そろそろ衆議院が解散すると言われている。また選挙シーズンがやってくるのだろう。
さて、選挙に行かない人は多い。その人達の一般的意見は、「政治を任せたい人がいないから投票しない」だ。
私はこれはおかしいと思っている。政治を任せたい人がいないと言うことは、誰にも政治を任せたくないという事じゃないんだろうか? ならばどうして、誰にも政治を任せないですむように投票しないのだろう。
今回は、私のここ10年ほどの基本方針である、権力分散のための投票戦略を解説する。
権力が集中しているから好き放題ができる
権力というのは、ある程度集中していないと身動きがとれない。だから、権力者は権力の集中に苦心する。
必要とあれば連立もするし、妥協もする。自分の好き勝手にできない状態ならば、話し合いも活発になる。
だが、苦心するまでもなく集中している状況では、そんな手間をかけようとは思わない。好き放題ができるのは、こういうときだ。
政治を任せたい人がいないと言うことは、好き放題やってくれてかまわないという人物もいないはずだ。ならば、そんな人間に好き放題されるのはいやだろう? だからそうならないように投票すればいい。
多くの人は、漠然と「政治を任せられる人にしか投票しちゃいけない」と思っているようだが、そんなことはどこでも規定されていない。選挙権は、有権者が行使する、政治の誘導権だ。自分の望む方へ向かわせるために使うもの。勘違いしちゃいけない。
誰にも好き勝ってさせたくないなら、好き勝手しづらいようにすればいい。そうする必要性を感じないと言うことは、好き勝手をされてもかまわないと言っているわけであり、それは結局その人に政治を任せてもいいと考えていることになる。
政治を任せたい人がいないから投票しないというのは理屈に合わない。投票しに行かないというのは、誰に政治を任せてもいいということだ。
勝ちそうな野党に投票すればいい
衆議院での小選挙区制の場合、各投票区で一人しか当選できない。自分のところでの立候補者が何人もいる場合、誰に投票すれば当選してくれそうかを考える必要がある。
例えば、候補者がA、B、Cの三人の場合、Aが与党の候補者だとしよう。すると、投票対象はBかCになる。
権力分散のための投票戦略においては、Bが当選しようとCが当選しようと問題ではない。Aを当選させないことが大事だ。
BとCの合計獲得票数がAを上回っていたとしても、個々の獲得票ではAが勝つということはいくらでもある。こういう事態を避けるためには、権力を分散させたい人たちが一致団結して、どちらかにまとめて投票しなければならない。
その一つの基準は、勝ちそうな方。過去の得票数を調べて、大きな差があれば優勢な方に投票するようにすれば、Aを蹴落とす可能性が上がるだろう。
あまり差がない場合が問題で、これは運頼みともなりやすい。
なお、投票率が50%程度なので、残りの50%が投票しさえすれば例え票が半分ずつに分かれたとしても、Aを落とすことは簡単だ。結局のところ、政治家を当選させているのは、無気力な有権者ということになる。
私は安倍が嫌いだが、この理屈は反自民とは関係ない
だが、今現在自民党が与党であり、私が自民党の憲法草案を危険視している以上(危険な自民党の憲法草案。緊急事態条項で選挙がなくなる(1))、この記事も結局は民主党(今では民進党だが)が政権を取れば言うことが変わるのではないかと、そう疑う人もいるだろう。
それは違う。
2009年の衆議院選挙の時は、私は嫌々ながら丹羽雄哉に投票した。その時点で参議院は民主党が押さえていたから、衆議院まで与えるのは危険だと判断した。私の基本戦略は、権力分散なのだから。
本当は丹羽雄哉になど投票したくはない。松岡某という農林水産大臣が自殺したあと、赤木なんちゃらというのが後釜に座ったのだが、事務所費の二重計上が問題になった。
当時の総理大臣だった安倍は、ルール上定められていないからと言うので、領収証の提出は必要ないと逃げ回ったのだが、結局出す羽目になり、二重計上が発覚した。
その際1円以上の領収証を提出することにしようと、制度の変更が提案されたのだが、異を唱えたのが丹羽雄哉だ。
「それほどまでに政治家の信頼が揺らいでいるなんてボクちゃん悲しい」とか、そんなことを言っていた。
が、程なくして丹羽のところでも二重計上が発覚。
どうしてそんな奴に投票せねばならないのかとは思うが、戦略目標のためには好き嫌いを言っている場合ではない。
権力を分散させておいた方が議論は活発化し、すりあわせと妥協によってまだマシな政治が行われるはずだ。私はそう信じている。
私は選挙を重視している。今の日本のいろんなところに問題が指摘されているが、それらを包括的に改善する方法は、選挙制度の改革だと考えている。
供託金を格安にすることと三分型投票の導入が、長期的に見て政治を改善するだろうというのが私の見立てだ。このあたりの話も、いずれは書くことになるだろう。
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