2017年9月18日月曜日

関心のある振りをする人々。いい人ぶりたいのか、他人の悪口を言いたいのか

世の中では様々な事件が起きる。それに対して口々に非難が述べられ、罵倒し、怒りがぶつけられる。死刑にすべきだとか、死んでしまえだとか、相当ご立腹のように思われる。

だが、彼らは何もしない。テレビに対して、ネット上のコメント受付機能に対して、言いたいことを言ってしまえば満足するのか、社会活動に結びつく人はほとんどいない。

なぜなのか? どうして、何もしようという気にならない程度にしか関心がないのに、関心がある振りをするのか。

何もしない人と、何かをする人の違い


法を守らずに交通事故を起こした人に対する、様々な言葉を見かけたことがない人はあまりいないだろう。しかし、交通事故を減らすために活動をする人は珍しい。

例えば、しばらく前に事故で亡くなった方がいる。この人は、30年ほど前に自分の娘さんを交通事故で亡くしていた。お孫さんが小学生になった頃から、小学生達の登校に付き添うボランティアを始めた。

それを15年ほど続けたある日、今年の初め頃になるが、交通事故に巻き込まれた。登校を見守る活動中のことだ。小学生と共に車にはねられたその人は、重傷を負いながらも、一緒にはねられた子のことを心配していた。

この人にとって、交通事故、特に子供が被害に遭うような交通事故がとても大きな関心事であり、なんとしてもそれを無くしたいと強い思いがあったことは疑いようがない。さもなければ、15年それを続けることも、最後まで子供気遣うこともなかっただろう。

あるいはこんな例もある。

2011年、大阪で高校生が自殺した。元同級生から何度もお金を払わされ、ひったくりもさせられ、およそふんだくられた額が70万円。最終的に、38千円の要求から逃れるため、命を絶った。

ここで遺族が憤り、警察に訴え、加害者にも賠償を求める図ならばよく見られるかも知れない。だが、この事件はそれだけではなかった。

被害者の父の友人が、供養の会というものを立ち上げて同志を募り、警察にも働きかけた。一度は捜査を打ち切った警察だったが、重い腰を上げて、ようやく事件として捜査を始めるに至った。

何が違うのか? 何かをする人と、何もしない人の差は何か?

忙しさ? ニュースにぶつくさ言うくらいしかできない人々は、現実社会での生活が忙しいから、何もできないのか? んなアホな。仕事をしながら社会活動をしている人なら、たくさんいるだろう。

違いは関心の強さだ。どうしても許せないという強い気持ちがあるかないか。ニュースにぶつくさ言って、それで満足できる程度の憤りなのかどうか。そこが違う。

私は動物好きだ。自然も世界も好きだった


ちなみに言えば、私の持つ動物に対する関心はとても強かった。結局私は何もしなかったし、今はもう手出しするつもりはない。

これは、思想の変化によるものだ。

もし仮に、私が世界とか自然とか、そういうものに対してあまり関心を持っていなかったのならば、私はもっと違う生き方をしていたと思う。

こんなことを言っても信じてくれる人がどれだけいるのか分からないが、私は並みの人間より遙かに優秀だ。ちゃんと勉強をすれば、人よりテストの点もとれるようになっただろう。私が望みさえすれば、世の中で言う勝ち組とやらになれた可能性は高いとみている。

私が今中卒ニートなのは、他の道がなかったからではない。私は選んでここへ来た。これが正しい生き方だと思って、こういう生き方を望んだ。これも、自然や動物について強い気持ちを持っていたからに他ならない。

私が考えるところでは、本当に強い気持ちや関心は、人の生き方を左右する。人の感情をありのままに描写するのは、表情でも言葉でも仕草でもない。人生だ。

しかし世の中では、言葉にするだけで満足してしまう程度の怒りがあふれている。ゲームでうまくいかず、コントローラーを投げつける程度の怒りだ。

それに何の価値があるのかは分からない。悪者に怒りを抱く自分に正義の心を見いだせるのがうれしいのか、ただ誰かを悪く言ってストレスを発散したいのかは分からない。

ただ一つ確かなことは、彼らは実際は、事件に対してたいした関心を持っていないだろうと言うことだ。

何かをしなければ口を出してはいけない、という意味ではない


私がこの話をすると、おきまりの誤解が発生するので、それについてお断りしておこう。

私は何度か、このような非難を受けた。

「建設的な行動をしない人間は意見を述べてはいけない、というのはおかしい」

それは私もおかしいと思う。経験のない人間は口を出すなと言う詭弁、と同系統だ。何もしない人でも、意見があれば言えばいい。それは認める。

だが、私の主張はそうではない。「行動をしない人は口を出すな」ではなくて、「行動をしない人は、本当は関心が無いんじゃないのか」だ。

私は口を出すことを非難しているのではない。まるで強い怒りを感じ、強い関心を持っているかのように振る舞ってはいるけど、本当はそれはただのパフォーマンスなんじゃないのか、と疑っているんだ。


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