2017年10月2日月曜日

進化と適応について。適応進化という概念の難しさ(1)

まず軽く、進化とは何か、適応とは何かという話をしよう。これらの言葉は一般の認識と、生物学での定義ではずいぶん異なっている。

世間ではよく発展や成長のことを進化と呼ぶが、その用法は生物学からはだいぶ離れたものになる。

進化とは何か


進化とは生物種における、遺伝子プールを構成する遺伝子の頻度の変化と定義されている。が、ここには専門用語が多すぎて、こんな説明を受けても意味が分からないだろう。

遺伝子プールとは何かと言えば、ある生物種が持ちうる遺伝子の全体だ。例えば、人間は青い目の遺伝子とか黒い目の遺伝子を持つことがある。五本指の遺伝子もあれば六本指の遺伝子もある。あるタンパク質を作る遺伝子もあれば、別なタンパク質を作る遺伝子もあるだろう。

そのようにして、人間は様々な遺伝子を持ちうるわけだが、そういう人間が持つ可能性のある遺伝子を人間の遺伝子プールと呼んでいる。

猿から人間に進化する過程で、途中の種には、長い尻尾の遺伝子と短い尻尾遺伝子があっただろう。あるいは、尻尾のない遺伝子などもある。初期には尻尾のある遺伝子が大勢を占めていたが、だんだんと尻尾のない遺伝子の方が増えてきた。

このように遺伝子プール中で、ある遺伝子が増えたり減ったりするのが、進化と呼ばれる。よって、進化によって生物は今までとは違う形質を持ちやすくなっていく。

退化は進化の一形態


進化という言葉を聞くと、すぐに退化という言葉も思い浮かべるだろう。そして、退化は進化の対義語であり、進化の反対が退化だと考える人が多いはずだ。

しかし、生物学の定義ではそうはなっていない。退化は進化の一形態であり、退化は進化の対義語ではない。

退化は進化によって実現する。退化というのは、ある器官や組織が縮小、単純化する方向での進化だ。尻尾が小さくなり、ついにはなくなってしまうのは確かに退化だが、同時に進化でもある。

一般的には、進化という言葉は発展や成長、有利な性質の獲得に当てられ、機能が劣化することを退化と呼ぶだろう。そして退化は生物にとって不利なことであり、生存に有害だというイメージもつきまとっている。

が、それも勘違いだ。

優れた機能の獲得が、生存上も有利であることは保証されない。例えば、とんでもなく高機能な目を持つ生き物がいたとしよう。どんな暗闇でも確実に獲物を見つけ出せる目を持っていたとする。しかし、そのような目を持つせいで生き延びにくい可能性もある。

その高機能な目というのが、その他の不利な条件を持っていないとは限らない。例えば、大きすぎるだとか、完成させるまでに時間がかかるだとか、作るため、あるいは維持するための栄養素が多量に必要だとか。

自然界でもコストパフォーマンスは重要だ。最高のパフォーマンスを持つとしても、コストが高すぎては結局不利になる。機能が優れていればいいというものではない。

適応とは何か


環境に適した形質を持つことが適応と呼ばれる。

例えば陸上哺乳類が水辺に適応した結果、手足がヒレのような形になる。その方が生存上有利だったからだ。このように、その環境で生き残りやすい形に変化することが適応と呼ばれる。

この使い方は一般にも広まっており、それほど違和感はないと思う。今回の記事は、そこに違和感をもってもらうためのものだけど。

適応もまた進化を通して実現する。陸上哺乳類の手足が水辺に適した形に変わるのも、より適した形をしている個体が有利で、そうでない個体が不利であることから来る。より有利な個体がより長く生存し、より多く子供を残す。そしてその種の大部分が、その形質を持つことになる。

適応度、と言う概念がある。ある一個体が次の世代をどれほど残すことに貢献したか、という度合いだ。一言で言えば、大人になるまで生存できた子供の数、になる。たくさんの子供が育てば適応度は高くなる。

包括適応度という概念もある。ある個体が、近縁の個体の適応度に貢献した場合、自分自身に子供がいなくても、包括適応度が上昇する。これは、一族間での相互協力、利他現象がどのように個体にとって有益かを考えるときに用いられる。

が、今回は社会性のある生き物を想定しないので、もっと単純な適応度で考えてしまってかまわないと思う。

適応と適応度は全く違う概念だが、似たようなものとして使うことはできる。なぜならば、環境に適応したと言うことは生存上有利な性質を持ったと言うことであり、適応度は高くなりやすい。

適応度が高いと言うことは、たくさんの子供が成長していると言うことなのだから、環境中である程度有利な性質を持っているのが普通だ。例外を思い浮かべることはできるが、それは特例として無視できる程度だろう。



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