2018年1月8日月曜日

共産主義と新自由主義の共通点

人間社会というものは、あまり極端な主義主張の下ではうまく構築できないものだ。未来は過去の延長線上にある。極端な変革は、歪みを生む。だからこそ私は漸進主義者だ。

しかし、極端な主義というものが、本質的に間違っているかというと、そういうわけでもない。共産主義というのは、実現するならばなかなかに結構なものかも知れない。私の口には合わないが、悪いことばかりではない。

新自由主義も同様だ。

しかしそもそも、こういった極端な思想で社会を形成するのは、酷く困難になっている。

共産主義の目指すところ


共産主義というのは、今では不正な思想であるかのように扱われている。ソ連や中国共産党など、結局のところ、不正のはびこる全体主義国家しか生まないからだ。

しかしそういった全体主義は、共産主義の目指す終着点ではない。共産主義の理想を叶えるための過程、過渡期としてはやむを得ないという考え方もある。

私の知り合いが昔言っていた。共産主義に対しては「総論賛成、各論反対」だと。確かに、みんながみんなのために働くというのは、優しい世界かも知れない。差別も搾取もなく、全員が同じだけの物資を分配されるというのは、平等の至りだ。

共産主義が目指すところは、貧富の差のない社会なのだから。

しかしこれは、人間社会で実現するのは無理とされている。人間には欲がある。人間は利益を追い求める存在だ。自分にとって、得になるから頑張る。努力する。努力してもしなくても同じ利益しか得られないなら、人間は努力をしようとしない生き物だ。

それ故に、その社会は活力を失い、より競争的な社会に敗北することになるだろう。

共産主義というのは、人間の性質的に、向いてないんだ。

新自由主義の目指すところ


かつて日本でも、小泉純一郎がやろうとした。事実、ある程度は実施した。一つは郵政事業の民営化であり、一つは派遣業の規制緩和だ。

郵政事業の独占が解かれたことで、民間業者が参入できる事業が増え、相応の利益も出している。時に、郵便局のサービスや業績が向上していないことを以て、郵政民営化を失敗だったと考える人もいるようだが、それはおかしい。

郵政改革の結果として民間業者が上げられるようになった利益もまた、改革の成果と見なさなければならない。その改革がなければ、出てこない成果だったのだから。

しかし、郵政事業の民営化は新自由主義にとっての一歩でしかなかった。

派遣事業の規制緩和については批判も多い。正規雇用者の減少、非正規雇用者の増加の原因はこれにあるという。小泉の政策のせいで正社員になれないんだという主張は、よく見かける。

そういう面はあるかも知れないが、全てを背負わせるのは不当だろう。結局のところ、日本人の人件費が高すぎる。維持するのであれば、企業はより安い労働力を外国にでも求めるだろう。それでは産業は空洞化する。

商売というのは対戦相手がいるゲームのようなもので、環境によってやり方は変わっていくものだ。クラウドソーシングにおけるライターの報酬安すぎ問題について(1)で書いたように、もっと高い報酬を払わなければならないようにしたら、仕事自体が減っていくだけだろう。

結局のところ、派遣事業の規制緩和は、雇用を守った側面と、非正規雇用を増やした側面があり、一概にいいとか悪いとか判断できるものではない。

しかし、仮にそれが悪いことだった、失敗だったと仮定してもなお、そこから新自由主義を否定することはできない。

新自由主義というのは、小さな政府を求める思想だ。軍事や外交など、国家の重要な役割以外は、全て民営化してしまえという考え方だ。国家は、最小限の仕事だけをすればいい。あとは、市場原理に任せて、効率よく運営する。

当然、市場原理に任せれば格差は広まるし、競争は激しくなる。市場原理とは自然淘汰のようなものであり、自然淘汰とは繁栄するものと滅亡するものの差を生み出すものだ。

その代わり、民間で動くお金は多くなる。政府が小さくなるのだから当然だ。

政府が小さくなると言うことは、政府が使うお金も少なくなると言うこと。つまり、公務員も大幅に削減される。国家予算が減ることになる。

ならば当然、必要とする税金も少なくなる。よって減税できる。税金が安くなれば、各家庭にお金が残る。その分、民間での商売が盛んになる。

というのが新自由主義の目指すところだ。しかし、これもうまくいきそうにない。

共産主義と新自由主義の共通点


結局のところ、小泉は新自由主義は実現できなかった。早々と引退してしまったからだ。継続していたら、命が危なかったりするのかも知れない。

それ故に、新自由主義が成功したか失敗したかは不明だ。郵便局一つ民営化した程度では、減税できない。

が、そもそも新自由主義などというものは、実現する見込みはない。そもそもからして、小さな政府など作れない。なぜならば、人間には欲があり、利益を求める生き物だからだ。

政府が小さくなるということは、政府に巣くい、税金で懐を暖めている者達が、その既得権を失うということだ。税金で運営される親方日の丸ほどの大企業は存在しない。日の丸企業に勤めている限り安泰だ。その保証を失いたがる人間は、普通はいない。

つまり、政府を小さくしようという動きは、多くの敵に阻まれざるを得ないということだ。しかも、政府の中枢に食い込み、政府に影響力を持つような強い敵に。

これが、共産主義と新自由主義の共通点だ。人間には欲があり、利益を求める。その同じ理由で、両方とも実現できない。一方が実現できるなら、きっともう一方も実現可能だろう。

共産主義と新自由主義は、そのくらい人間の本質に根ざさない、極端な思想ということになる。



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