2017年10月16日月曜日

ゲームと攻撃性の関係。ゲームでは攻撃が優先されるのはなぜか(1)

今回はゲームと攻撃性について語るが、これは「ゲームをすると攻撃的な人間になる」というような話ではない。

それはそれで語るべき事かも知れないが、今回扱うのはゲームなどを初めとして、攻撃と防御では、なぜ攻撃が優先されやすいのか、だ。

老獪という言葉があり、歳を取った者特有と考えられる戦法は、だいたい防御的だ。徹底的に攻撃的な戦法を老獪と言い表す場面は、見たことがない。

これはどういうことなのか。

攻撃力至上主義から、攻防のバランス重視へ


私自身の経験として語れるのはゲームに限られる。多くの場合、スポーツや格闘技、戦争などでも類型が見られるだろうけれども、私はあまりそちらは経験していない。また、選挙戦や説得、経営など、成功と失敗に分かれるもの一般にも同様の特徴はあると思う。

さて、私は昔、だいたいどんなゲームをやっても攻撃力を重視していた。RPG的にいえば回復魔法はさすがに必須だからヒーラーを連れてはいくが、回復にしか期待しなかった。ドラクエでいえばフバーハなどは、何度か使ったことはあるが、なんだ結局食らうじゃんくらいの認識で、だったら食らってから回復すれば同じだ、と考えていた。

SLGで言っても、敵を倒すための最強の布陣を好んだ。ただし、こちらは1マスに存在できるのが1ユニットだけという制限があることも多かったため、1ターンの生存力くらいは必要だった。

例えば、ファイアーエムブレムの聖戦の系譜などでは、相手の攻撃を全部よけきれるほどの生存力と、攻撃してきた相手を全滅させるくらいのキャラを好んだ。が、あれについて言えば、多分それが最善手だ。中終盤は、ひたすら1キャラに無双させるのが安定戦略だろう。そういうゲームバランスだから。

相手の攻撃を誘発し、最小のダメージで相手を釣り上げられる位置で次のターンを迎え、1ターンで敵の主要ユニットを全滅させる。それが、SRPGでの基本戦法になった。

いつの頃からだろうか。二十代、三十代と歳を取るうちに、だんだんと攻撃偏重から、バランス重視に変わっていった。

補助魔法というもの全般を軽視していたが、活用するようになったのは二十代だったと思う。まぁ、世界樹の迷宮の医術防御レベルの効果があれば、若い頃の私でも使ったとは思う。スクルト程度だと、ボス戦でもなければ使わなかった。

ウィザードリィではコルツを愛用した。雑魚キャラとして遭遇するグレーターデーモン相手に、とりあえずコルツを重ね掛けした。あまりにも使用頻度が高いので、6人のうち5人にコルツを覚えさせるほどだった。

だが、二十代でもまだ、HPなどの基本的なタフネスは重視していなかった。低すぎるのは困るが、普通だったら問題ないだろう、みたいな。

それが最近では、HPの価値が上がっている。とりあえずライフがほしい、みたいになってきた。

ゲームは攻撃が優先されやすい


様々な分野で同様の傾向があるだろう書いた。多分そうだろう。将棋でも、若い頃は攻め将棋の人が多いが、歳を取ると受ける手が多くなっていく、とは言われている。

これは、個人の能力の変化の問題でもある。若いときの方が読みが早く、深い。一言で言って、強い。歳を取ると、瞬間的な読みの力が衰えてしまう。それ故に、力でつぶそうとしても、つぶしきれないことが多くなる。だから、つぶそうとするのではなく、つぶされないようにしようという合理的な判断だ。

が、それとは別な意味で、ゲームでは攻撃的な戦法が選ばれやすい。

負けても、別に何も失わないからだ。

ゲーム以外の競争の場面というのは、勝者と敗者がはっきりと分かれる。より多くの物を賭けて戦っている。そうなると、負けられない、という気持ちも強く働く。

一概には言えないのでこの表現は若干危険だが、一般的傾向としては「攻撃は勝利を得るための手段」であり、「防御は敗北を避けるための手段」だ。勝つための戦い方と、負けないための戦い方がある。

ゲームというのは、特に一人で遊ぶゲームというのは、だいたい勝つためにやる。勝つつもりでやる。ゲームってそういうものだ。だから、必然的に攻撃が多くなる。負けないだけで満足するプレイヤーはあまりいないからだ。

そして、負けてもかまわない。ただ腹を立ててコントローラーを投げ捨て、こんなクソゲーもうやんねって言いつつ、次のプレイを始めるとか、セーブを読み込めばいい。それでどうして、防御を重視するプレイヤーが増えるだろうか。



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