2017年11月15日水曜日

論理的にルールを強制することの限界

よほどの変な人でもなければ、あえて好んでルールを破ろうとはしないだろう。ルールを破ること自体に楽しみを見いだす人もいるようだが、そういうのはかなりの少数派だ。

多くの場合人々は一応不都合のない範囲ではルールに従うものだし、ルールを守らせようともする。そのとき、ルールに従わなければならない理由を持ち出すのだが、これには限界がある。

最終的には、ルールを守らなければならない論理的な理由はないし、ルールを守らせるルールるも存在しないことになる。

野球をするときは野球のルールを守らねばならないのだろうか


さて、これからみんなで集まって野球でもしてみるとする。このとき、参加者達は野球のルールに従わなければならないのだろうか?

もし従わなければならないのだとしたら、その理由は何だろうか? 論理的に、従わなければならないことが導かれるのだろうか?

ここには二つの考え方がある。一つは、「ルール違反をすることは悪いことなのだからしてはいけない」という視点。もう一つは、「ルール違反者に対する処置もルールに含まれているのだから、ルールに違反すること自体はしてもかまわない」という視点だ。

が、今回は前者を扱う。後者はまた、別なときにでも語ってみよう。

ルール違反、つまり反則のことだが、誰かがこれをしたとき、人々はその人を注意する。「君、それは反則だからやっちゃダメだよ」と。これこれこういうルールになっているのだから、そういう行為は反則なんだ、と説明もするだろう。

しかしそのとき、「どうして反則をしてはいけないのか」と聞かれてしまうと、答えようがない。反則はいけないものとすり込まれている我々としては、「そんなものは当たり前だ」と言いたくなるのだが、そこにどうにか理屈を付けようとするとうまくいかない。

「どうして人を殺してはいけないのか」という問いも同様だ。「じゃあ自分が殺されてもいいのか」とかの反論もあるが、これは自分と他人を同等に扱わなければならないという思想が前提になっている。

曹操のように、「他人が俺様を裏切ることは許されないが、俺様が他人を裏切るのはいいんだ」という立場もある。このような立場に立っている人間には、この論法は通用しない。

一番もっともらしい説明は「野球では、そういうことをしてはいけないというルールがある」だろう。ルールで定められているのだからダメなんだ、というのは一見すると筋が通っているように見える。

一見する限りは、なのだが。

ルールを守らなければならないルールの不在


しかし彼は次にこう問えばいい。

「野球のルールを守らなければならないというルールはどこにあるの?」

野球のルールに野球のルールを守らせるルールがあるかどうかは知らない。あまり野球に詳しくないから。しかし、あってもなくても関係ない。このやり方はすぐに手詰まりになるからだ。

「じゃあ今からでも野球のルールに、『野球をするときは野球のルールに従わなければならない』というルールを加えるよ。これでいいか」

「うん、いいよ。で、そのルールに従わなければならないルールはどこにあるの?」

ということになる。

もちろんこれをどこまで続けていっても事情は変わらない。ルールAを守らなければならないというルールBを守らなければならないというルールCを・・・というように繋げていっても、結局最後のルールを守らなければならないルールが存在しない。

よって、野球のルールを守らせるルールを作るやり方では、野球のルールを守らなければならないことは説明づけられない。

政治権力は銃身から生まれる


毛沢東の言葉にこのようなものがあるようだが、似たようなものだ。人間社会というのは、実は全面にわたって、武力によって支配されている。

結局のところ、野球のルールを守らない人間は野球から除外される。野球のルールに従って反則として処分され、退場を言い渡されたとしても「その退場のルールに従わなければならないルールはどこにあるのだ」と言い続けることはできるが、彼を説得し、納得させる必要はない。

ただ、係員が彼を羽交い締めにし、グラウンドからつまみ出せばいい。というか、そうするしかない。

犯罪者も同様。どうして人を殺してはいけないのか、どうして人の物を盗んではいけないのかと問われ、法律をどれほど説明されようとも、その法律を守らなければならない法律がどこにあるのかと問われ続ければ、論理的な説明には限界が来る。

しかしそのとき、それでそいつが法を犯せば、ただ逮捕し、裁判にかければいい。説得する必要も、納得させる必要もない。ただ、社会の側が用意した権力機構の武力を用いて、強制的に社会的制裁を加える。

それだけのこと。

人間社会を秩序立てている根底にあるのは、多くの人間達が一致し、協力して成立させている「当たり前」の感覚。そこから逸脱した者は、みんなで場外に放り出そうという武力が社会の根っこにある。

だからこそその緊急回避措置としての法律が重視されるのであり、緊急回避措置が一部の人間達の好き勝手にされないためにも、法律を尊重するのが無難ということになる。


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