私が最初にやったMMOがウルティマオンライン(UO)だった。MMO界の伝説として語り継がれているが、実はまだ運営はされているようだ。
思い出話と共に、UOの特徴である対人システムにまつわる話をしてみよう。
何もかもが懐かしい
オンラインゲームの経験がなかった私は、UOの紹介サイトでいろいろ調べてから始めたはずだ。スキルがたくさんあって、その中から好きなスキルを組み合わせてキャラメイクができる。そういうゲームシステムのことは確認済みだった。
ところが、ゲームに接続した瞬間から混乱した。何が何だか分からない。だって、画面が真っ暗で何も見えないんだもん。どうやらゲーム内は夜だったらしい。画面に表示される黄色い名前を頼りに、そっちに行けば何か見えてくるのだろうと思って壁にぶつかりながら移動した。
たくさんのキャラクターが見え始めたが、どうもおかしい。動かない。これはどうやらNPCのようだと思ってさらに歩いた。名前はみんなアルファベット表記だから、ぱっと見日本人っぽいのかどうかが分からない。
ドラゴン・・・だっただろうか。確かなにかモンスターを連れている人が見えた。何かしゃべっている。NPC的な台詞には見えなかった。だから私は、意を決して話しかけた。
「・・・人間ですか?」
・・・。
今、近頃のMMOで知らない人にこんなことを聞いたら、頭のおかしい奴が来たぞと思われるだろう。だが、当時はまだMMO黎明期だから、そのくらいじゃ危ない人扱いはされない。初心者向けの説明をしてくれた。
いやぁ、やっとほかのプレイヤーが見つかったとうれしかったものだ。
対人戦の全盛時代
私もオンラインゲームはそれなりにいろいろ手を出した。対人ゲームもやった。今でもWorld
of Tanksはいくらかやっている。
が、UO時代ほど対人戦を熱心にやることは、もうないだろう。公式チートツールと呼ばれるマクロツールが一般的だった時代に、私は手動で戦った。仮想戦争といって、三国志の武将を名乗って戦争ごっこをする対人戦だった。
独自のドクトリンで、集団戦ではなかなかの脅威になれた。接触するたびにコンカッションブロウを入れてくる嫌な奴、という感じだったようだ。
さて、UOといえば対人戦が有名だ。より正確には、PKだろうか。ほかのプレイヤーを襲って殺し、所持品を奪い取る遊びをする人たちが、Player
Killer(PK)と呼ばれた。PKは忌み嫌われ、最終的には、PK可能ゾーンとPK不可能ゾーンに分かれることで決着した。
これがフェルッカとトラメルの分割だ。
UOにとっての異端者はどちらだっただろうか
フェルッカというのがPK可能ゾーンであり、トラメルがPK不可能ゾーンを表す。
もともとのUOはPK可能ゾーンだったのだから、トラメルが追加された形になる。よって、新しい要素はトラメルの方であり、トラメルが新参者、よそ者、ぬるゲーマーのため避難所という調子で語られることがある。
結局のところ、プレイヤーの大部分はトラメルに行ってしまったので、勢力分布としてみるとフェルッカが置いてけぼりにされた形ではあるが、フェルッカこそがUOらしい世界だと信じる人は多分かなり多かった。
トラメルから出てこない人のために「トラメラー」という呼び名ができたりはしたが、フェルッカに居座っている人に対する呼び名は特になかった。トラメラーというのは、時に蔑称としても用いられた。
そんなわけで、当時の一般的な認識としては、PKという存在に耐えきれなかったぬるゲーマーのせいで世界が分割され、UOらしさが失われ、かつての伝説のUOとしての時代が終わってしまったのだと、そう考える人も多い。
だが、私は全く違う考え方を持っている。
UOのUOらしさというのは、対人戦ではなかった。対人戦もできるし、人殺しも盗みも、詐欺もできた。そういう治安の悪い世界がUOらしい世界ではあったが、それはリアルな別世界としてのUOらしさだった。
UOを懐かしげに語る、UOの思い出の多くは、UOの不可思議なリアルさを取り上げる。自分はモンスターと戦わないけど、狩りに行く人の装備を修理だけしてあげる人。それでちょっとばかりの売り上げを出す人。
狩り場で喧嘩して、殺し合いになりそうなときに、分かったこれやるから許せ、といってアイテムを貢いだりする人。死にたくなければ金を出せと脅す山賊プレイヤー。山賊が出たぞと、退治に向かうチーム。
そこには、この世界とは違う人間関係が形成されていた。スキルもスキルで、釣りだの遊牧だの、何に使うんだよこれみたいなのもあり(遊牧は私のお気に入りスキルだった)、それまでのゲームとは遊び方がまるで違っていた。
だが、PKはそうじゃなかった。
彼らは効率的にキャラクターを強化し、問答無用で人を襲い、ただ殺す。理由などない。殺したいから殺す、あるいは、戦いたいから戦う。
現実世界でいえば、猟奇殺人者とでもいうべき存在が、PKだった。
PKには人間関係とか関係ない。UOらしさを象徴していた、不思議な人間関係とか、そんなものは存在しなかった。彼らにとっては、ただの対戦ゲームであり、ただの育成ゲームだった。
現在のMMOのプレイヤーであれば、むしろこのPK達の気持ちの方が共感できるだろう。いつも同じ編成で、同じ装備で、同じ敵を、同じように倒した方が、効率よく経験値やアイテムを稼げる。効率的であることは至って結構なことだ。
いちいち装備を修理するだけで、知らない人間と世間話でもしながらアイテムの受け渡しをしなければならないなんて、耐えられないだろう。
そういう、今風の人たちの走りが、PKだったのだと思う。だから私は、PKが月を分けた。フェルッカとトラメルを分けてしまったのは、ぬるゲーマーであったトラメラーではなく、UOの世界では異質な効率化プレイヤーであったPKが世界を分けたのだと見なしている。
ただし、それが悪かったかどうかは別問題だ。
結局のところ、トラメルの誕生によって、別側の効率化プレイヤーが増加した。もうPKに邪魔されずに、思う存分効率よく狩りができるようになったことで、そっち側を効率的に楽しむプレイヤーが増えた。
私がUOを始めたのは、その先鞭をつけたとも言える、パラディンとかアーティファクトとかが実装された頃だ。
その後のMMO界の流れを見れば、結局UOがUOらしくあり続けたのでは、収益的に保ちこたえられないことは間違いないだろう。大部分のゲーマーは、効率よく稼ぐことの方を望んでいたのだから。
だから、フェルッカとトラメルの分離は効率的に遊ぶためにも寄与したといえるし、UOの寿命を延ばしたとも言えるだろう。遅かれ早かれ分離するか、さもなければサービスが終了していたと思う。
月を割り、UOをUOらしくなくしたのはPKだが、同時にPKがUOの寿命を延ばした。奇しくも、彼らが望んだのとは全く逆の方向で、だが。
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