2017年9月7日木曜日

ニートが陥りやすい悩み。生まれた意味とか理由とか・・・そういう無駄なことについて(2)

生まれた意味があったとしても、それには意味がない。ならば、どうして生まれた意味などを求める必要があるのだろうか。

そもそも、なぜ人はそういうものを求めてしまうのだろうか。


生まれた理由と、生きていく理由の違い


しかし、まだ人々の悩みの解決にはならない。例え、生まれてきた意味を問うことの無意味さを理解したとしても、生きていく意味を問うことの無意味さは、まだ語られていない。

しかも私は、生きていく意味を問うことが無意味だとは思っていない。だから、これまでと同じやり方では、悩みを解消してあげることはできない。とはいえ、何も言えないわけではない。

生まれた理由とか意味とかそういうものは、過去のものだ。しかも、自分が生まれるより前にあったものだ。そこにどんな意味があろうとも、それは自分が見いだしたものではあり得ない。生まれていない自分が、意味を見いだすことなど不可能だから。

しかし、生きていく意味は現在から、未来にかけて存在するものだ。ここには自分がいるし、自分で決められることだ。自分自身が価値を見いだすことができる。ならばそれが、無価値であるはずもない。

人々の間違いの最初の一歩は、どのような未来を求めるべきか、すなわち生きていく理由というものを、どのような過去を持っていたか、すなわち生まれてきた理由から考えようとしていたことだ。

多くの人々は、生まれてきた意味から、生きていく意味につなげようとしてしまう。しかしすでに、生まれてきた意味はあってもなくても無価値だからどうでもいいということになったのだから、このような延長自体が間違っている。

じゃあどうすればいいかと言えば、自分で決めるんだよ。

結局のところ、生まれに意味を求める思想というのは、他者に決めてもらおうという思想だ。それが親でも神でも創造者でも、何でも好きなものを当てはめてくれればいいが、自分の生きる理由を他者に決めてもらおうと考えているから、そういう発想になる。

初めから人頼みで、そのくせアイデンティティの確立に悩むというのだから、つじつまの合わないこと甚だしい。

自分という存在を、他人に作ってもらおうという姿勢が、『孤独な群衆』そのものであり、キャラクターを演じる人々の根源であることに気づかなければならない。

自分の価値も、意味も、これからどうしていくべきかも、全部自分で決めるんだ。それが怖いなら、できないなら、あきらめて人生に悩むのをやめるといい。いや、やめろと言われてやめられるようなものじゃない。「君には向いてないよ」なんて言われても、すぐに「はいそうですか」って分けにはいかないね。

なら、そういう人は宗教に走るといい。宗教もまた、一つの回答だ。私とは全く逆の回答だが。

私が、すべてを自分で決める思想だとすれば、宗教は、すべてを神や神話や教義に決めてもらう思想だ。

私はミュウツーから始め、諸君等もミュウツー同様「私の人生は私が決める」という言葉を言えるように導きたかったが、諸君等がそれを拒み、「私の人生は神に決めてもらいたい」というならそれでもいい。

やはり君たちには、創造主の操り人形として生きるほうがミュウツーの幸せだったのだろうし、諸君等自身もブラック企業で働く方が幸福なのだろう。思い悩めるほど体力が残らない仕事をさせてくれるから、きっと悩まずにもすむだろう。

すべての価値の再評価


これは、私の好きな言葉の一つだ。元の言葉は、ニーチェのものだったと記憶している。

生きる理由を自分で決めるとなれば、あらゆる価値を自分で見いださなければならない。世界の姿が、他者に教えられたままの価値観では、未来を自分で選ぶことはできない。

「普通」であることが一番大事なんだ、という価値観を引きずったままで、どうして自分で「普通」との距離の取り方を決められるだろうか。

とはいえ、文字通りにすべての価値の再評価をするのは無理すぎる。世界にはものがあふれすぎていて、それ全部再評価してたら寿命が尽きてしまう。だから手近で、重要なところから取りかかることになるだろう。

ではどこから取りかかるか。まずは、自分の持っている価値観。生き方の指標。そういうものに対して大きな影響を与えているところから取りかかるといい。

何度も例に挙げてきた、キャラクターを演じることに疲れている人なら、「普通」「人に好かれること」の意味から再評価すればいい。

ただし、勘違いしてはいけないのだが、再評価の結果、今までと価値が変化しなければならないわけではない。自分自身でそれに対して新しい値札を付け替えた結果、前と同じでした、ということもあり得る。

何に対して、どのような価値を与えるべきかについて、私は何も言えない。口出ししたのでは意味がない。自分で悩み、自分で考え、自分で決めろ。

ニートはそろそろ後がない人も多いだろう。「お金」「就職」「老後」「生活」「友人」「結婚」などなど、自分の生き方を考える上で、再評価しなければならないものは無数にある。それらに対して確固とした価値判断ができさえすれば、これからどうするかなど自動的に決まる。

とはいえ、いきなり価値判断をしろといわれても、そもそも判断の仕方が分からない人も多いだろう。だからちょっとだけ、手本を見せる。あまり影響を与えたくないので、ちょっとだけ。

たとえば、多くの人にとって「結婚」というのは大きな意味を持っている。プラスの評価であれ、マイナスの評価であれ、その絶対値が小さい人はあまりいないだろう。

そして世間一般ではこれがすごく重要なことだとされ、未婚の人々は居心地の悪さを感じてしまっている。では、本当に結婚はそれほど重要なのか。それは幸福に繋がるものなのかと、それを吟味しなければいけない。

結婚に求める条件はたくさんある。そういうのは、諸君等の方が詳しいだろうから割愛するが、芸能人などというのはそういう条件を満たしていることが多いのではないだろうか? では、結婚して末永く幸せそうに暮らしている芸能人はどのくらいいるだろう。

人々が、理想として挙げるような条件を満たしているはずの芸能人ですら、どうもいまいち、幸せそうには見えないものがある。このように考えてみることは、結婚の価値を再評価するための助けとなるはずだ。

回答の出し方は一つではない。解釈の余地は様々にある。それは各自で考えるといいが、こういう視点からものを考えてみることが、再評価の助けとなることは間違いない。




0 件のコメント:

コメントを投稿