2017年8月31日木曜日

ヒステリックな著作権(1)

いつの頃からだろうか、著作権の侵害というものが重く見られるようになった。いや、それ以前は許されていたというわけではないのだが、ある時期を境に格段と口うるさくなった。

今では著作権を守る意識はそれなりに高まり、それ自体はいいことなのだが、一部ではヒステリーも見られるようになった。

何故このように変わってきたのか。今回はそれを語ってみよう。

まずは現状確認


どのようにして今に至ったのかを扱う前に、今はどんな状態なのかを確認してみよう。一つの象徴的な話題として、先日の特ダネの件がある。

とあるフジテレビの番組で、あるツイート者に対して「あなたがツイートした動画を使わせてください。いついつまでに連絡がない場合は、勝手に使わせていただきます」という連絡をした。これに対して、多くの人が非難を行い、フジテレビは横暴だと語っていた。

数十の反応を見かけたと思うが、そのすべてはフジテレビに対する非難や抗議だったように記憶している。多分、「その行為が不当なものかどうかは分からない」と慎重な態度をとった人は、私以外にはいなかっただろう。私の見ていないところにならいるかもしれないし、いてほしいのだが。

私はまず、その動画をフジテレビが利用するとして、引用の要件を満たさないのかどうかを疑問に思った。引用というのは、著作権法でこのように規定されている。

公表された著作物は、引用して利用することができる。この場合において、その引用は、公正な慣行に合致するものであり、かつ、報道、批評、研究その他の引用の目的上正当な範囲内で行なわれるものでなければならない。(著作権法第32条)

この条文が具体的に何を表しているのか、わかりやすくするためのガイドラインとして、文化庁は次のように定めている。

ア 既に公表されている著作物であることイ 「公正な慣行」に合致すること
ウ 報道,批評,研究などの引用の目的上「正当な範囲内」であること
エ 引用部分とそれ以外の部分の「主従関係」が明確であること
オ カギ括弧などにより「引用部分」が明確になっていること
カ 引用を行う「必然性」があること
キ 「出所の明示」が必要(コピー以外はその慣行があるとき)
(文化庁)

フジテレビが実際にどのように利用したのかを、私は確認していない。そのため、この要件を満たしたのか満たしていないのかは分からないのだが、この程度の要件も満たさないような使い方は、さすがにしていないだろうとは見ている。

さて、引用の要件定義には、曖昧な表現が含まれている。「正当な」とか「必然性」とかだ。この言葉の受け取り方次第では、ごく限られた場合にしか引用が認められないことになり得る。実際、Mixiでのコメントの中には、「しなければならない理由がなければ、必然性は満たされない」と主張する人もいた。

だが、すでにいくつか行われた、引用と言えるかどうかを争う裁判では、「しなければならない理由がないから、引用とは認めない」という判決は出ていない。よって、しなければならない理由などなくても、引用の要件は満たすと考えられる。

が、まぁ正確なところはさておこう。厳密な答えを出せるのは裁判所だけなのだから。本記事の主題は、著作権にまつわるヒステリーだ。

だから私がここで語っておきたいことは、「引用という無断利用を認める条件が定められているにもかかわらず、どうして人々はフジテレビの利用方法が引用の要件を満たしたかどうかを確認しようともしないのか」だ。

法律が著作者に無断で利用できる条件を定めているのだから、無断利用を非難する前に、対象が引用の要件を満たしていないことを確認しなければならない。ところが、そんな当たり前のことすらせずにかんしゃくを起こしている。

これが現状だ。

だから、何故こうなったのか。こういう地点に行き着いてしまったルートを探してみよう。

むかしむかし


私が小学生くらいの頃だろうか。まだまだ著作権という概念は、それほど一般人にはなじみのないものだった。著作権の侵害などというものは、普通の人がすることではなく、作家同士で問題になるような、限られた世界の問題だった。

今ならば音楽CDの複製なども問題視されるだろう。映画のDVDの複製なども問題になる。だが、あの頃は、CDをカセットテープに録音しようと、映画のビデオをダビングしようと、そんなことで問題になるような時期ではなかった。それが私的利用ではなく、友人知人にあげるためであったとしてもだ。

その頃から今に至るまでに法律が変わったからではない。複製を人にあげたりすることは当時から違法であったはずだが、誰も(厳密には0ではないだろうが)気にしなかった。各個人も、各業界も、そんなことに目くじらを立てなかった。

その空気が変わってきたのは、やはりインターネットの普及からだろう。それまでは友達同士という狭いコミュニティの中でしか、お互いが購入した物の共有ができなかったのが、全世界という広すぎるコミュニティの中で共有可能になってしまった。

順序を完全に記憶しているわけではないが、まず最初に、複製に対して厳しい態度をとったのは、マイクロソフトではなかっただろうか・・・。それまで横行していたOSのコピーを防止する仕組みを導入した。Windows2000の頃じゃなかったかなぁとは思うが、記憶は定かではない。

その時期はファイル共有も広まっていき、インターネットでは音楽も映像もゲームも、さまざまな電子記憶メディアが複製されていった。そのあまりの膨張と影響力の強さ故に、各業界は頭を悩ませ、危機感を募らせた。

その決着の一端がWinny裁判に繋がっていく。ファイル共有ソフトなんかがあるから、商品が共有されてしまって売れないのだ。じゃあ、悪いのはファイル共有ソフトを作った奴だ。そういう意識ができあがっていったのだろうと思う。結局のところ、この裁判は最高裁判決で無罪で決着する。

共有ソフトが著作権侵害を行う役に立つとしても、悪いのはそういう使い方をする人間であって、ソフトではない、ということになった。

ちなみに、この裁判の第一審では有罪判決が下っている。それが2006年。第二審で逆転無罪となったのが2009年。ダウンロード違法化が施行されたのが2010年となっている。これらが相互に関係しているのかどうかは定かではないが、関連企業の焦りのような物は感じてしまう。


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