2017年10月8日日曜日

ギリシア人の物語-古代ギリシアの短距離走(2)

塩野七生の『ギリシア人の物語』の紹介記事。ギリシア人の物語-古代ギリシアの短距離走(1)の続きになる。

民主制を完成させたことで戦争にも強くなったアテネだが、結局はスパルタに敗北してしまう。一時は隆盛を誇ったアテネがどうしてスパルタに、よりにもよって海戦で負けたのか。

一般には衆愚政のせいとされているが、本当にそうなのか。そのあたりを語ってみたい。

ペリクレスの最盛期を経て、衆愚政へ


二巻になり、主人公はペリクレスになる。アテネ民主制の指導者と言えばペリクレス、というほどの有名人だ。確かに、ペリクレスの統治の下、アテネは繁栄を誇った。そこに陰りが見えてくるのが、スパルタとの戦争だった。

ペリクレスの統治の末期になり、混乱が生まれ始めた。ペリクレスの全盛期ならば収められたかも知れないが、その混乱を沈める前にペリクレスが没してしまった。

次世代の主役はアルキビアデスだったが、この人物は権力を掌握できなかった。人気もあり、人にも好かれたが、政敵によって妨害され、始めたことをやり遂げる機会を得られずに終わった。

確かにアルキビアデスは優秀だったようだ。政治家としても将軍としても、功績を残している。その意味で、これほどの英雄の活躍を妨害したのが、移ろいやすい民衆だったという点で、この時期が衆愚政と呼ばれているのは分からないではない。

衆愚政という言葉は侮蔑を含んでおり、だいたい民主政に対する非難として用いられる。民主政では国が悪くなる、滅んでしまうという気持ちを込めて使うのが、衆愚政だ。そしてその見本がこの時期のアテネというわけだ。

事実、あれほども栄えたアテネが、無敵を誇ったアテネ海軍が、海軍伝統のない、スパルタ海軍に敗れたのだから、その原因があるはずだ。そしてそれが衆愚政なんだ、という理屈になっている。

だが、私はこの理屈には違和感がある。

では、民主政じゃなければ戦争に勝ったのか? という疑問がある。

アテネがスパルタに敗れる前、民主政から寡頭制に変わっている。その時期、失策があり、結局は民主政へと戻った。もし寡頭制のままだったら戦争に勝てたというなら、衆愚政のせいで負けたとも言えるだろう。だが、私にはそうは思えなかった。

敗戦時の将軍、民衆が選び出す10人の将軍がいるわけだが、その質が悪い。これは民主政だから選ばれた無能達なのだろうか? そこには貴族はいなかったのか? 貴族だけで選び出せば優れた将軍が選出されたはずなのか?

ではなぜ、海戦での事故で海に投げ出された人を見捨てるなどという問題が起きた? あれは寡頭制の時期の出来事だろう。

また、デロス同盟の運営資金が乏しいとなったとき、アテネ以外の船に対して関税をかけた。それによってアテネの製品だけが売れやすくなったが、そのやり方が反感を買った。

これも寡頭制の時期の出来事だったはずだ。

結局寡頭制で、わずかな人間だけで人材を選び出したところで、その程度でしかない。それでどうして、民主政じゃなければ勝てた、などと言えるのだろうか。

敗北前夜ですら、十分な戦力を誇ったアテネ海軍


アテネ海軍が壊滅する直前、アルキビアデスは海軍を訪ね、助言したという。どうしてこんな危ないところに艦隊を泊めておくのか。もっと有利な港があっちにあるから、陣を移せと。

それに対する艦隊司令の返答は、「もはや貴君はアテネの将軍ではない」というものだったそうな。この話が事実かどうかは不明だ。逸話の一つでしかないかも知れない。が、いずれにせよ、十分な艦隊戦力を持っていながら、アテネ海軍は壊滅した。

そのときのアテネ海軍は180隻。完全に稼働する船が180隻もあったら、大艦隊だ。アテネが同時に稼働させられる最大規模の戦力だ。それが揃っていながらなすすべもなく殲滅された。

戦いの模様は諸説あるが、いずれにせよ、采配の不備に帰結される。いわば、将軍の能力だ。

アテネ海軍は、一度致命的な損害を受けている。海軍だけではない、アテネの成人男子が万単位の損害を出したことがある。シチリアへの遠征の時のことだ。

この結果アテネは敗北に沈み、やり直しをする必要に迫られた。そのとき艦隊再建のために頑張ったのは、各個人だった。

アテネ艦隊の船のこぎ手は、奴隷ではない。選挙権を持つアテネ市民だ。ただし最下層民に当たる。そのため、軍役についていては生活費が稼げないという彼らのために、給料が支払われることになっていた。

彼らはそれを、半額でいいと言い出した。

そして貴族などの裕福な者達は、船の建造費用を自費で出すと言った。おそらくそこには、船の維持費なども含まれているだろうから、相当な出費になる。

それが、衆愚政も深まり、アテネの衰退が目に見えるようになった時期の出来事だ。

そのような各市民の努力もあり、アテネは十分な艦隊を取り戻した。つまり、アテネの国力としてはスパルタ海軍に劣るようなものではなかったわけだ。

アテネに足りなかったもの。スパルタに足りなかったもの


もちろん、スパルタ海軍と言っても、実際に軍船を用意しているのはペルシアだ。ペルシアが艦隊を提供し、スパルタ人が指揮を執るという形だった。

が、そのペルシアの艦隊と比較しても、アテネ海軍は劣っていなかった。

ではなぜ負けたのか? なぜアテネの将軍は無能だったのか?

私はそれが、アテネ人の限界なのだろうと思った。政治体制の問題ではない。アテネ人の性向が、そうなってしまったのだ。

アテネ人全員がそうであったわけではない。小規模に終わったペルシアからの軍勢を迎え撃ったとき、10人もいる将軍が自分の指揮権をミルティアデスに譲渡した。その時期のアテネ人は、戦争のなんたるかを心得ていた。

自分より軍才のある人間を信頼する心があった。

だが、アルキビアデスの時代には無くしていた。

私が思う、アテネ人に足りなかったものは、戦士の心だ。アテネ人は、あまりにも商人になりすぎた。それが、あの結果だったのだと思う。

逆にスパルタ人に欠けていたものは商人の心。彼らは戦士すぎる。

おそらく、アテネ人とスパルタ人を足して2で割った民族は、恐ろしく強くなれただろう。

ある意味、ローマ人がそれであったようにも思うのだが。



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