻血が出ても倒れても」
ワタミ「しかし現実としてやったのですから無理じゃなかった。その後はもう『無理』なんて言葉は言わせません」
村上「それこそ僕には無理だなあ」
(『日経スペシャル カンブリア宮殿』より)

これを読んだ人は、いろいろと言いたいことがあるだろう。突っ込みたいところはたくさんあると思う。私が今回指摘したいのは、「実際に一週間もやったのだから。『無理』という言葉は嘘だった。現実としてやったのですから無理じゃなかった」という部分だ。

これはつまり、「その行為が実行できたということは、無理ではなかった。本当に無理なら、実行自体が不可能なはずだ」という理屈だ。おまえ日本語大丈夫か? と聞きたくなる。

青酸カリは飲める物か?


さて、ではこのワタミ理論を追求してみよう。とっかかりは、ワタミ社長さんに「青酸カリは飲める物ですか?」と聞いてみればいい。実際にはワタミの社長に聞く機会はないけど、聞くまでもない。

とりあえず場合分けして考えてみる。

1、飲めないと答えた場合。


もし青酸カリが飲むことのできない物だとすれば、青酸カリを飲んで死ぬ人間は存在しないことになる。なぜならば、飲むという行為が実行できないのであれば、どうして飲んで死ぬことができるだろうか?

しかし実際に青酸カリを飲んで死んだ人が実在している。いったいこの人は、その人の死因をなんだと思っているのだろうか?

いや、もちろんこれは屁理屈だ。誰でもすぐに見抜ける程度の屁理屈だ。正直自分でもばかばかしいことを言っていると思う。だから多分、相手はこう言うだろう。

「青酸カリが飲めない物だというのは、そういう意味じゃない。飲んだら死んでしまうような物を飲めるとは言わない。君は日本語の勉強をし直した方がいい」

ところがどっこい。

ん・・・なんだ。今時こんな表現しないな。カイジくらいでしか見たことないぞ。まぁいい続けよう。

その言葉こそ私が期待したものだ。だから私は、待ってましたとばかりこう聞き返す。

「鼻血を出してぶっ倒れるような行為をできるとは言わないんじゃないの? ところが、実行できた以上は無理じゃなかった、できないことじゃなかったと言いたいんでしょ? だったら、飲んだら死んでしまうものであっても、飲むという行為が実行できた以上無理じゃなかった、できないことじゃなかったと言わない理由は何? あんた、日本語の勉強し直した方がいいんじゃない?」

次にどんな言い訳をするかは分からないが、まともな逃げ道は残されていないだろう。まともな日本語が使えるなら、こんな理屈は出てこない。

2、飲めると答えた場合。


なるほど。ちゃんと筋を通すわけだ。飲むという行為が実行できる以上、飲めないと答えたら自分の理屈が破綻してしまうと、正しく理解しているらしい。

が、この場合に言うべきことはただ一つ。

「じゃぁ飲んでみろ」

これだけでいい。飲めるんだろ? じゃあ飲めよ。飲めないよなぁ? だったら飲めるなんて言うな。と、こういうことになる。

((A∨B)∧(A⇒C)∧(B⇒C))⇒C


ん。

あぁ、この不思議な記号は気にしなくていい。いずれ、論理学の記事を書くときにでも説明しよう。
前述の「青酸カリ飲める?」という無茶な質問で分かることは、Yesと答えようとNoと答えようと、相手は答えに窮するということだ。実際にワタミの社長に尋ねるまでもなく、まともな脳みそでは回答できないということになる。

こういう考え方は便利だ。これは論
理学で出てくるものの考え方の1パターンだが、論理学には便利な考え方がたくさんある。たとえば光速で走る列車の天井から発した光は、床に到達するかで証明に使った背理法なんかも、論理学が教えてくれる思考パターンの一つだ。

なんかおかしいぞ、という主張は世の中にはたくさんある。そういうものの間違いを指摘するためには論理学が役立つことは多い。特に、極端な主張に対しては効果が抜群なことも多いので、学んでおくといいだろう。

え? 私の主張もかなり極端だって? いやぁ、私は相当バランスがとれてるはずだけどなぁ。いずれ、おいおいそのあたりも語りたいところではある。


0 件のコメント:

コメントを投稿