2017年9月26日火曜日

訓練の効率化。ゲーム上達のための基本方針(4)

ゲームがうまくなるための基本方針もこれで4記事目。そろそろ、この話題も終わりだろうか。

今回は、うまくなりたいと思ってはいるものの、他のプレイヤーに追いつくことができずにへこんでいる人向けの記事だ。

他者と比べるのではなく、自分と比べる


たいてい、ゲーマーというのは上達をしたがるものだ。特に、対戦型のゲームであれば、ほとんどの人はうまくなりたいと願っているだろう。

将棋番組を見ていても、「どうしたら強くなれますか」という質問は多い。勝負事で、上達を望みもしない人など、そうはいるものじゃないだろう。

しかしながら、うまくなりたいなりたいと思っていても、なれない人はいる。私のFPSスキルは致命的だし、将棋も2年近くやって将皇将棋のLv2程度だ。2年もやれば初段レベルくらいなれるものじゃないの?

また、こういった対戦型のゲームに限らない。MMOなどの協力型のゲームだとしても、自分の上達が遅いことを気に病む人もいるだろう。

そういう人たちに言っておきたいのは、「上達を望むのはいいが、自分よりうまい人に追いつけないことを気に病むのはやめた方がいい」ということだ。

人それぞれ向き不向きがある。ゲームが人の全てではない。ゲームが下手だからと言って、それでどうというわけでもない。

私の優れた友人の一人も、アクション系のゲームは苦手な方だったと記憶している。京都大の院卒だから、学力的にはほとんどの人を超えてはいるだろうが、ゲームが得意とは限らない。

おそらく、アインシュタインにWoTをやらせても、あまりうまくはならないだろう。いや、これはただの予想だが。

だから上達を望む人たちは、他の人と自分を比較するのではなく、以前の自分と比較するようにした方がいい。自分自身の成長が止まってしまっているなら、全然伸びないなーと悩むのも仕方がないが、前よりはうまくなってるなら、それで十分だ。

同時期に始めた他の人が、自分よりうまくなってしまった。同じくらいのプレイ時間の人より、自分の方が成績が悪い。

人は得てして、そういうことで悩みがちだが、そんなことはどうでもいい。100時間前の自分よりうまくなっているか? 100戦前の自分よりうまくなっているか? そういうところを比較しよう。

もっとも、その手のゲームの上達は遅々としたものなので、100時間とか100戦では小刻みすぎるかも知れない。1000時間とか、1000戦くらいの期間で比較する方がいい場合もある。

成長が止まってしまったら


しかし、それでもいつか、自分自身との比較ですら成長が見られなくなる。私のWoTの成績のように。

こうなってくると、さすがに気に病むのも仕方がない部分はある。上達しなくなってしまったゲームというのは、いまいちモチベーションが続かなかったりする。

もし、その段階でそのゲームに楽しみを見いだせないなら、新しいゲームの探し時かも知れない。新しいゲームなら、また一から学び、成長の余地があるのだから。

ただ、必ずしもそうなるわけではないだろう。私はもうWoTでの成長余力は残されていない気がするが、普通に遊ぶことができている。

私が目標とした段階は超えることができた。私が目指した成績は、もうちょっと低い水準だった。WoTに関して言えば、自分が期待した以上にうまくなることができたので、ぶっちゃけ、もうこれ以上全く成長しなくても、このまま遊んでいてもかまわない。

初めからあまり高い目標を立てずに、そこで満足できる性格なら、成長が止まっても楽しめることになる。

しかしそれでも他人の目が気になる場合


他者と比較することではなく、自分と比較して、一歩ずつでも成長していれば、ゆっくりでもかまわない。しかし自分がそう納得したとしても、他者はそうは思わないかも知れない。

社会の様々な場面を見てもらえば分かることだが、人は他人の悪口を言うのが大好きだ。なんとかして悪く言おうと苦心している。

自分よりうまい人に対してですら、もっとうまい誰かより下手だというので下手と言ったりもする。自分ができることを誰かができなかったら、鬼の首でも取ったかのようにふんぞり返る。

だがちょっと冷静に考えてみてほしい。人のプレイにあれこれだめ出ししている名人様達は、本当に名人なのだろうか? まぁまずそんなことはない。が、分からないので実際に名人だったとしよう。

だとすれば、その名人様達からだめ出しされるのは仕方がないことだろう。私のとんでもない棋譜を、プロ棋士から酷評されたとして、別に腹は立たないだろう。だって、実際ひどいんだし。そこで私が腹を立てるとしたら、自分の将棋のレベルが、プロ棋士にも匹敵すると思っていることになる。

そんな馬鹿な。

だから、口うるさい人が実際に名人様なら腹を立てるべきではない。

では、実際には名人様ではない相手から口を出されたらどう感じるべきかと言えば、これもやはり不快になど思うべきではない。

彼らは、自分自身たいしたレベルでもなく、もっと上の人間からは酷評されてしまうレベルであるにもかかわらず、他者を貶めている。それはいわば井の中の蛙、と言う奴であり、その手の人々がかわいそうな人であることは世の中すべて分かってる系」にならないための特効薬で書いた。

この人達に対して抱くべき感情は、哀れみや恥ずかしさであって、怒りではない。算数が苦手で普段から馬鹿にされてる大人が、園児を相手に初歩の算数を教えて悦に浸っているのを見たとき、怒りが湧くだろうか?

いや、園児は確かに算数ができなそうだから腹は立たないが、そのくらいの算数をすでに学んだ小学生を相手にしていたら腹が立つか? 立たないだろう。

そんな場面を目にしたとしたら、私の持つ感情は哀れみか恥ずかしさだし、多分これは普通みんなそうだと思う。

その人の口が悪く、自分のできることができない小学生を馬鹿にして煽っている場面を見たとしても、怒りは湧いてこない。湧く人もいるようなのだが。

人のプレイにだめ出しをして気持ちよくなっている人に対して、腹を立てる必要はない。その人は、そのレベルの人なんだ。

上であれ下であれ、そのレベルだ。上ならば確かにだめ出しができる熟練者だし、下だったら生暖かい前で見守ってあげるべきかわいそうな人。

プレイ動画などでも名人様のコメントで荒れたりもするが、荒れる必要などない。どうしてあんなことで腹を立ててしまうのか、私にはよく分からなかったりする。


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