2017年10月1日日曜日

仕事を辞めたときの話(4)

まさか、4記事分になるとは思わなかったシリーズも最終回。

私が最後に長期の仕事を辞めたときの話になる。ちなみに前回の記事は仕事を辞めたときの話(3)をどうぞ。

一応最長記録になるのかな


派遣会社に登録していた期間はともかく、一つの事業所で続けて働いたのは、このときの半年が最高になる。

また、このときも結局は自分からやめたのだが、不可抗力というか、自分からやめたいと思ったわけではなかったのが珍しい。

そこは生活で使う機械の生産工場だった。私の仕事はライン作業だった。特に何も考えず、ただ同じ事を繰り返すというのは多少の苦痛ではあったが、あまり気にはならなかった。

現場の若い社員達は、話の分かる人たちだった。実質的に現場を仕切っている若いリーダーの人は、私よりいくつか上くらいの年齢だったのではないだろうか。仕事ぶりはまじめだし、よく場をまとめていたと思う。

他にも若い男子社員がいたのだが、その人達も気を遣ってくれた。

あの手の作業というのは、やったことのない人には分からないかも知れないが、結構微妙な調整が大事だったりする。

各工程の距離、立ち位置や角度、腕を伸ばすときの距離など、見ている側からは分からないような微妙な条件が、生産効率に影響してくる。

バケツリレーをしたことのある人ならば実感したことがあるかも知れない。バケツであれ何であれ、横の人に手渡していくわけだが、この人達が同じ方を向いて横に並ぶより、互い違いに向かい合うようにして並ぶ方が、遙かに作業がしやすい。

昨今災害も多く、復旧のための物資などのやりとりで人手が必要になることがあるので、こういった経験をした人も増えているかも知れない。もっとも、最近はボランティアが歓迎されないので、そうでもないのかも知れないが。

だいたいいつも同じ人が同じ作業をするのだが、たまに違う人がやることになる。すると、作業の進め方の順序や癖も違ってくる。

それが変わると、私からその人への渡し方も変えた方がいい場合がある。そのときもそうだった。だから、担当者が変わったときに、私からもやり方を変えたのだが、若い社員の人がそれに気づいたようだった。

それで、次の工程の担当者と話し合った上、私には「いつも通りでいいですよ」と。

私もそのとき、前のオバチャンに「よく気がつくね」と褒められたのだが、目の前の状況が確認できる私より、だいぶ離れたところから気づいたあちらの方がすごいと思う。

傭兵には傭兵の働き方がある


このときの仕事もまた派遣だったのだが、派遣社員というのは急場をしのぐためにある。長期間の使用が前提なら、普通に雇った方が安上がりで効率がいい。

いつまで人手が必要になるか分からないから、割高であっても穴埋め要因として使うわけだ。傭兵みたいなものと言える。

私はその境遇に不満を持ったことはない。むしろ、それでいいと思っている。だから私は、そのとき積極的に交渉して、早めにやめさせてもらった。

3ヶ月ごとくらいで契約を更新することになっていたのだが、更新してすぐあたりから、突然仕事が少なくなった。なんか変だなとは思っていたのだが、やはり急に仕事が減ってしまって、派遣社員を使う余裕がなくなったと言うことだった。

変だなとは感じていたし、この程度の仕事ならばうち等は必要ないんじゃないかとも思っていたので、派遣契約の打ち切りについては不満もなく当然のこととして受け入れた。

だが、契約期間が残っているので仕方がないから働かせてあげるよ、という状況は我慢がならなかった。状況的に考えれば、すでに自分は必要がないはずだ。それでも、契約が残っているから仕方ないというのは、私が望むものではない。

もちろん、相手側がそう言ったわけではない。例え思っていても、そんなことを口にするほどはしたない人たちではなかった。

だから私は契約期間の満了を待たずにやめさせてもらった。もちろん引き継ぎは完了した。新しい社員の人が私の代わりを務めることになったので、作業の仕方や注意点などを教えておいた。

最後の出勤日に、おばちゃんの一人がジュースをくれた。私は多分、それなりにまじめに働いているとは見られていただろう。よく飴をくれるおばちゃんもいたし、私を悪く言う人もいなかった。

天下御免のおばちゃん達は、悪口を言える相手なら言いたい放題言うものだ。まして私はただの派遣なのだから、遠慮する必要もない。それでも褒めてくれるのだから、それはきっと本心なのだろう。

何度も飴をもらったおばちゃんには、最後に一袋の飴をプレゼントした。




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