男女差別論者のいう「女は馬鹿だ。無能だ」という言葉が、どれほど強く、その人自身を傷つけているかを見てみよう。
彼らは・・・男だけとは限らないのだが、女性蔑視の思想が、結果的に男性蔑視に繋がってしまうことを見落としている。
もし本当に女が下等生物だったら
男女差別論者の主張が正しいとしたらどうなるだろうか? 本当に「女は馬鹿で、無能で、役に立たない」生き物だとすると、男というのはどれほど安心してふんぞり返っていられるのだろうか?
いや、考え方が全く逆だ。その人達はふんぞり返るどころか、首を吊りたくなってしまうだろう。
たとえばゲームをしよう。将棋がいいか? ブームだからな。しかも、みんなルールくらい知ってるだろうから例えとしてはちょうどいい。
私と君とで対局しよう。駒落ち対局だ。飛車角落ちにしよう。私は飛車と角を盤に置かずに始める。つまりハンデ戦だ。あ、言っとくけど、私将棋弱いよ? ハム将棋には勝てる。将皇将棋のLv2がなんとか互角になったくらい。でも、最近Lv1としかやってないから、もうLv2には勝てないかもしれない。っていう程度。
でも、実際の強さは問題じゃないから、そこはスルーしてくれ。
さて、君が私に勝ったら、それは順当だ。そりゃぁ、ハンデ戦だもの。そちらの方が有利なんだから、勝つのは当たり前だろう? だが、もし私が勝ったらどうなる? ハンデすらあげたのにやっぱり私が勝っちゃうなんて、解釈の仕方は次の二つのうちのどちらかだろう。
「ハンデをつけてあげても勝っちゃう僕ちゃんマジ強い」
「ハンデをつけてあげたのに負けちゃう君ちゃんマジ弱い」
どっちでもいい。好きな方選んでくれ。
さて、私の言いたいことはおわかりだろうか? もし本当に女が馬鹿でどうしようもない生き物なら、その女よりも馬鹿な生き物って、どれほど救いようのない馬鹿なんだろうね?
「女は数学ができない」と言われているのに、その女よりも数学のできない男がいる。それはつまり、「その女がむちゃくちゃ数学の素質がある」か「その男にまったく数学の素質がない」かのどちらかだろう。
体力でも、論理的思考でも、駐車スキルでも何でもいい。世の中で言われている、「女には向かないこと」のうち、どの能力についてもすべての女よりも上回っていると言える男は、どの程度いるんだろうか。
つまり、女性博士よりも知性が高く、女子レスラーよりも体力がある男、だ。心当たり、ないぞ。
男の方が優秀なんだ! そうに決まってるんだ!
そう思うことで気が楽になる人たちがいるようだ。だが、そこで分かることは、彼らの馬鹿さ加減だけだ。
上述した理由で、女がハンデを持って生まれてきた存在であるならば、ハンデをもらってすら勝てない男というのは、よほどの出来損ないということになる。この事実に気づかずにいられることが、彼らの知性の程度を明らかにしている。
しかしながら、ここで述べた理屈は、それほど難しいものではない。ハンデ戦で勝てないんだからそりゃそうだよね、っていう程度の理屈が、分からないはずはない。
それでも気づかない人というのは、頭の善し悪しとはあまり関係ないかもしれない。古代ローマの英雄、カエサルの言葉にこういうものがある。
「人は見たいと思う現実しか見ない。見たいと思う現実なら、進んで見ようともする」
この手の人たちというのは、まさしくこういう人々なだけであって、気づかないわけではないかもしれない。気づきそうになったことはあっても、気づかなかったことにするんだ。心の平静を守るために。
だとすれば、彼らの弱さは「頭」ではなくて、「心」ということになる。確かに、男であること位しかすがるもののない人も、女であることを言い訳にしないと逃げ切れない人も、心の弱さと無縁ではいられなさそうだ。
私は女尊男卑論者ではない
私はただの、男女平等論者だ。どちらかを優遇するべきとは考えていない。ただの能力主義者だから、性別だの年齢だの出身地だの人種だの、そんなどうでもいいくだらないことは、人の評価に関わってこないし、関わらせるべきではないと考えている。
ただただ、優秀な人間から順番に重要な役目を負えばいい。とはいえ、男女同権以前に、男同士の間ですら、能力主義などというものは徹底されていないわけだから、この道のりはなかなかに遠いだろう。
実際のところは、能力主義を徹底していく過程で男女平等も進むことになる。
ちなみに、男女平等パンチというものがあるようだが、私はそれは至って男女平等だと思っている。相手の性別にかかわらず、同じ応対をすることが男女平等だ。
男女を対等と見なすなら、女が相手の時だけ手加減をするというのは、筋が通らない。
0 件のコメント:
コメントを投稿