2017年8月9日水曜日

危険な自民党の憲法草案。緊急事態条項で選挙がなくなる(2)

現在の自民党の憲法草案が発表されて以来、私は緊急事態条項の危険性に気づき、ずっと反対し続けてきた。人々が、まだ緊急事態条項という名前すら聞かされていない頃からだ。

やっとメディアでもそれが取り上げられるようになったかと思ったら、全然視点が違う。選挙が廃止され、独裁国家になりかねないということこそが、この条項の危うさだ。


98条の無力さ


さて、99条の、特に第4項が危険きわまりないという話をした。しかし、一応の安全装置は用意されている。それが98条だ。

98条 緊急事態の宣言
1、必要があれば、閣議決定によって緊急事態を宣言できる。
2、緊急事態の宣言は、事後または事前に、国会の承認を得なければならない。
3,緊急事態を100日以上続ける場合には、100日ごとに国会の承認を得なければならない。

このように定められている。

確かにこれは安全装置として用意されたものだろう。独裁国家にならないようにと配慮した形跡は窺える。ところが、実はこの安全装置は機能しない。何の役にも立たない。

思い出してくれ。あるいはもう一度、99条を確認してくれ。第4項によって、選挙が廃止される可能性を指摘した。選挙が廃止されるということはどういうことだ? もう、国会議員の顔ぶれが変わらないということだろう?

100日ごとに国会の承認を必要とするとして、その間に選挙があり、議員が入れ替わるなら分かる。この安全装置は機能するだろう。ところが、選挙が行われない以上、議員の顔ぶれにも変化がない。だったら、100日ごとだろうと1日ごとだろうと、議決をとるだけ無駄な話だ。同じ人が投票するのだから、同じ結果しか出ない。

すなわち、一つの党、組織が、衆議院の2/3、もしくは衆参両院の過半数の議席を掌握し次第、二度と覆せない独裁政権を誕生させられるということだ。

1項についても確認しておこうか。一応、無条件に緊急事態が宣言できることにはなっていない。宣言できるタイミングはごくわずかなのだから、そのような危険性は微々たるものだと、そう思う人もいるのだろう。

1項では「我が国に対する外部からの武力攻撃、内乱等による社会秩序の混乱、地震等による大規模な自然災害その他の法律で定める緊急事態において」必要があればとされている。こんなものそうそうタイミングよく成立しないと、そう思うのだろう。

甘い。甘すぎる。カイジの利根川から学んできた方がいい。どこに、「大規模な自然災害が発生してからn日以内に」という条件が付されている? 政府がその気になれば、それは10年後、20年後ということも可能だろう・・・ということ・・・!

さすがに、災害復旧が終わった後で緊急事態を宣言するのは屁理屈過ぎてやらないかもしれない。が、そんなことする必要はない。

東日本大震災、あれ、復旧したか? あの災害によって受けた傷は、どのくらい回復した? 福島第一原発は修復されたか? ぜーんぜんだよな。じゃあ、今から東日本大震災を理由に緊急事態を宣言できない理由って何だ?

あるいは、時々北朝鮮からミサイルが飛んでくる。ほら、外部からの武力攻撃だ。中国からは海域への侵入も相次いでいる。あれだって武力攻撃と認定してしまえばいい。

緊急事態を宣言するための口実など、いくらでもある。こんなもので危険性が回避できるわけがない。

政治家が国民の顔色をうかがうのはなぜか?


まさか君たちは、政治家がその政治理念に基づいて、有権者の意思を尊重しているとでも思っているのか? 違うぞ。政治家が国民の顔色をうかがうのは、そうしないと次の選挙で落とされるからだ。

当選したいから国民に譲歩する。落選したくないから努力する。

じゃぁ、もう選挙が起きないとなったらどうなる? だれが有権者の顔色などうかがうものか。選挙の起きない国で、選挙権なんて何の役に立つ? 選挙権こそは政治家に手綱をつける唯一の力だ。緊急事態条項を受け入れるということは、選挙権を放棄するのと変わらない。

確かに、現在の日本人は選挙権の価値を理解していない。私はこのブログを通して、選挙のあるべき姿や、選挙の方法論なども語っていきたいとは考えている。人々は、選挙というものに愛想を尽かし、幻滅し、あきらめてしまっているのだろう。

その無気力さにつけ込んで、今度は本格的に選挙権を奪い取ってしまおうとすらしている。そのことに、人々はもっと危機感を持つべきだ。選挙権こそは最強の権利であり、本来は、選挙さえ正常に機能している限り、いつでも、どこからでもやり直しがきくのだから。




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