2017年9月22日金曜日

学歴社会の本質。人は学歴に何を期待し、学歴は何を保証するか

世の中では、学歴論争は盛んだ。

学歴によって人の能力が保証されるとか制限されるとか、だいたいどのくらいの能力かが判断できると考える人は多い。

実際のところ、学歴が保証するのは何なのか。なぜ世間では学歴が重視され、それを重視することに、どんな価値があるのか。

ただし今回、私個人については触れない。中卒で相対性理論の議論をする人は普通はいない。学歴にかかわらず、ほとんどの人はそういう議論はできない。

そこで私という一例から学歴の意味を考えるというのは、特殊な例から一般性を引き出すような不用心さを感じるからやらない。

学歴は何を保証するのか


もっと一般的に言って、肩書きは何を保証するのかと問うてもいい。将棋のプロであることは何を保証するか? 将棋の能力だ。

野球選手に保証されるのは? 野球の能力だ。サッカーでも水泳でも、全部一緒。

科学者であることで保証されるのも科学の能力。数学者なら数学。料理人なら料理だし、プロゲーマーならゲームだ。

何事もその通りであり、肩書きが保証するのはその肩書きを必要とする分野に限定される。

その理屈で言えば、学歴が保証するのは、学歴を得るために必要な分野になる。学歴を得るにはどうしたらいいかと言えば、受験で高得点をとればいい。つまり、学歴が保証するのは、テストで点を取る能力になる。

さて。

マラソン選手であれば、高いマラソンの能力が保証されるだろう。マラソンのためには様々な運動能力が必要になる。それ故に、それらの運動能力も総合的には高い水準にあることが予想される。

だが、この推測は行き過ぎがちだ。つい、関係のありそうな分野全てで秀でていると考えがちだが、それは保証されない。

将棋は頭を使うゲームだから、将棋の強い人は頭がいいと考えられたりもするが、実際のところ将棋以外の能力に保証はない。プロの勘で他者を疑い、陥れたりする人種だ。

だから注意深く関連する能力を評価しなければならないのだが、一つ確かなことがある。ある肩書きが、その肩書きに必要とする能力を持っていることが保証されるのと全く同じ理屈で、その能力を得ることができる人間であったことも保証されている。

さもなければその能力は得られていないのだから。

両手でバットを振る能力が保証されるとき、両手を持っていることが保証されていない理屈はないだろう。

では、その理屈でテストで点を取る能力を得るためには、何が必要だろうか、と考えてみる。テストの文章を読み解く能力などが確実に保証されるだろう。日本語で出題されているのが普通だろうから、日本語がある程度読めることは確実だ。

が、そこまで確実なものだけを取り出すだけでは話が進まないので、もうちょっとあやふやだが、きっと持っていそうな特徴も引き出してみる。

どういう人間がテストで高得点をとりやすいか?


高い学歴を得るためには、テストで高い得点をとらねばならない。では、どんな人間がテストで点を取りやすいか?

テストで点を取るためにはどうしたらいい? 持って生まれた頭の良さだけでは、点は取れない。現代のテストを諸葛亮に出したとしても、さっぱり答えられないものばかりだろう。学んでいないことは分からない。

よって、まず何よりも、勉強をすることが必要になる。生まれつきの頭の良さはもちろん大きな要素だが、同じくらいの素質の持ち主同士ならば、たくさん勉強した人間の方が、そうでない人間よりも高得点をとれることは間違いないはずだ。

では、どういう人間がたくさん勉強をするだろうか? 勉強が好きな人間という答えも考えられるが、好きで勉強をする人間は割合的には少ない。だいたいの人間は、いやいや勉強をさせられる。やれと言われ、仕方なくやるのがほとんどだ。

ここだ。答えはここにある。

テストで高得点をとれる人間というのは、やれと言われたことを言われたとおりにできる人間である可能性が高い。

私はこれを、「従順さ」と呼んでいる。

客観的に見ても、日本企業は、日本社会は、従順な人間を望んでいる。自分たちの不正を許さず、内部告発をするような正義感の強い優れた人間ではなく、空気を読み、協調性があり、長いものに巻かれるような、従順な人間を望んでいる。

そういう価値観から見れば、学歴の高い人間が求められる仕組みというのは、社会の要請に応えている。確かに学歴の高い人間の方が、従順でありやすい。従順な人間を求める社会としては、学歴の高い人間を求めるのは、自然な成り行きと言えるだろう。

もちろんこれは、一般的な傾向の話だ。無数の人間達を取り出して、従順さと学歴の高さの間には相関関係があるはずだ、という程度の意味だ。

ある二人を抜き出して、学歴の高い人間の方が、一方の人より従順かどうかが判断できるわけではない。

人が学歴に何を期待し、学歴が何を保証するかの問いには、これで答えたことになるだろう。

私は能力主義者だ。優れた能力こそが人に最も必要なものと信じている。しかし現代社会は、現代教育は、能力よりも従順さを身につけさせている。

自ら望んで、自分たちを工業生産品にしてしまおうという発想が理解できないが、均質さへの強迫観念を持つ日本人としては、意外とこれは居心地がよかったりするのかも知れない。


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