2017年9月11日月曜日

論理学-すべての学問、思考、議論の基礎として

これから紹介する本は、非常におすすめだ。紹介などするくらいだから、そりゃお勧めなんだろうという、当たり前の意味を超えておすすめだ。

これまで、私が他者にお勧めした回数が最も多い本だ。しかし残念ながら、ただの一人も「じゃあ、読んでみるよ」とは言ってくれなかった。

ま、まぁ、難しい本だし、読むの大変だから仕方ない。でも、ものを学んだり考えたり、人と言い争いなどをしたいなら、このくらい読めないようで話しにならないと思うんだけども。

論理の強制力を軽んじてはいけない


多くの人々は、数学が強力な学問であることを認めているだろう。数式によって出された証明に対して「そんな答えには意味はない」とは突っぱねないものだ。計算間違いを指摘することができなければ、いくら感覚的に違う答えを出したがってもどうにもならない。

論理学にも同種の強さがある。

「人間ならば動物である」と「動物ならば生物である」という発言をした人は、同時に「人間ならば生物である」とも発言したことになる。あるいは、「生物でないならば人間ではない」とも。

「私は『人間ならば動物である』と『動物ならば生物である』と述べたのであって、『生物でないならば人間ではない』と言ったのではない」という主張は認められない。論理学によって、それらは同一の主張であると見なされるからだ。

本人にその気があろうとなかろうと、「あなたの発言は、そういう意味の発言と同じなんですよ」と追求できる武器が論理学だ。

そのため、論理的なものの考え方ができない人間は、実際のところ自分の主張が意味するところすら把握できていない。自分が何を言ってるのかすら分からずに、議論が可能だと思うだろうか?

今まで何度かインターネット上で争論に付き合ってきた。議論とは呼べないお粗末なものになってしまうとき、彼らはたいていの場合、自分の言葉の意味が理解できていない。だから私は、論理学を学ぶことを勧め、一冊の本を紹介するのだが、だれも関心を示してくれない。

読んで楽しめる論理学の本なんて、そうそうあるものじゃないだろう


私がおすすめしたいのは、野矢茂樹の『論理学』だ。以前紹介した哲学の謎-私が一番好きな本と著者は同じだ。

論理学の本としては、驚異的に読みやすい。内容が内容だけに、普通の本を読むより遙かに大変だが、それでも論理学を学ぶ上ではこの上ない一冊だ。

私がこの本を購入したのは、確か駅の書店だっただろうか。どこかに出かけた帰り、電車が来るまでの時間をつぶすために入った書店で手に取った。そのときはまだ野矢さんの本を一冊しか読んでなかったような気がする。野矢さんの本だから買おう、というわけではなかった。

前書きをちらっと読んだだけで、買うことにした。面白すぎた。

「どうして三角形の内角の和は180度なの? 何で?」。

なんで、って、そういうことになってるんだよ。

「そうなの? ホントに? じゃあ計ってみるね。あ、ホントだ、この三角形の内角の和は180度だ。じゃあこっちはどうかな、これも180度だ。すごいね、じゃああれはどうかな」

いや、計らなくても180度って分かってるんだよ。

「どうして? ボクは分からないよ。どうしてボクには分からないの? ボクが馬鹿だから?」

みたいな感じだった。これに続く文章は確か、「だんだん殴りたくなってきた。いや実際、殴るしかないのかも知れない」とか、そんな感じだったと思う。どこにしまったのか、見当たらないのが残念だ。掃除しないとな・・・。

本編の方は、野矢茂樹と二人の和尚の会話形式で進む。ここが和尚じゃなくて、アニメキャラとかだったら、もうちょっと多くの人の手にとってもらえたりするのかも知れない。私のお勧めは、デスノートのキラとL。きっとはまり役だろう。

内容自体はくっそ本格的な論理学なので、数学の勉強をするのとあまり変わらない。見慣れない記号、∧、∨、⊃、¬、≡、∃、∀がずらっと並んでると頭が痛くなるかも知れない。さすがに、この記号をわかりやすくしようとしてしまうと、かえって学習しづらくなるので仕方ないだろう。

現代の数学は論理学の言葉で定義されているようだ。つまり、論理学は数学の基礎でもある。論理学と数学は同じものだという主張もあったほど。そういうわけで、「猿でも分かる、簡単論理学」というつもりで紹介しているわけではないので、そこは勘違いしないようにお願いしたい。

だが、論理学を学ぶ上では、これほど学びやすい本をほかには知らない。

なお、実は私も3章以降はほとんど読んでいない。3章からはメタ論理に入る。最終章の5章は、ゲーデルの不完全性定理を扱っていた。ぶっちゃけ、私にはそのあたりは難しすぎてよく分からなかった。

が、数学を学びたいという人に、メタ数学まで学べとは言わないだろう。メタ数学というのは、数学はどのくらい正しいのか、という学問だ。メタ論理も、論理学はどのくらい正しいのか、という主題を扱っている。

それが分からなくても、論理的な判断力は身につけられる。論理的であることの価値は、正しく把握できていないことになるかも知れないが。

だから別に、私と同じように、12章で命題論理と述語論理を学ぶだけでも十分な価値があると思う。

ところで、論理学って何?


数学が数を扱う学問であるように、論理学は論理を扱っている。そして、論理とは推論の形式のことだ。

論理的に考えるということは、正しい答えを出す、ということとは違う。論理的に正しく考えた結果、間違った答えを出すことはある。

前提1「イルカは魚である」
前提2「魚は空を飛ぶ」
結論「イルカは空を飛ぶ」

という考え方は正しい。これは、論理的には正しい考え方をしている。ただ、前提が間違っているために結論も間違ってしまっている。

逆パターンとして、論理的に間違った考え方から、正しい結論を出す場合もある。

論理学は、結論には興味を持っていない。どんな結論が出てこようがお構いなしだ。論理学が扱うのは、推論の形式だから。

一段一段、正しく考えていく方法を教えてくれる。

それ故に、「なんとしてもこういう結論に導きたい」という無理矢理な主張を見かけると、それが推論の仕方として間違っていることを見抜く能力を養うことができる。それが、一段一段、正しい考え方を積み重ねていないことが分かるようになるから。

そういうわけで、「なんとなくそんな気にさせるような、筋の通っていない理屈」を見抜きたいとお望みの方には、是非とも論理学をお勧めする。そして論理学の本でも、とても読みやすい野矢さんのものが最適だろうと思うわけだ。

私がこのブログに書いている内容にだって、論理的におかしい箇所はあるはずだ。私も一つ一つ、そこまでKIAIを入れて書いているわけではない。

私の主張の間違いがどこにあるのかを見抜きたいという場合にも、論理学は役に立つ。


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