2017年8月26日土曜日

現状維持という思考停止

日本人というのは、国民性として、変化を嫌う。変化を嫌う人というのはどこの国のどの時代にもいるはずだが、日本人はその勢力が強いように感じている。

こういった、変化を嫌う人は現状維持派に分類されることになるが、現状維持派というのは特に何も考えてはいない。ただ、いつもと違うのが嫌なだけ。もうちょっと物事を考えたらどうかとは思うが、そういう人種なので仕方ない。

現状維持派の現状賛美


現状維持派は、現在をよいものとして捉えている。それ故に、このよい状態が変化して、悪い状態になることを恐れている。変化さえ拒絶していれば、良くはならなくても、悪くもならないはずなのだから。

だから、現状維持派は現在を形成している要素に感謝しなさいと教える。様々なものを土台として、現在がある。その、現在を良いものたらしめているすべては尊いのだ、と。

しかしながら、この考え方はすぐに破綻する。論理的に追っていくと、この考え方はグロテスクすぎて人々には耐え得ない。

世の中の姿というのは、捉え方でいかようにも受け取れるだろう。その中で、良いもの、望ましいものを抜き出す。現状維持派といえども、現在悪いことだと考えられていることについては、悪いことだと思うのだから。

さて、失業率というのは低い方がいいだろう。現在のところ、そう考えられている。当然、現状維持派も、失業率が低いのはいいことだと主張する。だから、失業率を現在のような程度に抑制できる要素も尊いことなのだ、ということになる。

警備会社というものがある。それは交通誘導を行う警備だったり、施設警備だったりもするだろう。そういう会社もまた、従業員を雇用し、失業率の低下に貢献している。何故そのような会社が利益を出せるかと言えば、犯罪者がいるからだ。

人の家に盗みに入ったり、人に暴力を振るったりするような人間がいる。だからこそ、そういう人間から受ける被害を食い止めようと、未然に防ごうと、警備会社というものに需要が生まれる。

警察も同様だ。犯罪者がいない世界では、必要とされる警察官の数は、大幅に削減されるだろう。

もうおわかりだろう。私の論法は至って単純だ。

犯罪者がいるから、警備員や警察官が多数必要になる。それによって雇用が生まれ、失業率が引き下げられている。すなわち、犯罪者は失業率を引き下げる要素の一つである。

さて。

失業率を現在のような水準たらしめている要素の一つが犯罪者であるということは、現状維持派の言い分に従えば、犯罪者も尊い存在であることになる。我々は犯罪者様に、「犯罪を犯してくれてありがとうございます。あなた方が犯罪を犯してくれるおかげで失業率が下がり、現状のような良い社会になっています」と、感謝せねばならないのだろうか?

んなアホな。

現状を成立させるすべての要素が尊い、などという考え方は、このようにしてあまりのグロテスクさを露呈する。

現状維持派に欠けているのは展望


現状維持派は、今が続くことしか望んでいない。世界はどうあるべきか、ということには意識を持たない。現状維持派が変化を望むとしたら、現在までに望まれているような変化だけだ。そういう変化がずっと望まれることこそが、現状維持だから。

彼らは特に何も考えてはいないのだが、そういう人間でも影響力を持つ立場だったりすることはある。そういう場合、社会は無駄な労力を払うことになる。

よりよくしようという力が、ただ単なる停滞を望む力によって阻害される。しかし、ある意味これは仕方のない労力だ。人間の歴史というのはだいたいいつもそうだった。

既得権益にしがみつき、旧権力にあぐらをかき、変化を拒絶して利益を守ろうとか、アイデンティティを守ろうとか、そういう勢力と、新しいものの有効性を示して塗り替える勢力との戦いが、人間の歴史だ。

新しもの好きで、他文化も他宗教も他民族も受け入れて発展した古代ローマですら、変革の戦いは起きている。ぶっちゃけ、思考停止した現状維持派程度も黙らせられないのでは、新しい時代は作れないというのが人間社会なのかもしれない。

しかしながら、私はこんなことを言ってはいるが、漸進主義者だ。私は、急激な変化を望んでいない。それは、現状維持派というのは、頭は悪いが強力な勢力であると見なしているからだ。

急進的な改革は、現状維持派との間に強い争いを起こす。これは結局、改革の進行にとってもよろしくない。ゆっくりと、人々の意識の変化や成長を確認しながら、進めるべきという立場をとっている。

私は基本的に、極端なものが嫌いだから。


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