2017年8月10日木曜日

危険な自民党の憲法草案。緊急事態条項で選挙がなくなる(3)


緊急事態条項が選挙を停止させ、人々から実質的に選挙権を奪いかねないものであることは述べた。この記事では、私の個人的な思いを綴ってみたい。

本当に独裁政治が始まるかどうか


本気で独裁者になりたいと思っている議員は、それほど多くないだろう。自民党の上層部のごく一部だろうとみている。

実際のところ、衆議院の2/3もしくは衆参両院の過半数を抑えたからといって、即時独裁制を敷くわけではないはずだ。憲法上、独裁が可能になるとしても、それはあくまでも裏技だ。正攻法で政権が維持できている間は、裏技を使う必要はない。

もし実際に裏技を使うとしたら、選挙での敗北が決定的になった後だろう。選挙で勝てているうちはそこまでしなくていい。負けが確定した後で緊急事態を宣言し、「先の選挙を無効とする法案」を成立させるという手順で十分だ。

ごく一部の、独裁者になりたがっているわがままなクソガキがいなくなってさえくれれば、実際に独裁国家になることは避けられるかもしれない。が、全部自分が正しいと思い上がっているわがままな奴はいつの時代にも一定数いるので、こんな憲法が有効である間は、ずっと独裁の可能性に怯えなければならなくなる。

アベノミクスで障害となった、日銀の独立性なども、緊急事態さえ宣言できればかき消せる。現行法の中ではできないことをしたいとなったときでも、緊急事態に突入する手がある。

しかし、私が今まで語り、見てきた限りだと、本気でこのような危険性があると信じる人は、ほとんどいないようだった。

いくらルール上可能だとしても、そんな突拍子もないこと、本当にするわけはない。そう、信じているのかもしれない。私がこの問題について書いたのは、ほとんどがMixiの日記だった。だが、一度だけ、外の世界で論じたことがある。

憲法改正についての市民集会


今年の・・・何月頃だっただろうか。5月だったかな。一つの市民集会に出席した。憲法改正に関して、市民一般に啓蒙し、理解を深めてもらおうという集会だった。市民の中から抽選で招待状を送付する形で、出席者を募ったようだ。私のところに招待状が来たのは、多分、本当に偶然だったのだろう。

憲法がテーマで、しかも特に扱いたいのが9条についてと、緊急事態条項についてということになれば、出ないわけにはいかなかった。私が人々に向けて思うところを語れる機会を与えられていながら、自分でそれを無為にしたとなれば、将来危惧が現実となってしまったとき、私は言い訳できない。

「ほら、だから警告してあげたでしょ」そう言って下界の者どもを笑うためには、できることはしておかなければならなかった。

その集会でのディスカッションは、グループ分けして進めるものだった。正直なところ私としては、自分以外の参加者が全員ネトウヨだったとしても、一人で全部ねじ伏せるくらいのつもりでいたので、分割されるとちょっとやりづらかった。

実際にはほかの参加者もほとんどが一般からの参加者で、思想的にはまんべんなく、いろんな立場の人がいた。しかも、人の話を聞かない人もいなかったので、話し合いとしてはだいぶまともに進んだと言える。

私は予定通り、今まで自分が考えてきたことをグループの人たちに語って聞かせた。今までマスコミが全く説明していない情報を、私がなぜ持ってるのか、多少不思議には思ったかもしれない。職業を聞かれたのでニートだと答えたが、「まじか」って感じで驚かれた。

私が語るべきことを語り終えると、一応、そういう危険性があるということについては納得してくれたようだった。ただそれでも、その危険性がどの程度なのか、本当にそうなりそうなのか、そういった点での危機感は、私とはだいぶ開きがあっただろう。

さて、自分のグループでの議論が終わると、今度はほかのグループに向けての発表になる。私は発表役ではなかったのだが、メンバーの同意のもと、最初に少しだけ発表の時間をもらった。計2分(だったかな?)しかない発表時間のため、緊急事態条項を認めると選挙がなくなる可能性があるということを、手短に解説した。

その後、発表された内容の投票に移るのだが、私の主張はあまり得票しなかったようだ。まぁ、あの投票制度だと確かにそうなるかもしれないというのはあるが、いずれにせよ選挙制度の喪失という危険性を感じ取った人は、多くなかったことになる。

日本人は保険をかけ過ぎとも言える


また別なときに語るつもりだが、日本人は保険が好きすぎる。かもしれないかもしれないで失敗に怯え、うまくいく保証がなければ動こうとしない。これは、あまりいい傾向ではないと、私も思っている。

だから、失敗の可能性があろうとも、それを受け入れた上で実行に移すことを否定はしない。その意味で、緊急事態条項に対する私の心配も、心配しすぎと感じる人はいるだろう。

だが、この問題は次元が違う。これ以外の問題ならば、失敗したらやり直せばいい。次うまくやれば取り返せる。ところが、選挙制度は、なくなってしまったら取り返せない。

選挙制度さえあれば、何を失敗してもやり直しがきく。高いつけは払うかもしれない。余分な出費もかさむかもしれない。それでも、覚悟さえあればやり直せる。

だが、選挙制度がなくなったとき、もう一度選挙制度を取り戻すことはできない。やり直しをするための力の根源が選挙だ。その源がなくなれば、どうしてやり直しの機会など得られるだろうか。その他の問題と同じように、保険のかけ過ぎと言って笑うことは許されないのだ。

いい加減、人々にこの問題が広まることを祈っている。




0 件のコメント:

コメントを投稿