2017年10月15日日曜日

平気で暴力をふるう脳-氏か育ちか論争に決着を付けるために

この本を最初に読んだのは何年前だったか。確か、日比谷図書館に入ったときに、たまたま手にとってパラパラと読んでみたのが最初だった。

流し読みではあったが、内容は理解できた。なるほど、動物の攻撃性というのはホルモンの影響を受けるらしい。

『利己的な遺伝子』などで、唯物論的な考え方には慣れていたが、自由主義者であった私としては、脳による支配というものは、すんなりとは受け入れにくいものだった。

それから数年後、やはりどこかへ出かけた際に書店で見かけたので買って帰った。

この本の主題は氏か育ちか論争であり、それに決着を付けるのがテーマだった。

性善説と性悪説。人格を決めるのは、生まれか、育ちか


「氏か育ちか論争」とは、性善説と性悪説のどちらが正しいのか、という論争のことと考えてもらってかまわない。

人は生まれながらには善良なのだが、成長する間に悪に染まっていくと考えるのが性善説。生まれたばかりの人間は邪悪なのだが、成長過程で倫理を身につけて善良になると考えるのが性悪説。

人の善良さは、生まれながらのものなのか、教育の賜物なのか。氏か、育ちか、どちらが人間性の源か、というわけだ。

これについては人はそれぞれ考えがあるだろう。氏か育ちか論争は長く続き、結局決着は見なかったはずだ。

この本での答えは、そのどちらでもない。人間性を決めるのは、「氏と育ちと」両方という結論に達している。

ホルモンの影響と遺伝子の影響


本書は全体にわたって、ホルモンの影響を追っている。女性ホルモンとしてはオキシトシンを、男性ホルモンとしてはテストステロンを中心として、攻撃性の変化を確かめながら進む。

確かに、そういったホルモンを投与された実験動物は攻撃的な行動が見受けられる。人間ではあまり極端な実験ができていないようだが、被験者へのアンケートとしては攻撃的な衝動が芽生えた、と言う程度の回答は得られている。

さて、ひとまずホルモンによって行動が制御されるとしよう。では、ホルモンは何によって決まるのか? テストステロンの濃度を決めるのが遺伝子なら、攻撃性を決めるのも遺伝子であり、生まれが人間性を決めることになる。

そして事実、誕生初期のテストステロン濃度を決めるのは遺伝子だ。もちろん、遺伝子の影響を語るとき、その遺伝子の違い以外の諸条件は平均値を想定する。

ある個体に一切の栄養素を与えなくても、ある遺伝子を持ちさえすれば高いテストステロン濃度を維持できるのかという屁理屈は受け付けない。

どんなときにどのくらいどういうタンパク質を作るのかは、遺伝子が決めている。ホルモンもまたタンパク質である以上、どんなときにどのくらいどういうホルモンを作るのかは、遺伝子で決まることだ。

そういう意味では氏が人間性を決めるようにも思えるが、事はそう単純ではない。

ホルモンの生成を経験が調整する


テストステロンは攻撃性を生むホルモンとして有名だ。テストステロン濃度が高ければ、それだけ攻撃的な個体であるのが普通だ。

だから、遺伝子がたくさんのテストステロンを作ることで、その個体は攻撃的になる。そういう遺伝子を持つ個体はそれだけ攻撃的に生まれている。

しかしながら、テストステロンの生成量は、遺伝子だけで決まることではない。いや、遺伝子だけで決まっているとも言えるのだが、「決まっている」という言葉の意味が違う。

テストステロンは攻撃性を高め、競争に対して積極的になる。しかしながら、競争、戦闘などを経験した個体は、多くの場合勝利か、敗北を経験するだろう。

そして、勝利を経験した個体はテストステロンの濃度が上がり、敗北を経験した個体は下がるのだ。

つまり、勝てば勝つほど勝負を求め、負ければ負けるほど戦いを避けるようになる。

初期状態がどのような濃度で始まろうとも、最終的には調整され、生まれたばかりの時とは濃度が異なるようになる。

もちろん、それは体がそういう風にできているからだ。動物の体は、経験によってホルモンの状態を調整するように作られている。そういう体を作るように、遺伝子に書いてある。

そういう意味では、「徹頭徹尾生まれで決まる」と言ってもかまいはしない。ただしそれは、人間性がとか、人格がとか、善良さがとか、そういうものが生まれで決まるというのではなく、そういうものを決める仕組みが生まれ出決まっている、という意味であることを忘れてはならない。

コインを投げて表が出たら善人になり、裏が出たら悪人になる人がいるとしても、コインを投げてみるまではその人がどちらになるかは決まっていない。

決まっているのは、仕組みだけだ。

このように、ホルモンの状態が経験によって調整されていくこととあわせて考えることで、「氏か育ちか」という議題は、「氏と育ちと」という結論に達する。

これが本書のテーマだった。

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